囲碁3回目、私を知る

2021年、11月19日。
囲碁3回目。

今回の囲碁は、一言でいうと、
自分のことが、またちょっと知れた回だった。

はじめは全然わからなかったけれど、
回数を重ねるごとに、自分のことが、
少しずつ知れてきて、だんだん面白く
なってきた。


今回まず学んだことは、
一貫性がないとおかしいということ。

私は囲碁をするとき、
毎回、全く同じことをしていた。

はじめはこうだからこう!と打ったのに
次はなんとなくこうかなって感覚で
打ってしまう。

それで負けて、あとから冷静に考えてみれば
「あぁ、そうだった!」と気が付く。

全く一貫性がなく、
あっちこっち、石を置いていた。


人は、自分の判断基準でしか物事を
見てないんだとか。

それは、今まで育ってきた環境とか影響、
体験とかで価値観が人それぞれ違う。

例えば、同じものを買うにしても、
「高いか安いか」「見た目か機能か」
とかみたいに、人によって違うだろう。

「石を置く」という一つの行動に対して
置くときの基準がなかったから、
ついつい、いつもの感覚でやって、
負けてしまった。

その理由は「よくわからないから」。

習っているはずなのに。           

よくわからないから、なんとなく
自分の感覚で置く。

だけどその後、習ったことを思い出して
ちゃんとやってみたら、次は勝つことができた!

とっても嬉しかった!

この勝った瞬間、私の表情は、
一瞬にしてパッと変わり、
ものすごく嬉しそうだったたらしい。

なんで嬉しかったって、
別に勝ったからではない。

私の性格上、昔から人との競争や、
勝ち負けには全く興味がない。

でも、習ったことをやったら、
ちゃんと私にもできた!
やった!
っていう、達成感のようなものが、
とてつもなく嬉しかった。

もしかすると私は、達成感を味わいたいのかも。
もしかすると、自分には勝ちたいのかも?
って、今こうして書きながらふと思った。



それから、今回は私のパターンを知れた。

どうやら私は、
「切羽詰まってから全体を見て気づくタイプ」らしい。

ごもっとも。
全く、その通りだと思う。


それから私は、断片的に情報をつまみ食いして、
間違ったやり方をしてしまってることが多く、
正しくできてないことが、よ~く分かった。

すぐ行動はするけれど、一個一個クリアせずに、
今度はこっち!こっちの方が良さそう!って、
どんどん次へ、先へ行こうとする。    

中途半端な状態で、
新しいことや面白そうなことを、
どんどん知りたくなってしまう。

一個一個やってから次に進まないと
ちゃんと入らないし、自分のものにはできない。

それってきっと、いつまでも自信に繋がらない…

前のことを活かすことも大事だし、
新しいことに興味を持つこともいいけれど

できてないまま、突き進むと、
また一からやり直しになって、
結局時間がかかる。

やる!と決めたことならば、
「今言われたことに集中」すること、     
一個ずつクリアしてから次に進むことを、
これからは心掛けていきたい、と思った。


だだ石を置くだけなのに、
決して嘘はつけない囲碁。

囲碁によって、自分の内面やクセが
どんどん暴かれていく…

自分はどちらかというと、素直な方だと
思っていたけれど、どうやら
そうでもないようだ。



こうして、3回目の囲碁を終えた私は、
なんだか心穏やかに過ごしている。

子供に感情的に怒ることはなくなったし、
子供たちと、とても仲良く過ごしている。

特に小学生の息子の変化が著しく、
帰宅後のおしゃべりが止まらず、       
宿題が全然進まなくてタイムオーバー。
毎日楽しみにしている、おやつを食べる時間も
なくなってしまうくらい。

心からの笑顔がうんと増え、前みたいに、
こっちから聞かなくても、自分からどんどん、
たくさんお話してくれるようになった。

そんな感じで、息子の変化を感じつつも、
私自身は、日々淡々と過ごしている。

モヤモヤしていた、あの頃の感じもない。

もしかすると、自分で自分のことが
分からなかったから不安だったのかな。

客観的に自分を見て、自分を知ることで、
迷いをなくし、色んな場面での決断力が    
早くなってきているのかな。

そんなことができちゃう囲碁って、
やっぱり不思議。

でも、一人ではできない囲碁。
もしかすると、何でもそうなのかも。

人って、生きるって、
誰かの支えや、正しい教えが
あってこそ、前に進めるのかな。

横の繋がりが少なくなってきた今、
それって実は、
ものすごく大事なことのように思う。