囲碁8回目、相手に関心を持つ
2022年1月7日、金曜日。
今年初めての囲碁。
6子局(私の石が6個多いハンデの状態からスタート)に挑戦。
結果、1つ差で負け。
その理由は「終わり方をわかっていなかった」から。
勝っていたのに、終わり方が分からずに、ずっと打ち続けてしまい、結果負けてしまったとういう…
囲碁アプリでもずっとそのようにやってきていた。
終わりかたが分かってないと、どこを目指してやっているのかわからなくなる。
目標やゴール設定と同じだ。
囲碁は、お互いが終わりと思ったら終わり。
自分が終わりというまでずっとうちつづける。
その終わりがわからないと、何を競っているのかわからない状態で石を打ってるのと同じ。
なにで評価してるのか?評価の基準を理解していないと大変だ。
このままいくと、他人の評価の上で、相手に自分の判断を決められてしまうことになるかも…
そんなのは嫌だ。
結局、ある一手の理由を掘っていくと、やっぱり私は「時間がかかるのが嫌」という理由が強くあって、早くしたい気持ちが先行していたことが分かった。
またか…と自分でも言葉にするのが嫌になるくらい何度もでてきた私の中のワード。
「時間がかかるから」
でも時間がかかるのにも、良いものと悪いものがあって。
成長できるものや、自分のためになることには全然時間を要してもいい。
けど、例えば大量の皿洗いや、野菜をゆでまくる時間とか、そういう単純作業や、変化のないものに時間を要するのはすごく嫌な気持ちになる。
ただ、今思うと、その物事の価値を私自身が見出せてなかったり、プラスに変換できてなかったからなのかもしれない。
最近、今年選んだ本田健さんの手帳にある「感情日記」というものをつけている。どんな場面でネガティブな感情が起こったのかを書き出す記録。そこともリンクして、自分のことが、自分のものの見方がまた知れた場面だった。
掘っていくと、私のものの見方がよくわかる。
でも、そこから自由になるチャレンジが大事だよって、じんさんは言う。
時間がかかるからっていう、ものの見方や思考を手放した時、凄い変化が訪れるのかもしれない。
好きなことに関しては、なんで?どうやってこうなったんだろう?って探求心がすごいけど、そうじゃないものに関しては全く関心がない。
だから、気が付けば、目の前の相手や周りのことには関心がほとんどなく、特に家族に対しても関心が薄れ、いつからかめちゃくちゃ「自己中」になっているのに気が付いた。
あれ?私いつから人に無関心に、いつからこんなに自己中になったんだっけ?
以前はもっと家族のことをたくさん考えたり、周りの人やいろんなことを気にしまくって、いちいち悩んで落ち込んでたりしてたのに…
それから私は基本を大事に大事に!って思って、いつも習ったことを復唱しながら囲碁を打っていた。ただそれも、なぜそうなのか?とかじゃなくて、習ったときのワードの記憶で囲碁も打ち続けていたもんだから、なんというか、薄っぺらい囲碁ばかりをしていたように思う。
一手一手には全部意味がある。
どうしてそこに打ったのか?
それを、真剣に考えたか?
ただただ、自分はこう!習ったことをこう!って打ち続けることが、実は言われたことだけをやる思考停止状態で、考えることをやめていたことに気づかされた対局だった。
なぜ?どうしてそこに打ったの?
そう考えるようになり、視点が変われば質問が変わる。
質問が変われば学びの場がめちゃくちゃ増える。
その一手や言葉の後ろにある価値観を知ることがとても大切だということ。
言葉一つにしても、何を伝えたくてそれを言ったんだろう?って考える。
全てはそこから生まれる。
そのウラにある意味や言った理由を、目に見えない部分を知ろうとすることがとても大事だよって。
じんさんから、たくさんたくさん教えてもらった。
脳みそは楽したがる。
楽すると結局いつもと同じところへ行く。
私が思う価値で打っていた囲碁。
ここまでで自分のことはなんとなく分ってきた。
だからこれからは、まず相手に関心を持つことからはじめよう。
いろんな価値を知り、今の自分の価値観やモノの見方から自由になって、また一歩前へ進みたい。