【コントとわたし】No2.日の当たる場所へ

ダンチで良いコントが公開されていたので、取り急ぎ感想を書きます。

九月のコントの面白さとして、人間というものへの視座の高さがあるなぁ、と思います。なんていうか、彼は良い邦楽バンドみたいなんだよよな。

久しぶりに、九月のその引き出しが全開だなと感じたコントがこちらです。3:24、マジで曲の尺。

このコントの良いところとしてまず、ここのパンチラインが強すぎるところです。

全部をシャットアウトするのは反発じゃない、一個受け入れて、それを全力で否定するんだよ。(中略)一個を受け入れて、否定してそこで初めて自分が生まれる、自分の主張ができるんだよ。
上記コントより

これ、初見で聞いた時エグいなと思いました。この語彙、めちゃくちゃ良い邦楽っぽいんだよな。特に私は後半の、受け入れて、否定して初めて自分が生まれるのところに度肝を抜かれました。ロックの成り立ちみたいな事言ってるように感じる。

私が、このコントでもうひとつ好きなところがあって、オチを「俺の娘だ〜!」にせずに、「なんかいけた〜!」にしているところがとても好きです。

構造上、反発の話をしているので、受け入れるがオチとしては綺麗なのですが、最後を「なんかいけた」にすることによって、めちゃ深みが出てるなと思います。

ひとつは、父、娘という血縁関係であっても他者であるという距離感(娘のことが分からないままでいる)という現実をしっかりと描いているところで

もうひとつは、主張をしている側がなにを言っているかを必ずしも分かっていないというところと、そういう当人が訳がわからないものに対して、解釈が与えられ、娘(他者)の血肉になっていくという繋がり方が暖かいところが好きです。

特に後者は、私が九月に対してしている、コントを通じて九月を探す営みに近いように感じて嬉しくなりました。

私たちは関係のない他者だけど、作品を解釈することを通じて分かり合えたり、時に九月の持っている(と考えうる)価値観がわたしの一部を形成していくということ、本当に尊く愛おしいです。人間として九月に出会えて良かった。

九月の解釈を題材にしたコントはいくつかあるのですが、その中で最も多幸感があるコントだなと思います。本当にこのコントを世に生み出してくれてありがとう。という気持ちです。

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