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やっぱり夢は叶うんだ
「じゃあ、婚約指輪買いに行こっか」
さらりと言った彼に驚いた。こんなにあっさり言ってくるとは。前から時たま酒が入った勢いで彼にいつ籍を入れるの?と聞いていた。その度に、ちゃんと考えてるよぉと眉毛を下げながら言う彼。入籍はまだ先だと思っていた。
お互い人生の伴侶として共に生きる気持ちはあるが、2人ともバツイチなので慎重だった。特に彼がそうで、入籍するつもりはあるけどまた失敗したらもう立ち直れない、と言っていた。私はそんなこと思ったことがない。やっぱり男はフォルダ分け、女は上書き保存だと毎回このやりとりで実感していた。
なのにだ。
まさかのこの展開。
何が彼を決心させたのかは分からないが、気が変わらないうちに指輪を買いに行く日を決めたい。すぐさま11月初旬の三連休を提案し、無事に決まった。
その日から私の指輪リサーチが始まった。図々しいのは百も承知だが、欲を言えば海外のハイブランドが良いと思っていた。ところが彼もそう思っていて、せっかく買うなら海外のハイブランドが良いと言ってくれた。お言葉に甘えて世界の5大ジュエラーから探すことにした。
5大ジュエラーはティファニー、ハリーウィンストン、ヴァンクリーフ&アーペル、カルティエ、ブルガリ。さて、どれにしようか迷っちゃう!
というわけでもない。お互い以前の結婚ですでに経験済みのブランドがあり、それ以外にしようとなった。ブランドには何の罪もないが、やはり御破算になった結婚で選んだブランドは避けたい。残った候補から好みではないデザインを差し引いた結果、ティファニー1択となった。
ティファニーは価格帯が広く、デザインが豊富なので選びやすい。さらには私の理想のデザインもあり、彼のお財布にも優しい(決して優しい金額ではないが)。これぞまさにWin-Win。あとは買いに行く日を待つのみだった。
……そうなる予定だったはずなのに。
ふと頭にあるブランドがよぎる。
イギリスのジュエラー•GRAFFだ。
ダイアモンドといえばハリー・ウィンストンが有名だが、GRAFFはダイヤモンドコレクターから人気で「21世紀のキングオブダイヤモンド」という異名をもつ。GRAFFとの出会いは今から15年以上前。丸の内OLだった私は、漠然とペニンシュラホテルに憧れていた。そこに入っていたのがGRAFFである。
たしか、大通りに面した外壁にデカデカとGRAFFのポスターが掲示されていたっけ。一面黒バックにどでかい一粒ダイヤが映えるインパクト大のビジュアル。見るからにセレブ御用達である。どんなお店なのか、どれほど素晴らしいダイヤがあるのか知りたかったが、20代前半の私に入店する勇気はない。自分には到底無理と信じ込み、憧れる気持ちを押し殺した。
それから数年後。私は初婚を果たす。
その時にも一瞬GRAFFが頭をよぎったが絶対に貰えることはないだろうと思い、元夫にはGRAFFのことは言わなかった。
そんなGRAFFをこのタイミングで思い出す。絶対に無理と思いながらもググってみた。
すると、あのどでかい高級感溢れる黒ポスターのイメージとは打って変わり、シンプルな白ベースのWebサイトが現れた。なんか雰囲気が変わっている。調べてみると、なんと100万円未満の指輪もある。意外すぎた。すでにティファニーで買っていただくイメージがあったが、GRAFFもいけるかもしれない。恋焦がれたあの気持ちがムクムクと動き出す。後から知ったが、以前は1カラット以上のダイヤしかなかったが、この10年くらいで1カラット未満も取り扱うようになったらしい。
店舗一覧を見ると新宿伊勢丹にあると知る。いつの間にか新宿に上陸していたのだ。この時点でもまだティファニーに9割心を寄せていたが、せっかくならGRAFFにも行こうと決めた。
それからはティファニーとGRAFFのサイトを舐めるように見比べる日々。GRAFFにもドンピシャのデザインがあったが、やはりティファニーよりはお高い。でも、やぁぁぁぁっぱり素敵。さすがに彼に悪いよなぁと思うのに目が離せず、ただただ見入ってうっとりしていた。
そして当日。
たっぷりフレアが特徴のネイビーシャツワンピで身を包み、大粒パールのピアスをつけて念入りにメイクを施す。いつもより気合が入るのは当たり前。古くさいと思われるだろうが、やっぱり婚約指輪は彼から私への愛の証。それをこれから手に入れるのだから、きれいにしないと彼にもハイジュエラーにも失礼である。久しぶりにたっぷり気合を入れた姿を見せつけると、かわいいかわいいと彼もご満悦だった。
この時点でも指輪はティファニーと思っていたし、そのつもりでティファニーのサロンを予約していた。とはいえ、サイトで見る限りGRAFFにも頑張れば手が届く価格もある。もしかしたら店舗には大きなダイヤしかなくて買えないかもしれない、いやそうでないとおかしいと思っていたけど、死ぬまでに1回は入店したい。ティファニーよりも前にGRAFFに向かうことにした。
ドキドキしながら向かうと、思っていたよりもオープンな売場で驚く。品格漂うしつらえだが入りにくさはない。物腰の優しいメンズスタッフに案内され、ショーケースを覗き込む。
初めて目にする21世紀のキングオブダイヤたちはどれも神々しく輝いている。やーーっっっぱり素敵!見惚れながらも素早く価格を確かめると、絶対に無理なわけでもなかった。驚きながら見ていると、ドンピシャな指輪が現れた。
初婚では王道のソリティアリング(一粒ダイヤの指輪)を選んだが、今回はもっと主張が強いデザインにしようと決めていた。これから先、指の節々が太くなってきっとゴツゴツとした手になる。私の母がそうで、そういう手にはデカデカとした指輪がよく似合う。せっかく頂けるのなら死ぬまでつけていたい。しわしわで岩みたいな手でも存在感があるも嫌味のないデザイン。そんな指輪と出会ってしまった。
試着した瞬間、もうこれだと思った。
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しかし、予算よりオーバーしていた。彼の手前、すぐにこれがいいと言うのは気が引ける。そもそもティファニーを予約しているし行かないと先方に悪い。瞬時にいろんな思いと葛藤し、一旦店を後にしてティファニーに向かった。
すぐに案内され、お目当ての指輪を試着する。今朝までこれだと思っていたのに自分でも驚くほどときめかない。GRAFFよりも安いから彼にすればティファニーが良いに決まっている。でも、どうしても選べなかった。やっぱりGRAFFの指輪しか考えられない。
早々にティファニーを後にし彼に相談すると、すぐに快諾してくれた。ティファニーは心あらずだったもんね、せっかく買うなら後悔しないほうがいいよ、と笑う彼。あぁ本当にこの人は優しさの塊でしかない。ニヤニヤしながらGRAFFへ向かった。
私たちを見るやいなや接客してくれたメンズがサッと出迎える。席に案内されるとあの指輪を持ってきた。頼んでもいないのに指輪をとっておいてくれたのだ。もう試着した時点で買うと分かっていたのだろう。さすがである。
この時話して分かったのだが、選んだ指輪のカラット数は珍しいもので、あまり出回らないという。私も初めて聞いたカラット数で、大き過ぎず小さいことはない。しかも実寸よりも大きく見えるのに価格も頑張れば手が届く。ちなみにその日見た限り、0.5カラットと0.75カラットでは50万円の差があった。私が選んだのはその間なので彼の予算よりややオーバーくらいで済んだ。
なかなかこんなダイヤには巡り会えないですよ、と微笑むメンズスタッフ。殺し文句だろうけどこう言われて嬉しくないわけがない。指輪の素晴らしさもさることながら、この方の接客と豊富な知識に心を掴まれたのも決め手である。
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こうやっていろんなことが重なった結果、私の婚約指輪はGRAFFで決まった。夢が叶うとはこういうことなのかと思った。諦めていたのに巡り巡って最高のタイミングで目の前に現れる。もしかしたら、夢とは忘れるくらいのほうが叶うのかもしれない。
しかし、夢を叶えてくれたのは他でもない彼だ。彼が快諾してくれなかったら私の元にはこなかった。感謝の言葉を伝えると彼がこう言った。
「恭子は指輪でも花でも俺の料理でも、毎回喜び方が変わらないね。それが嬉しいよ」
この人は本当に私をよく見てる。私の喜ぶ姿をよぉくよぉく見てくれているんだなと胸がいっぱいになった。指輪はもちろん嬉しいけど、この人と一緒になれることが何よりも嬉しい。
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地元に着くとすぐさま馴染みの居酒屋へ向かった。もう少し洒落た店のほうが良いと思われるだろうけど、私たちのホームである。最高のプレゼントをもらった後はいつもの店でゆっくり過ごしたい気分だった。
どんなに高価な物を頂いても、贅沢しても、二人の原点や日常を忘れない関係性でいられるパートナーが欲しい。それが昔からの夢だった。世界で一番の理解者に出会えたことが、本当の意味で夢が叶ったと言えるかもしれない。
やっぱり夢は叶うんだ。
そんなことを思いながら味わう海鮮と日本酒は格別だった。