「また今度」に秘められた曖昧な時系列
「また今度」
この言葉って、決断を先延ばししているだけ。
「不要」でも
「採用」でもない。
毎日、取捨選択。
小さいことから、大きいことまで
選択して生きている。
商品を買うときに、
どうしよっかなぁ~と考えて、
やっぱりほしいと思って次に行ってみたら
もうなくなってしまっていたという経験を
少なからずお持ちなんじゃないでしょうか?
コロナが私たちに与えたテーマというのは
「あたり前」は「当たり前ではない」ということ。
また、
「個人で考える力」をはぐくみ、
他人のせいにしないで、自分で考えること。
そしてその答えに少なからず自分で責任を取る覚悟。
これをインストールすることなんじゃないかと。
私たちは毎日毎日、
小さいこと「今日のお昼は何にしよう?」からスタートして
「帰り道はこっちにしようか?」「どこで〇〇を買おう?」
みたいな決めごとを繰り返して生活をしている。
その小さいこと。
ほんの些細な事で練習して、いつもと違う決断をしてみたり、
失敗したなぁ~と感じながら人は成長し、大きい選択ができていくわけで
小さいことも人に決めてもらっているようでは、
大きな決断はできない。
自分が何が好きで、
自分がどういうことで喜びを感じるのか?
カニが食べたいのに、
カニカマで誤魔化す毎日を送り続けたいのか?
やっぱりカニを食べるのか?
はたまた
カニはカニでも私は毛ガニが一番好きで、
タラバじゃとって変えられないと思うのか。
全て、小さな小さな自分の決断。
そして、自分への覚悟。
そして、世の中は刻刻と変わっていて、
「また今度」などないと考えて、今を一生懸命生きることが
後悔のない人生を送る第一歩。
って、いろんな情景を毎日見ながら思う。
また今度。
また今度。また今度。
電車で、
次、今度って表現されているけど、
今度ってほんと曖昧すぎていつかわからないわ。
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たになかちよ/足の記録帳
足つぼマニア、あしの研究家、足つぼ二スト、バイヤー
足の不調がきっかけで、コンプレックスの解消と美脚研究に余念がない。趣味は海外旅行とコーヒー。