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『映像研』水崎スバメのセリフが心に突き刺さった話

こんにちは、バーチャルアナウンサーの京野聖也です。

早速ですが、以下のリンクから該当の動画をご視聴ください。

この動画の最後のセリフを聴いて私同様に心に突き刺さった方は、ここから先は私の補足でしかないのでnoteを閉じていただいて構いません。

動画視聴環境にない方のために、セリフ登場のあらすじとセリフの文字起こしを記載しますが、演技含めて名言なので動画をぜひ観ていただきたい。

アニメーションのなかの数秒、チェーンソーが地面に突き刺さる些細な表現に拘るアニメーター志望の水崎ツバメ。
彼女が「誰が観ているかもわからない描写になぜそこまで拘るのか」を問われたときに発したセリフです。

チェーンソーの振動が観たくて死にかかっている人がいるかもしれない。
私はチェーンソーの刃が跳ねる様子を観たいし、その拘りで私は生き延びる。
大半の人が細部を見なくても、私は私を救わなくちゃいけない。
動きの一つ一つに感動する人に、私はここにいるって、言わなくちゃいけないんだ。

このセリフを聴いたときに私はひどく感動しました。
そのときに思ったことは「クリエイターの本髄を見た」

過去のnoteでも触れましたが、Vtuberにしろアニメーターにしろ音楽家にしろ、クリエイターを突き動かしているのは「自分が持っていることを表現したいという欲求」です。

そしてその欲求は観てくれる方がいて初めて満たされるものであります。
その観てくれる人数は多ければ多いほどやりがいに繋がる。

この観てくださる方の人数(以後「数字」と表現します)と、自分が持っていることを表現したいという欲求との兼ね合いは非常に難しいです。

「自分のやりたいことをやっていてもあまり見てもらえない。だからより多くの方が見てくれるようなものに手を出したけれど、これって自分がやりたいことだったのかな……」

こんな悩みを抱えたクリエイターって多いのではないかなと思っています。
まあクリエイターに限った話ではないかもしれませんね。


さて、このあたりで水崎ツバメの名言を引用します。

水崎ツバメは誰が観ているかもわからないような細かい描写に「この拘りで生き延びる」と言えるほどの誇りを持っています。

なぜそこまで誇りを持てるのかというと「チェーンソーの振動が観たくて死にかかっている人がいるかもしれない。」から。

言い換えると「私の拘りに気づいてくれる人が世界には必ずいる、その人に刺さればいいんだ!」といった感じでしょうか。

その今現在はいるかどうかわからない人に向けて必死に仕事を続けることで「私はここにいるって、言わなくちゃいけないんだ。」


Vtuberは出入りの激しい業界で、毎日のように引退ツイートが流れてきます。私より後にデビューした方が私より早く引退してしまうなんてこともありました。

その方の引退理由は表向きは家庭や生活環境の事情でも、本当は数字と表現欲求の兼ね合いが取れず、労力に見合わなかったからかもしれません。

言い方は悪くなってしまうのですが、そういう方はクリエイターに向いていなかったのかもしれません。

クリエイターに必要なのは、水崎ツバメのように「自分が作れる誰が観てくれるかもわからないようなものに拘りと誇りを持ち」「誰かに刺さるまで愚直に表現を続けることで自分で自分を救えること」だと思いました。

そういう意味では引退された方は、自分で自分を救えなかったのかもしれません。

私は競馬実況がやりたくてVtuberを始めました。もちろん拘りがあります。

競馬実況で一番盛り上がるのは最後の直線からゴールに向かうまでのあいだです。

でも私が最もこだわっているのは最後の直線ではなく、スタートして隊列がある程度決まってから最後の直線に向かうまでのあいだ、その馬たちの道中の位置関係を誰よりもわかりやすく表現しようと意識しているところが、私の一番の拘りです。

今はまだリアルタイムで実況はできる環境にありませんが、馬券を握り私の実況を聴いてくれる方に「あなたの応援している馬は馬群のここにいるぞ!この位置から勝負をすると決めたんだ!」と伝えたい。

そんな日が来るまで、私はVtuberであり続けます。


もしお時間があれば以下の動画もご覧ください、きっと刺さる人には刺さるはずです。

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