無痛分娩と普通分娩の話
産後8週間が経った。
ここ10日くらいで、子育てがとても楽しい。はっきりと「ああ、幸せだ…!」と強く感じられるようになった。
思い返すと、いろんなことがあった。
予定日の2週間前に、お医者さんから「血小板がかなり減ってしまったから、母体のために無痛分娩はできません。」と言われた。
わたしは10代の頃から出産の痛みへの恐怖が強くて、それが子どもを産みたくないと思っていた一因だった。
痛みをすごく恐れていたからこそ、「無痛分娩で産んで、子育てを「生きがい」というほど楽しんでいる人」があることを知って、その人の話を聞いて「無痛分娩なら産んでもいいかも」と思えた。
ほんとにね….血小板の数が10万を下回ったら無痛分娩はできない病院がほとんどなことや、自分が血小板が少ない体質であることは、妊娠してから知った。盲点だった。
この時の「もう逃れられない」感はすごかった….。
そこからは、必死で「お産は思ったより痛くなかった」と言っている人の話だけを聞くようにして、安産についての情報を調べまくった。
結果、ソフロロジー分娩にたどりついて、わたしにはとても合っていた。
むしろ、わたしはソフロロジー分娩じゃないと、分娩室で心が折れて、お産が辛いだけの思い出になってしまっていたと思う。
ソフロロジー分娩を実践したおかげで、大変だったけど、夫と赤ちゃんと一緒に乗り越えて、すごく感動したし、人生の走馬灯に確実に出てくるであろう思い出になった。
初めてのお産を経験して分かったのは、わたしはいきむのが苦手かもということ。
だから、陣痛をしっかり感じられる普通分娩だったからこそ、ここまでスムーズに産めたのかもしれない。
ただ、本来なら麻酔を入れてもらえたタイミングがやっぱりいちばん辛かったのは事実。
無痛分娩をした人たちが、そのタイミングで「笑いながら話せるほど余裕があった」「LINEでビデオ通話してた」とか言っているのを聞くと、
「いいなあ。私が身悶えしてる時に、そんな余裕があったのか。そんなに楽に産めるのか….」
「お金で解決できるなら、そのためのお金はあったから、無痛を選べたのに」と、なんだか自分だけが損した気分になったのも事実。
(無痛分娩が楽勝、という意味ではなく、普通分娩に比べたら相当に楽だったのかも、という意味で)
「いきむの苦手だから、安産のためには普通分娩の方が私には合ってたのかも」と母に話したら、同じく普通分娩だった母が
「痛いからこそ赤ちゃんと一緒に頑張ろうって思えるよね」と言っていて、
いや、私が言ってるのはそういう精神的な部分じゃなくて、物理的に、いきむのが下手なら、産み出すためには痛みという作用(?)が働いてくれる必要があったのかも、ということで
「痛みを経験するからこそ母性が芽生える」的な話とは全く違うんだよな、それは全く思わないし、痛くないに越したことないし、と思ったり、
私は無痛分娩という選択肢が選べる世界線で、お医者さんに泣きついたけど「後遺症で一生歩けない体になる可能性があるから辞めときなさい。それでもどうしても普通分娩が怖いなら、まだ帝王切開の方がマシ」とまで言われて。
選べなかったからこそ、自分に与えられた道を正解だったと思うしかないわけで。
自分の中でも気持ちがモヤモヤしていたし、母だからこそ、私の気持ちを分かってほしいっていう甘えもあったんだろうな。
同じ経験をしていても、違う人間だから、感じ方はそれぞれで当たり前なんだけどね。
なんか複雑な話になってしまったけど、今の時代って選択肢が多くて、迷うことがたくさんあるし、
周りのみんなは選んでいるものを、自分は選べなかった、っていう状況は、すごくストレスもうむなあと思った。
選択肢が少ないことって、幸せでもあるのかもしれない。
思わぬかたちでなかなか無い経験をしたけれど、思い通りにいかないことやどうしようもないことに絶望した経験や、そこから立ち直って前に進めた経験は、自分の自信になったし、人を思いやる力につながるのかもしれないと思った。
ほんとに、同じことを経験しても、それをどう意味付けして、何を学ぶのかは自分次第だよね。
この経験を、今後に活かしていきたいなと思う。