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僕の後輩が家庭教師はしたくないと言っていた

僕の後輩が家庭教師はしたくないと言っていた

僕は家庭教師のバイトをしている。その時給は普通の大学生に比べて、おそらく多い方であろう2000円だ。これは交通費も入れた値段なので、だいたい1500円ぐらいが僕の時給である。

家庭教師は素晴らしいアルバイトだ。ただ、時給が良いというだけではなく、大学生である僕にとって、中学生や高校生と話す機会なんてあまりないはずなのに、この家庭教師という立場を使って、そういったことは私とコミュニケーションを取ることができる。さらには家庭教師を呼ぶ家庭というのは基本的には子供をさらに学力を高めてあげたいという思いから、家庭教師を読んでいる家庭が多いことから勉強教えてあげることで、家族の皆様から非常に感謝をされる。

僕としては自分ができることをして、それに応じたお金を頂いているのに、それなのにものすごく人から感謝をされる、このアルバイトは本当に素晴らしいアルバイトだと思う。時給800円のとこで4時間働くのと、家庭教師先で2時間子どもと話をするので、もらえる金額は全く同じなのだ。これは本当に大きな問題だと思う。

そもそも大学生の本質というのは、勉学である。勉学というのは、座学はもちろん、大学生という特別な身分を使ってフィールドワークであったり、実践であったり、様々なことに挑戦することだってできる。社会人と違って、時間的資本が多くある、大学生は、その優位性を使って様々なことにチャレンジすることができる。また、大学生は社会的に見るとまだまだ責任能力の低い存在として見られているので、どんなことにチャレンジしたとしても、大学生だからと社会的な許容がされる。まさにチャレンジするのにふさわしい環境である。

こういった時間を自分にしかできない能力を発揮して、何かしらのアルバイトを得る事で更に良い待遇のアルバイトを見つけて、少しでも時間的資本を自分に残すことは本当に必要なことだと思う。だって、大学生にとってそれが一番大事なんですから。

家庭教師という仕事は大抵の人にはこなすことができる仕事だと思っている。だって、センター試験をくぐり抜けてきた大学生たちなのだから、勉強はそもそもできるはずだ。ちなみに僕の場合は勉強をせずに大学に入学したのでセンター試験を受けていないのだが、それでも小学生や中学生の時に勉強してきた知識を今の、そういった子達に還元することは十分にできる。

そして大学生になってみて、こういった勉強が本当に生きたよ、そしてこういった勉強をしたことが自分の為になったよ、こういった情報を若い子たちに還元してやることで、社会は回るし、それだけで僕は時給2000円を得ることができる。すごく簡単なことだと思う。

そう思っていたんだけど、僕の後輩に、家庭教師をやったらいいんじゃないの、と説明してみると、僕は家庭教師をやりたくないですと言ってきたのだ。理解不能だ。

家庭教師をやれば2時間で4000円が稼げる世界なのに、どうして、時給1000円以下の場所でわざわざアルバイトをするのか、僕には訳が分かりません。もちろん家庭教師は一つの家庭に使うことができる時間は限られているので、月に大量にお金を稼ぐことは難しい。しかし、居酒屋なんかでアルバイトをして家に帰ってくる時間が12時を過ぎてしまっては、次の日の朝にも支障が出るだろうし、友達から誘われた時に柔軟に対応することはできないだろう。

そして僕が家庭教師のアルバイトで、普通の人よりも多くの時給を稼いでいることに対して不快感を覚えていたみたいだ。僕はもしかして象牙の密輸入でもしていたのだろうか。中学生に対して、勉強を教えることがそんなに悪いことなのだろうか。実を言うと、僕はそれが意味がわからない。

1時間で2000円を貰うことがズルだと思うことは人の感性だから否定することはできないけども、自分にしかできない能力を使ってお金を得るということは、他の人が真似をすることができない可能性が高く、その待遇は自分に都合の良い場合が多い。だから、自分はすごく幸せになれるのだ。

その後輩は、生徒からお金を搾取していると考えてるみたいだ。

僕はそんな悪いことはできませんと言われても、きょんもりくんは悪いことをしているのだろうか。欲しいという人がいて、その人にその人が納得する価格で何かを提供することは悪いことなのだろうか。

世の中は欲しいという人のためにものを作っていかなければ、生活していくことができなくなってしまっている。ものを作っても売れない時代と言われるのは、そういったことだろう。

もちろん自分が家庭教師をしないことで、時給2000円分のお金を出す人は減るかもしれない。そして、他の人が時給2000円を得る機会が増えるかもしれない。それはおそらく家庭教師をしないことによって起きる、良いことである。世の中の正義を考えれば、自分の犠牲なんて屁でもないですというのであれば、僕はそれを突き詰めていけばいいと思うし、自分が犠牲になることが嫌なのであれば、自分の幸せを追求してしまえばいいと思う。

今時の若者達は少子高齢化社会に突入しておそらく税金を支払っても年金を支払っても支払った額のお金が自分達の年金として貰える可能性は限りなく低い。つまり、若者は皆幸せになることはできないのである。みんなが幸せになることが出来ないので有れば、考えるべきは一つだけだと思っているが、それは自分だけが幸せになるということだ。

自分だけというのは少し言葉が強すぎるため、もう少し柔らかくするのであれば、自分の望む人達、また物事が幸せになればいいと考えればいいと思う。

意味のない正義なんて捨ててしまった方がいいと思う。僕は最近、自分の正義を貫くために自分の大事なものを捨てた。悔しくて悔しくてたまらなかったが、少し時間が経てば自分の正義を貫いたのだから良かったんじゃないかと少しずつ自分を納得させることができている。

自分が幸せになればいいと思う。突き詰めていけば、自分が幸せにならないことで、他の人が幸せになるかもしれないが、それが幸せだというのならば、僕は苦い顔をしてしまうかもしれない。

本当に音声入力は便利ですよね、自分が話しているので何が間違っているのかっていうのが可視化されますよね。いっぱい誤字もあるだろうし、語尾の統一もされてないかもしれないけど、こうやって自分の思いを手軽に世の中に発信することができるって本当に素晴らしいと思います。

音声入力バンザイ、変な正義はどうなんだろう。

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