【苦研・完】10 中途半端と無関心
前回から今回までの間にAさんに対し震えが止まらなくなることがありました。何かの発作かと思いましたがやはり感情的なものでした。
まだまだ課題もあるのですが、予定通り今回で一区切りにします。
(また書きたいことが出来たら続きます)
どう〆ようかなと思いながら数日たちましたが、
ほぼ2か月経過した時点でやはりそこまで変わってもおらず。
数値にしたら…0.5位(10がMAX)の進化だったかなぁとも思います。
いくつか短くまとめてみました。
敬語について改めて考えた
Aさんはビジネス文書のような言葉遣いをします。
客観的に見ていて、ただ丁寧であれば良いわけじゃない、かえって聞きづらくなることもあるということがわかりました。
シンプルイズベスト
敬語の多用もそうですが、耳に入ってくる会話がくどかったり、思考が混線しているのを感じ、どれだけ無駄な思考や言葉が多いのだと思います。
何度指摘しても、くどさはずっと直らないですね…。シンプルの心地よさを再認識しました。自分も気をつけねば。
Aさんは隠れ蓑
ある意味Aさんの存在のおかげで私のアラが隠れている、とは正直思います。また、Aさんに指摘する手前、ミスできないという気持ちにはなりました。とはいえ私も相変わらず間違えますが…。
逃げと予防線
最近の印象なのですが、指摘しすぎたからか、やり過ごしている感じがします。話をそらしたり返事をしない(違う作業をしている体)こともあります。また、接客で
「こう言ったら怒られるかもしれませんが」
という前置きが増えてきていると気づきました。完全に逃げ腰です。実はAさんの身体(姿勢)もこういう状態なのです。
人として
私が昔怪我をして自宅療養していた3か月目の出先で気づいたことがあるのですが、人と直接関わらないと、絶対「対人力」は落ちます。
Aさんは年齢にしては人(本人自体も含める)の事に興味がなさすぎるのです。Aさんを年相応だと思ってはいけない、と思いました。
『中途半端』
Aさんが何度か「自分は中途半端」と言っていたのですが、その言葉を聞いた時
「私が中途半端だからAさんを引き寄せてしまった…」
と実は思っていました。
ただ 私は私であり、Aさんではありません。
Aさんの今までの話を多少聞いた限りでは、矛盾が沢山あります。
ただのうのうと生きてきただけではないはずなのに…。
自分と照らし合わせながら原因を追究しようと思っていたけれど、深くは関わらないでいようと、というのが苦研を10まで書いての結論です。
無関心。
愛の反対は無関心と言いますし、結局オチがこれか?とも思える寂しい表現かもしれませんが、自分を守るために必要だなと考えました。
今後も気になることがあれば指摘をするけれど(自分が辛いから)、Aさんをどうこうしよう、どうなってほしいという期待に近い想いは薄れました。
あとはAさん次第です。
ここからどう巻き返すか。
私もよい区切りになりました。
そして、私の周りには、見習いたい魅力的人が沢山いるので、次回からはそういう人たちの事を書こうと思います。