「彼氏とは、なんぞ。」52才バツイチ女の、お気楽ひとり暮らし日記#25
女友達から「彼氏に来月会いたいと言ったら、気持ちはYESだけど、今はまだ会えないと言われた」。と連絡を受けました。
みなさんご機嫌いかがでしょうか。きょんです。
こんな感じでですね、私には恋愛にまつわる話が日々集まってまいります。私は恋愛していないのに、なぜだ…と思っていたけど、ひとつ分かったことがあります。
それは、わたしが聞き手に徹するカッコウの『聞き上手』だからだと。だって「へぇ~そうなんだ、私の場合はさぁ、」ってのが私にはないんですもん。
ああ、私も相談してぇ。
さてさて、冒頭の話はですね、彼氏さんが経営する会社が今大変な状況で、気持ちがそれどころじゃないという話でした。もう半年以上会ってないはず。彼女はそれでも、もちろん待つ姿勢なのですが。
いや~待つって簡単に言っても、結構しんどいものですよ。「彼が●●だから、私は待つ」ってやっちゃうと、辛くなっちゃう。だから気持ちのリモコンはあくまで自分が持ってなきゃね。
待つことも愛、ときに離れるのも愛、いろいろありんす。
他にもですね、「絶倫彼氏」「無限LINEする彼氏」「彼女以外勃たなくなった彼氏」など、まぁ色んな話が集まってまいります。
さて、私はここで原点に立ち返りたい。
「彼氏」とは?
昔は「彼氏」という言葉を当たり前に使っておりましたが、今ですね、52才のバツイチ独身という立場になると、昔使っていた「彼氏」の意味合いが正直よく分からんくなってきたんですよ。
「私ってアンタにとって一体何なの?」「私たち付き合ってるんだよね?」とか、そういう立場にこだわる恐怖とためらいがあるかもしれません。
若いときは、自分の立ち位置や肩書きにめちゃくちゃこだわってたんですよ。でも今はどうなんだろう・・分からん。
まわりを見ていると、こじらせた大人の恋愛は意外にややこしくて、自由で、そして純粋なんです。
ああ、いいなぁと思う。
そして、私もその恋に参加できる立場にいる。
それが嬉しくて、思いのほかわくわくしています。
私が20代独身の頃だったら同じように思えただろうか。多分違う。
結婚や、子どもを産むこととか、なんとなく打算的になったり、将来への焦りを感じたりして、今のように純粋にわくわくとは思えなかったと思うのです。
20代の頃に想像した「将来」の年齢を、今の私の年齢はとっくに飛び越えてる。だから、今を楽しめるのだと思います。
「彼氏」とか「彼女」って、ある意味ビッグワードですよね。それぞれの解釈があるし、求めることも違うんだろうと。
彼氏・彼女という肩書きだから大切にされているとも限らないし、そんな肩書きがなくとも、信頼し合って付き合っている人も大勢いますもの。
これを自分事として考えてみると、、、
例えば、目の前に「いいな」と思っている人がいたとする。10代20代なら勢いそのままだったけど、「始めることへのためらい」のような気持ち、持ったことはありませんか? 私は、あります。
だって、始まらなければ、終わらないでしょ?
手に入れなければ、失わない。
いや、そもそも”手に入る”ものなんて、ない。
あーあ、しんきくさいね~やだやだ。
しばらく恋と縁遠いと、こうなっちゃうのかしら。
でも物事ってすべて表裏があるんですよね。どちらか片方だけ味わおうというのがそもそも違う。前にばかり進むブランコがないように、後ろがあるからこそ前へも飛び出せる。
ただし、恋愛を始めるときにこんな風に考え始めるとドツボですよね。
離婚後、そういうお話をいただいたときも、ためらうところがあり結局一度もパートナーをつくらず今に至ります。
結局、ためらいを超えるほど始めたいと思える人がいなかったってことです。
そんな私を見て、ある友達が言ってくれたんです。
「私は、彼と始められなかったことを死ぬほど後悔してる。だから私は始めることを恐れない」って。
彼女は過去、最愛の人がいたんですが、終わりがくることが怖くて始めることをためらっているうちに、好きな人が還らぬ人になってしまった。そんな経験があります。
彼女は、今もその彼を愛しながら、新しい恋にも前向きなんです。
そんな彼女の話を聞いていると、私も、もし好きな人ができたら、ためらう必要はどこにもないなと。そう思えました。
迷ってる時間は、大人にはそれほどないんだからね。
ていうか、そもそも恋は頭でするもんじゃない。子宮でするもんだ!
為せば成る、なるようになる。気の向くまま思いのまま。そんな恋がいつかやってきてくれますように。
いつかここで皆さんに良いご報告ができたら嬉しいなぁなんて。
さいごまで読んでいただきありがとうございます。
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