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戯曲『邂談~しんぶつまみえて~』


『邂談(かいだん)~しんぶつまみえて~』

作 我々は寝ないんだよ倶楽部
(渡辺キョウスケ・安島崇・鈴木千慧・小林千紘)


◆登場人物
鶴泉南雲(つるみ なぐも) 怪談師

白峰聖(しらみね ひじり) 神父
市川虚空(いちかわ こくう) 破戒僧

小岩井泰蔵(こいわい たいぞう) 旧華族
小岩井絹枝(こいわい きぬえ) 泰蔵の妻
小岩井楓(こいわい かえで) 泰蔵の娘
板倉(いたくら) 小岩井家の老執事 

御手洗抄子(みたらい しょうこ) 語り部の女


 舞台に一筋の照明。
 その下に抄子が一人立っている。

抄子「親の心子知らず、とは良く言いますが、子供の心だって親にもそうそうわかるものではありません。ましてや、それが継母であれば尚更というもの。今回お話しするのはそんな物語です」

 場面、南雲の屋敷。閉じられた襖(ふすま)が一対。
 板倉がやって来る。
 板倉、襖を開けようとする。

南雲「お入りください」
 
 襖、開く。
 中で南雲が文机(ふづくえ)で書物を読んでいる。

抄子「この眼鏡の男の名は、鶴泉南雲。怪談師を生業としています。怪談師というのは、夏の暑い時期に人を集めて、幽霊話や妖怪話といった、所謂(いわゆる)怪談というやつを話して聞かせて、それによってお客様に涼をとってもらい、その報酬として木戸銭をいただくという、吝嗇(けち)な興行師でございます。この男の元に、一人の老紳士が訪ねて来るところから、この物語は始まります」

 抄子、退場。

板倉「鶴泉南雲様ですね」
南雲「如何にも。貴方がご連絡いただいた――」
板倉「はい、板倉と申します――本日は、鶴泉様に急ぎご相談があり、こうして参りました次第にございます」
南雲「さて、僕に相談事とは一体何でしょう」
板倉「あやかし退治でございます」
南雲「退治とはまた物騒な。僕は一介の怪談師ですよ。訪ねる相手をお間違いでは」
板倉「貴方様が本業の傍、怪事件の数々を解決しているのは存じ上げております」
南雲「あやかしなんてものは存在しない。僕が語る怪談はあくまでフィクション、作り話だ。申し訳ありませんが、僕は忙しいんだ。お引き取り願えますか」
板倉「鶴泉ゑい――貴方のお師匠様ですね」
南雲「(やや間があって)――師匠の名をご存知なんですね」
板倉「ええ。私が使えております奥様がゑい様とは旧知の間柄でして――嘗てゑい様にその不思議な力で助けていただいたことがあるとか」
南雲「・・・」
板倉「また何かあった時には自分を頼れと、生前のゑい様に仰っていただいたそうで」
南雲「――やれやれ、巡業が近いというのに。師匠の名前を出されては、引き受ける他ありませんかね」
板倉「車を用意しております。奥様がお待ちです」

 二人、退場。
 入れ替わりに抄子、登場。

抄子「小岩井泰蔵。旧華族の家柄にして、GHQによる財閥解体の後も尚その財力を保ち、政界との繋がりもある大物です。依頼主はその妻、絹枝からのものでした。曰く――娘に何かが取り憑いている。それを祓ってほしい――。南雲は執事の板倉に連れられ、屋敷へとやって来たのでした」

 抄子、退場。
 舞台、小岩井家の屋敷の応接室に。
 絹枝、南雲を出迎える。

絹枝「ようこそおいで下さいました。小岩井泰蔵の妻、絹枝と申します」
南雲「初めまして。ゑいの弟子、鶴泉南雲と申します。師匠とは、お知り合いだったそうで」
絹枝「ええ。いつまでもお若い方だと思っていたのに、まさか亡くなられたとは――残念です」
南雲「僕も未だに信じられません。ですが、こうなった以上は、師匠との約束、僕が引き継がせていただきます」
絹枝「有り難うございます。そろそろ主人も見えると思うんですが」

 そこに、泰蔵がやってくる。

絹枝「あ、貴方」
泰蔵「すまない、遅くなって。ちょっと仕事が立て込んでてね」
絹枝「貴方、何もこんな時にまで。楓さんの為に来てくださったのよ」
泰蔵「仕方無いだろ。私だってこの家を守るのに必死なんだ」
絹枝「自分の娘と家柄、どちらが大事なんですか」
泰蔵「やめないか人前で。(南雲に)いやあ、すまないね。君が鶴泉くんだね。妻から話は聞いているよ。ただ、申し訳ないんだが――」
絹枝「どうしたんです」
泰蔵「いやね、私も私で、その、何だ、こうした件についての“専門家”を、別に呼んでしまっていてね」
絹枝「えっ――そんなこと、私聞いていませんよ」
泰蔵「私だって楓のことは心配しているんだ。だから、方々探して呼んでみたら、まさか、君にそんな伝手があるとは思わなかったから――」
南雲「で、その“専門家”というのはどういった――」
「僕ですよ」

 聖、現れる。

南雲「貴方は?」
「白峰聖、聖騎士団(せいきしだん)より派遣されました、神父です」
南雲「聖騎士団?」
絹枝「神父?」
泰蔵「よく来てくださいました白峰さん。(絹枝に)この方はね、キリスト教圏内における怪異の討伐を目的とした聖職者たちの組織、その名も“聖騎士団”の一員でね、戦後、信教の自由が認められて以降は、GHQによる支援もあって日本にもその支部が――」
「まあ、僕の話はそれ位で――小岩井卿、そして奥様、娘さんのことは僕にお任せください」
泰蔵「おお、何と頼もしい」
「それで――(南雲の方を一瞥し)そちらの方は?」
南雲「鶴泉南雲、怪談師です」
「怪談師?(鼻で笑って)鶴泉南雲、ねえ」
南雲「芸名ですよ。鶴屋南北と小泉八雲から一文字ずつ頂戴しているんです」
「そんなことは聞いていない。怪談師風情に一体何が出来るというのです」
南雲「怪談はお嫌いですか」
「ええ、嫌いですね。俗っぽくて、そして何より人心を惑わす。この世には必要の無いものです」
南雲「おやおや、随分な言われようだ」
泰蔵「まあまあ。あやかし退治の手が多いに越したことはないからな。頼みましたよ、お二人さん」
「ふん、まあいいでしょう。くれぐれも邪魔だけはしないでください」
南雲「はあ」
泰蔵「おお、そういえばお茶をお出ししていませんでしたな。板倉、何をボサっとしている。さっさと持ってこないか」
板倉「かしこまりました」
 
 板倉、退場。

「では、早速ですが、娘さんのご容態についてお聞かせ願えますか」
絹枝「はい。半年程前からでしょうか。私達の娘――楓が、見えない何かに向かって話をするようになったのです」

 一筋の照明。
 その下に楓、登場。

「(虚空に向かって)ねえ、聞いて。今日ね、お庭にシロツメクサが沢山咲いていたの。それでね、私、それを摘んで花冠を作ったのよ。ほら、これ。素敵でしょ。ねえ、これ被ってみて。(何かに被せて)わあ、とっても似合ってる。え?うん、どういたしまして」
絹枝「まあ、この位の年頃の子供であれば、そういった一人遊びも珍しくないと思い、大して気にも留めていなかったのですが、日を追うごとにその時間が長くなっていき、やがて自分の部屋にこもりがちになり、それとばかり話をするようになりました。(楓の部屋をノックして)楓さん、楓さん、いい加減出てらっしゃい。部屋にこもって、もう何日も経っているのよ。お願いだから出てきて頂戴」
「嫌、出たくない」
絹枝「いつまでも家の中にいると体にも毒よ。たまには外に出て、お日様の光を浴びないと――」
「光は嫌!」

 部屋の照明が割れる音。
 絹枝、悲鳴を上げる。
 舞台が闇に包まれる。

「――明るい所には出たくないって言ってるわ」

 楓、退場。
 明転。
 舞台、応接室に戻る。

「――成程。部屋の照明が勝手に」
絹枝「その様な事がその後も続いて、もう私達にはどうしたらいいのやら――」
泰蔵「それでこうして、白峰さんにお願いして来ていただいたという次第です」
「大体の話は分かりました。やはりこれは、悪魔の仕業のようですね」
絹枝「悪魔・・・!?」
泰蔵「何と言う事だ――白峰さん、どうか楓をお救い下さい!」
「任せてください、その為の聖騎士団です」
南雲「一寸(ちょっと)宜しいでしょうか」
「何だ、怪談師」
南雲「いえね、職業柄、どうしても話の筋、因果というものが気になりまして」
絹枝「因果、ですか」
南雲「ええ、何かこうなった原因に、心辺りなどはございませんか」
絹枝「それは――」

 と、奥の方から、キャアという女中の叫び声。

泰蔵「何だ、また悪魔の仕業か!?」

 汚らしい見た目の男、板倉に追いかけられて入って来る。
 男、手には握り飯。

「待て待て、儂(わし)は怪しいものではない」
板倉「黙れ乞食。貴様、何処から入った」
泰蔵「何だ、この汚らしい男は」
板倉「台所に忍び込み、女中の賄いの握り飯を盗み食いしておったのです。この盗人め、警察に突き出してやる」
「さっきから乞食だの盗人だのと、儂を追い立ておって。旅の僧に握り飯一つ分け与えんとは、大層立派なお屋敷だが、随分と吝嗇臭い話じゃないか。ええ?」
「旅の僧?」
南雲「貴方、御坊様なのですか」
「(居ずまいを正し)左様。拙僧(せっそう)の名は市川虚空。修行の身で全国を旅して周っておる。この屋敷の主人はどなたかな」
泰蔵「私だが」
市川「勝手に飯を食い、ワインを開けたのは申し訳なかった」
板倉「ワインも開けたのか」
市川「(無視して)一宿一飯(いっしゅくいっぱん)の恩義、という訳ではないが、何かお困り事があれば、この市川、力を貸そうではないか」
「(割って入り)小岩井卿、今はこんな生臭坊主の相手をしている場合ではありません。一刻も早く、娘さんに取り憑いた悪魔を払わなくては――」
市川「悪魔?何だ、悪魔というのは」
南雲「実はかくかくしかじか」
市川「おお何と、そんなことが」
「おい、余計なことを言うな怪談師」
市川「よおし、分かった。この市川、娘さんの為に一肌脱ごうではないか」
「脱がなくていい。小岩井卿、耳を貸してはなりません」
南雲「まあ、いいではありませんか。小岩井卿も先程、あやかし退治の手は多い方が良いと仰っていたことですし。ねえ、小岩井卿」
泰蔵「う、うむ、そうだな」
「小岩井卿!」
市川「(聖に)よろしくな小僧。そうと決まれば、戦の前に腹ごしらえだ!」
板倉「まだ食うのか・・・」

 各々、部屋を出て行く。
 出て行こうとする南雲を、聖が呼び止める。

「おい怪談師、何のつもりだ」
南雲「何のつもり、とは」
「あんな何処の馬の骨とも分からん奴を引き込んで、何を企んでいる」
南雲「何も企んじゃいませんよ。ただ僕は、師匠の約束を弟子として代わりに果たすだけだ。だから楓さんを助けるためには全力を尽くすし、貴方の言う悪魔を祓うのは、僕でなくてもいいと考えています。その手立ては多い方がいい」
「・・・」
南雲「無論、貴方も頼りにしていますよ」
「フン、言われるまでもない」

 二人、退場する。
 抄子、登場。

抄子「こうして、怪談師、神父、破戒僧という奇妙な三人組は、取り憑いた悪魔を祓うべく、娘の部屋へとやって来たのでした」

 抄子、退場。
 入れ替わりに、南雲、聖、市川、小岩井夫妻、登場。
 場面、娘の部屋の前に。
 絹枝、部屋のドアをノックする。

絹枝「楓さん、楓さん、貴方の為に皆さん来てくださったのよ。開けて頂戴」

 返事が無い。

泰蔵「この通り、近頃は返事もせんのです。どうしたものか――」
「失礼。(前に出てドアをノックし)楓さん、聞こえますか。私は聖騎士団から派遣されて参りました、白峰聖と申します。私は、貴方を悪魔の手より救いに参りました。どうか扉を開けてください」
市川「おおい、出て来おい。こんな所に籠ってると、黴(かび)が生えちまうぞ」

 やはり返事がない。

市川「駄目か――死んでんじゃねえのか?」
絹枝「そんな・・・!?」
泰蔵「おい、君!」
南雲「(前に出て)宜しいですか」

 南雲、右腕の包帯をスルスルと解き始める。
 その下からは、経文さながらにびっしりと書かれた文字。
 そして、手の甲には血の様な紅色(あかいろ)で「怪」の一文字。
 掌には、同じく紅色で、目を模した文様が描かれている。
 南雲、ドアの前に掌を翳(かざ)す。

南雲「(呟くように)千代さん、お願いします」

 すると、内側からドアの鍵が、ガチャリ、と開く。

南雲「開きました」
市川「やや、何と面妖な――お前さん、一体何をしたんだ」
南雲「内側からドアの鍵を開けました――僕の使役するあやかしの力です」
市川「あやかし・・・!?」
南雲「僕は、自分の躰に刻んだ怪談に登場する、あやかしの力を使うことが出来るのです」
市川「はあ、そいつは便利だな」
南雲「そんなに良い物ではありませんよ――さあ、中に入りましょう」
「待て」
南雲「何か」
「聞いたことがある・・・怪しげな異能を用い、政府転覆を目論む一団が存在すると」
泰蔵「政府、転覆・・・!?」
「確か、名前は『無明(むみょう)』」
市川「・・・」
南雲「僕がその、無明とやらの一員だと?」
「可能性はある。一介の怪談師ごときが、そのような奇妙な術を使えるわけもない――今回の件も、旧華族で政府とのつながりもある小岩井卿に取り入る為に仕組んだ、お前の自作自演なんじゃないのか」
市川「おいお前、本当にそうなのか」
南雲「面白い想像ですね――少々、“レアリテ”には欠けますが」
「はぐらかすな。悪魔の前に、お前を始末してもいいんだぞ」

 二人の間に緊張が走る。

絹枝「(割って入り)待ってください。彼を呼んだのは私です。それに――今のは、彼の一門に伝わる、術の様なものです。私も以前、それによって彼のお師匠様に助けていただいたことがあります。決して人に仇(あだ)成す業(わざ)ではありません」
「――奥様がそう仰るのであれば。(南雲に)少しでも妙な動きを見せてみろ。その不気味な右手を吹き飛ばしてやる」
南雲「吹き飛ばすとは、穏やかではないですね。くわばらくわばら」
「(舌打ちして)小岩井卿と奥様は下がっていてください。此処からは我々が」
泰蔵「どうか、娘を・・・!」

 泰蔵と絹枝、退場。

「よし、行くぞお前ら」
市川「(小さく南雲に)俺はお前を信じていたよ」

 三人、部屋の中に入る。

市川「何だあ、暗くて良く見えねえぞ」
「楓さん、何処にいらっしゃいますか。楓さん」
南雲「千代さん」

 南雲の掌から、ボウッ、と小さな炎が立ち昇る。

市川「お、人魂(ひとだま)か」
南雲「その様なものです」
「おい、あれ――」

 その明かりで、部屋の隅に蹲る人影がボンヤリと浮かび上がる。

「楓さん――」

 聖、楓に近づき、その肩に触れようとする。
 と、楓、突如、バッと振り向き、この世のものとは思えぬ叫び声を上げる。

「唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖!!!」

 すると、その声に呼ばれるように、楓の躰を巨大な黒い影が包み込む。

市川「な、何だあこりゃあ!?」
「出たな悪魔!聖騎士団の名の下に、この白峰聖が滅してくれる!」

 聖、懐から聖書を取り出す。

「(聖書を開き)天にまします我らの父よ。願わくば御名を崇めさせたまえ・・・」
市川「おいおい、そんなもん読んで、本当に効くのか?」
「(構わず)我らに罪を成す者を我らが許すが如く、我らの罪も許したまえ。我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ――」

 すると、聖書から一丁の銃が出てくる。

市川「何い!?聖書から銃が出てきたあ!?」
「(銃を構え)言ったでしょう、吹き飛ばすと」

 聖、銃の引き金を引く。
 悪魔の右腕が吹き飛ぶ。
 悪魔、叫び声を上げる。

市川「おお!効いてるぞ!」

 聖、容赦なく銃を連射する。
 悪魔の四肢が吹き飛んでいく。
 悪魔の影、楓を包み込んでいる部分だけになる。
 聖、小瓶を取り出し、聖水を悪魔目掛けて放つ。
 悪魔の影、叫び声をあげる。

「――アーメン」

 悪魔の影、楓の躰を離れていく。

「終わりました」
市川「何だ、随分呆気なかったな」
南雲「そうですね――」
「(楓に駆け寄り)大丈夫ですか」
「私は、一体――」
「貴方は悪魔に取り憑かれていたんです。けれども安心してください。その悪魔は私が滅しました。貴方の悪夢は今日で終わりです」
「有り難う、神父様・・・!」

 楓、聖に抱き着く。

市川「これにて一件落着だな。安心したら腹が減ったな。もう一杯ご馳走になるか(出て行こうとする)」
南雲「――待ってください」
市川「どうした?」
南雲「何か、様子がおかしい」
市川「え?」

 よく見ると、楓が聖の首を締め上げている。

「がっ・・・!?」
「お礼に、アンタの好きな神様の元へ送ってあげるわ――」
南雲「いけない・・・!」

 南雲、駆け寄ろうとした刹那、楓の元に悪魔の影が戻って来る。
 影が楓と共に聖を取り込もうとする。

南雲「白峰さん!」

 もうろうとする意識の中、聖は幻影を見る。
 大人の人影が一つと、子供の人影が二つ。
 大人の影、子供の影Aの一人を鞭で打つ。

子供の影A「きゃあ!」
大人の影「また言いつけを破ったな、静流(しずる)」
子供の影A「ごめんなさい、お父様」
大人の影「(一冊の本を取り出し、その表紙を見て)骸坂狂太郎・著、怪奇小説集『首吊りの森』――勉強もせず、こんな低俗なものを読んで――」

 人の影、再び子供の影Aを鞭で打とうとする。
 子供の影Bが止めに入る。

子供の影B「止めてください、父さん」
大人の影「どきなさい、聖。これは静流の為なんだ」
「これは、僕の子供時代の・・・?」
子供の影B「でも――」
大人の影「お前も私に逆らうのか――」

 大人の影、子供の影Bを何度も鞭で打つ。

子供の影B「あああああ!!」
「――父さんは、敬虔なクリスチャンだった。とても優しい人だった父さんは、母さんが不倫の末に家を出ていってからは、僕と妹の静流に厳しく当たるようになった」
大人の影「お前達には、あのふしだらな女の血が流れている――だから私がこうやって躾けてやらなければならんのだ・・・!」

 父の影、聖と静流の影を鞭で打つ。

「やめろ・・・やめろおおお!!」

 と突如、市川が躍り出る。

市川「(耳を劈くばかりの大声で)喝ッ!!!!!」

 すると、影たちがその声に吹き飛ばされるかのように消え去る。

南雲「和尚、貴方、今何を・・・?」
市川「(高笑いして)ハッハッハ、悪魔め。大声を出したら、吃驚(びっくり)して怯(ひる)みよった!さ、今の内にその小僧を」

 南雲、倒れている聖を抱える。
 三人、楓の部屋を立ち去る。
 残された楓、虚空に向かって話しかける。

「ずっと一緒にいてね、お母さま」

 楓、退場。
 入れ替わりに、南雲、聖、市川、小岩井夫妻、登場。
 場面、応接室に。
 市川、握り飯を食っている。

「申し訳ありません、僕が取り乱したせいで――」
絹枝「いえ、ご無事だったのが何よりですわ」
市川「(飯を食いながら)そうそう、命あっての物種だからな」
泰蔵「しかし、参りましたな。聖騎士団の方でも退治出来ないとなると、一体どうすれば――」
南雲「そう言えば奥様、先程は話が途中になってしまいましたが、楓さんが悪魔に取り憑かれたその原因、何か心当たりがあるようでしたが」
絹枝「ええ――楓さんは、私の実の娘ではないのです」
泰蔵「おい、絹枝――」
絹枝「隠し立てするようなことではないでしょう――あの子は、この人と、前の奥さんとの間の子供なんです」
市川「その前の奥さんは?」
泰蔵「数年前に病気で亡くなりました。その後に絹枝と」
絹枝「あの子の部屋の戸に耳をそばだてて中の声を聞いてみたんです。すると中から、あの子が『お母さま』と呟く声が聞こえました――もしかすると、あの子は悪魔を自分の母親だと思っているのかもしれません」
南雲「貴方を呼んだのではなく、ですか」
絹枝「(悲し気な表情を浮かべ)あの子は、私を母と呼んだことはありません」
南雲「そうですか――」
「だとすると、悪魔は楓さんが母親を想う心に付け入り、取り憑いているのかもしれない――此奴は厄介だな」
市川「何が厄介なんだ」
「悪魔はおそらく、楓さんの感情を原動力にしているんだ。そうなると、彼女の心をどうにかしないと、悪魔は倒せない」
絹枝「私が、彼女の母親になってあげられないから、このようなことに・・・実の母親ではない私では、やはり無理なのでしょうか・・・」
泰蔵「絹枝・・・(絹枝の肩を抱く)」
南雲「そんなことはありませんよ」
絹枝「えっ」
南雲「私は、実の親の顔を知りません――私は孤児(みなしご)でしてね。幼い頃に師匠のゑいに拾われ、育てられたのです。しかし、私は彼女のことを実の親のように思っています」
絹枝「・・・私も、ゑいさんの様になれるでしょうか」
南雲「分かりません――しかし少なくとも、血が繋がっていなくても家族にはなれるし、血が繋がっていればいいというものでもない。僕はそう思います」
絹枝「南雲さん・・・」
「・・・」
市川「その為にも、さっさとあの悪魔の野郎を退治しちまわねえとな。よし、腹も膨れたことだし、第二戦と参りますか」
南雲「ええ――そうですね」

 と、悲鳴が聞こえる。

絹枝「楓さん・・・!?」

 一同、退場。
 場面、再び楓の部屋に。
 楓、悪魔の影に取り囲まれている。

「お母さま、どうしたの・・・?どうしてそんな怖い顔してるの・・・?」

 駆けつける南雲、聖、市川。

市川「おい、どうなってんだ?先刻(さっき)までとは様子が違うぞ」
南雲「もう母親のふりをする必要が無くなったということでしょう」
悪魔「この娘の想いを糧(かて)に、私は充分に力を得た!貴様らは生贄(いけにえ)だ!」
「そんな!」
南雲「和尚、先程の一喝、またお願い出来ませんか」
市川「それが、先刻ので喉をやっちまったみたいでな。大きい声はもう・・・」
南雲「参りましたね・・・」

 悪魔の影、南雲達に襲い掛かる。
 南雲達、それを避け、逃げ回る。

市川「(聖に)おい小僧、さっきの銃で反撃出来ないのか!」
「・・・!」

 聖、銃を構える。
 と、声が聞こえる。

父の声「聖、お前は父親に銃を向けるのか・・・?」
「父さん・・・?」
父の声「まだ躾けが足りないようだ――折檻が必要だな!」
「ううう・・・!」

 聖、引き金を引けない。
 悪魔、聖に襲い掛かる。
 市川、寸でのところで聖を突き飛ばし、悪魔を躱(かわ)す。

市川「馬鹿野郎!何やってんだ!」
「僕は・・・僕は・・・!」

 悪魔、南雲達を取り囲む。

南雲「くそっ、この儘(まま)では・・・!」
絹枝「楓さん!!」

 絹枝、部屋に駆け込んでくる。

南雲「絹枝さん!」
泰蔵「(部屋の入り口で)絹枝、止せ!危ないぞ!」
絹枝「楓さん、早くこの部屋から逃げて!」
悪魔「邪魔をするな、女!」

 悪魔の影、絹枝を襲う。
 爪の様なものが、絹枝の腕を切りつける。

絹枝「きゃあ!!」

 絹枝、その場に倒れる。

泰蔵「絹枝!」
「おば様!」

 楓、絹枝に駆け寄る。

「おば様、大丈夫?」
絹枝「私は大丈夫・・・楓さんこそ、怪我はない?」
「どうして・・・私はおば様の本当の娘じゃないのに・・・」
絹枝「貴方がそう思ってくれなくても――私にとって、貴方は私の大切な娘だもの」
「おば様・・・」

 楓の反応に呼応して、悪魔の動きが止む。

悪魔「オオオ・・・」
市川「何だ、急に悪魔が大人しくなったぞ?」
南雲「悪魔の力が弱まっている――楓さん、聞いてください。貴方に取り憑いていたのは、貴方のお母さまではありません。貴方のお母さまは、数年前に亡くなったのです」
「・・・」
泰蔵「君、何も、子供相手にそんなハッキリと・・・!」
絹枝「(制して)貴方。(南雲に)続けてください」
南雲「怪談師の僕がこんなことを言うのも何ですが、人が死んでも、その魂は残るなんていうのはファンタジイ、生きている人間がでっちあげたまやかしだ――僕が使役するあやかしも、そしてここにいる、貴方のお母さまのフリをした悪魔もね」
「いるもん・・・お母さまはまだいるもん!」
悪魔「オオオ・・・!」

 悪魔、再び動き出し、南雲を襲おうとする。

南雲「!」

 聖、その前に立ちふさがる。

「(震えながら銃を構え)・・・」
南雲「白峰さん・・・」
悪魔「(聖の父の声で)聖、どきなさい・・・」
「父さん…あなたは僕ら兄妹を愛してはいなかった。あなたは僕らに、憎き母の面影を見ていただけだ…」
悪魔「貴様、逆らう気か!私は父親だぞ!」
「たとえあなたが本物の父でも——親とは呼べない」

 聖、引き金を引く。
 弾丸、悪魔を撃ち抜く。

悪魔「ギャアアアアア!!」
「さっさと話を終わらせろ、怪談師」
南雲「(ニコリと笑い)承知しました――楓さん。貴方のお母さまがまだいるというのなら、それは、貴方の記憶の中にいるのです。もう会うことは出来ないけれど、貴方がお母さまを覚えている限り、お母さまは貴方の中にずっと居続けるのです。それでいいじゃあありませんか。それを受け入れるのは悲しいことかもしれない。しかし、それ以上のことをフィクション、作り事に求めようとすれば、大事な”レアリテ”をも失ってしまうかもしれませんよ」
「大事な、レアリテ?」
南雲「貴方の、すぐそばにあるものですよ」

 楓、顔を上げる。
 そこには、楓を慈しむ絹枝の顔がある。

「お母さま・・・!」

 楓、絹枝に抱き着く。

悪魔「オオオ・・・!」
市川「悪魔が、消えていく・・・」

 悪魔の影が消え去って、部屋に光が差し込む。

泰蔵「楓!絹枝!」

 泰蔵、二人に駆け寄り、その肩を抱く。

「(抱き合う三人を見て)――礼を言うぞ、怪談師」
南雲「はて、何のことでしょう」
「お前は見えていなかったのか」
南雲「貴方の姿が霧に包まれていたのは分かりましたが――何か見えていたのですか」
「見えていなかったのならいい」
「(泣きながら)ごめんなさい、お父様、お母様」
泰蔵「いいんだ楓。私こそ、お前の寂しさを分かってやれなかった。許してくれ」
「私ね、死んだお母様に会いたかったの。寂しくて毎日泣いていたわ。そうしたら、お母様を生き返らせる方法が分かったの」
南雲「方法?」
「生き返らせる為のおまじないが書いてある本があって、そこに書いてある通りにおまじないを唱えて、生き返らせたい人を思い浮かべるの。そうしたら目の前に、お母さまの影が現れて――」
市川「――その本、一体誰が?」
「爺やよ。爺やが教えてくれたの」
絹枝「板倉が・・・!?」
「でも、爺やには言われていたの。このおまじないは唱えちゃいけないって。でも私、どうしてもお母さまに会いたくて――ごめんなさい、ごめんなさい(泣く)」
「――やるなと言えばやりたくなるのが子供というもの。ましてや、死んだ母親に会えるというのであれば尚更。それを分かって方法だけ教え、自ら約束を破らせて罪悪感を植え付ける――最も卑劣なやり口だ」
泰蔵「そう言えば、板倉は何処に・・・!?」
南雲「姿が無いと言う事は、どうやら既に逃げ去ったようですね」
絹枝「まさか、本当に板倉がそんなことを――」
市川「あの野郎、とんだ狸爺ィだぜ」
南雲「彼の行方は、私の知り合いの刑事に探させましょう。こうした事件を専門にしている男です」
泰蔵「鶴泉さん、そして白峰さん、この度は本当に有難うございました。貴方達がいなかったら、今頃娘はどうなっていたことか――(二人に握手を求める)」
南雲「私は大したことはしていませんよ。こちらの神父様が勇猛果敢に悪魔と戦ってくれたお蔭です」
「いや、僕は――」
泰蔵「(聖の手を握り)有り難うございます。流石、私の見込んだお方だ」市川「(咳払いして)誰か忘れてはおらんかな」
泰蔵「おお、失敬失敬。貴方にもお礼を・・・」

 泰蔵、市川の汚さに握手を躊躇う。

市川「どうした?」
泰蔵「ああ、いや・・・」
市川「(抱きついて)遠慮するな!また何かあれば拙僧が力になろうぞ!」
泰蔵「く、臭い・・・!」
絹枝「楓さん」
「なあに?」
絹枝「良かったら私に、貴方のお母さまのお話を聞かせて頂戴」
「えっ」
絹枝「失った悲しみを消すことは出来ないけれど、その悲しみを分かち合うことは私にも出来ると思うの。私達、まずはそこから始めましょう」
「うん――」
絹枝「さあ、いらっしゃい。向こうで暖かいミルクでも飲みましょう――(南雲に)南雲さん。素敵な”お話”、有り難うございました(一礼する)」

 小岩井一家、退場。

南雲「そう言えば、先程はすみませんでした」
市川「ん?何がだ?」
南雲「御坊様と神父様の前で、死後の魂なんてものはでっち上げだ、等と――怪談師の戯言だと思ってお許しください」
市川「ああ、気にするな。大事なのは、あの嬢ちゃんが前を向いて生きて行けるかどうかだ。(聖に)なあ、神父様」
「今回は少しばかり助けられたからな。その程度は聞き流してやろう」
南雲「有り難うございます」
「しかし、僕はまだお前のことを信用した訳ではないからな――鶴泉南雲」
南雲「おや、ようやく名前で呼んでいただけましたか」
「フン・・・無明だと分かり次第、その腕を吹き飛ばしてやる」
南雲「そうならないことを、神仏(しんぶつ)に祈るとしましょうか」
市川「(二人の間に入り)まあまあまあ、口喧嘩はそこまでだご両人。ここは一つ、悪魔退治の祝賀会とでも洒落込もうじゃないか。さっき台所に忍び込んだ折に、旨そうな洋酒がズラリと棚に並んでいるのを見つけてな。あれだけあるんだ、一本や二本、いや五、六本開けても文句は言われまい――って、あれ?」

 市川、南雲と聖が既に立ち去っていることに気付く。

市川「素直じゃねえ奴らだ・・・さてと」

 市川、退場。
 場面、何処かの裏路地に代わる。
 板倉、手に古い本を持って駆け込んでくる。

板倉「(追っ手を気にしながら)・・・」
抄子「何や、こんなトコにおったんかいな。板倉はん」
板倉「!? ・・・誰だお前は」
抄子「名乗る程の者やありまへん。ウチは只の狂言回し。芝居の幕を引きに来たんや」
板倉「(言っている意味が分からず)・・・? 何の用だ」
抄子「用はアンタにやない。その本にや」
板倉「! お前、この本の事を知ってるのか?まさかお前、百八機関の関係者か・・・!」
抄子「(標準語で)――黙れ」
板倉「!(急に話せなくなる)」
抄子「(標準語で続けて)質問するのはこちらだ。お前はその本をどうやって手に入れ、何をしようとしていた?全て話せ」
板倉「(自らの意志とは関係なく)――主人である小岩井泰蔵はGHQにも顔が利く。その繋がりで、旧日本軍に、百八機関と呼ばれる研究機関が存在したという話を耳にした。その機関は不死身の兵士の開発や、死者の蘇生などといったオカルティックな研究を秘密裏に――」
抄子「(遮って)ああ、その辺の話は知っている。聞きたいのはそこじゃない」
板倉「(語り直して)――百八機関は、“呪物”に関する研究も行っていた。しかし敗戦後、百八機関は解体され、研究対象だった呪物の数々も散逸してしまったという。その噂を知った私は、泰蔵の人脈を裏で利用し、その一つであるこの“魔術書”を入手することに成功した。『悪魔を召喚出来る』というこの魔術書を使って、私は泰蔵の娘である楓を誑(たぶら)かし、小岩井家の財産を奪おうとした。悪魔の力で泰蔵に遺言書を書かせ、その後に小岩井家の人間を皆殺しに――」
市川「やっぱり、とんだ狸爺ィだったな」

 市川、現れる。

抄子「(関西弁に戻り)ちょっとぉ、遅かったやないの、和尚」
板倉「(抄子の術が解けて)・・・!(市川に)お前、コイツの仲間だったのか!」
市川「おい抄子、術が解けてるぞ」
抄子「せやかて和尚、標準語で喋ったらアンタにまで“言霊”が効いてしまうやないの・・・って、和尚には効かへんねやった。あちゃあ、ウッカリやわあ」
板倉「何だか分からんが、貴様らまとめて悪魔の贄(にえ)にしてくれる!(魔導書を開く)」
市川「――なあ爺さん、悪いことは言わねえ。その本をコチラに渡せば、命だけは助けてやる。俺は腐っても坊主だ。無駄な殺生はしたくはねえ」
板倉「ほざけ!(呪文を詠唱し)出でよ、悪魔!」

 板倉の詠唱により、悪魔の影が召喚される。

板倉「さあ悪魔よ、こいつらを八つ裂きにしろ!」
市川「爺さん、よく見てみろ――悪魔なんて、何処にいるんだ?」
板倉「え?」

 板倉、辺りを見回す。
 先程召喚したはずの悪魔の影が消え去っている。

板倉「馬鹿な。儂は先刻、悪魔を召喚したはず――(再び詠唱しようとする)」
抄子「(遮って)無駄や。和尚の前では、全ての呪(まじな)い事が“無”になるんや」
板倉「そんな――お前らは、一体何者なんだ・・・?」
抄子「『新天地開闢同盟(しんてんちかいびゃくどうめい)・無明』――百八機関を前身とする、この日本を“在るべき姿”に創り直す為の組織や」
板倉「お前たちが、無明・・・!?」
市川「という訳で、元あった所に物は返すのが道理ってもんだろ?その魔術書、渡してもらうぞ」
板倉「わ、分かった!この魔術書はお前達に返す!だから、どうか命だけは・・・!」
抄子「(標準語で)動くな」
板倉「!? か、体が・・・!」
市川「悪いな爺さん、”仏の顔も三度まで”なんて言葉があるが――」

 市川、板倉の首を掴む。

板倉「がっ・・・!?」
市川「俺は一度までだ」

 市川、板倉の首の骨を折る。
 板倉、絶命し、地面に斃(たお)れる。

抄子「あれ?それやと和尚、一度目は許してあげな、勘定が合わへんのちゃう?」
市川「・・・ん?(指折り数えるが、よく分からず)まあいいや。屋敷で見逃したのも含めれば二度目だ」
抄子「大雑把やなあ(本を拾う)。よし、これで任務完了や。そこのカフェーで茶ぁしばいてから帰りましょか」
市川「・・・」
抄子「どないしたん?」
市川「いや・・・一寸(ちょっと)面白い奴らに会ってな――鶴泉南雲。白峰聖。奴らとは又、何処かで会うやもしれんな」

 二人、何処へともなく去る。


※この脚本は『怪談~あやかしかたりて~』、並びに同作品の1.5次創作から生まれた登場人物、設定を元に書かれた作品です。


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