直系店の誕生
こんばんナマステ❤️Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️
今日は千葉県柏市にある横浜家系ラーメン、王道家の創業20周年なんだそうで、
2003年の創業で、2011年に吉村家から破門にされて直系店を離脱しているため、今や直系店であった頃よりも独立系として運営している現在の方が1.5倍近く長いということになる。
王道家は単なる直系店というだけでなく、店主の清水氏は、杉田家津村氏、はじめ家小沢氏、当時環2家店主で現在は横浜王道(王道之印)店主の鶴巻氏とともに家系四天王と並び称されていた。
では直系店とは一体何だろうか。
単に吉村家で修業しただけでは直系店にはなれない。
とんでもないうつけ者もいるけど💦
吉村家から免許皆伝を受けないと直系店ではない。
直系店の嚆矢である杉田家の津村氏、当時一緒に立ち上げた石川氏が吉村家に弟子入りした時は、既に300人の弟子を送り出したと豪語している。
それ自体は誇張だと思うけれど、それでもそれなりの人数の弟子を世に送り出していたのは事実なのに、彼らはひとりとして直系店になっていない。
99年に杉田家が開業したあとも、直系店ではない吉村家出身店がいくつもできている。
修業をしたからといって免許皆伝がもらえるかどうかは未知数ということ。
その判断基準は吉村家店主の吉村氏にしかわからないものなので、ここでとやかく書くことはできない。
ただ、何故数多の弟子のなかから直系店というものが生まれていったのかについては興味がある。
それに対する推察を書いてみたい。
直系1号店杉田家が生まれた経緯としては、1999年に吉村家が新杉田から横浜駅西口に移転する際、新杉田の旧店舗の向かい側にも物件を取得したことに始まる。
吉村家の旧店舗自体を杉田家に譲渡しなかった理由は再開発で遅かれ早かれ無くなる運命にあったため。
何故そんなことをしたのか。
恐らくは新杉田の顧客を保持しておくため。
もちろんそれをしておくことで、その人達が横浜西口にも来てくれる可能性は高まるけれど、そういう打算的な行動ではなく純粋な感情だと思う。
これは後年、王道家の清水氏が一時移転した取手の店舗を手放せなかったことにも繋がる。その土地で得た顧客は飲食店主にとっては切り捨て難いもの。
吉村氏や吉村家は杉田家の経営については直接的には関与していないようだけど、それでも吉村氏の意向に沿って店がつくられた。
ポイントは、支店ではなく別経営ながら免許皆伝というかたちでお金ではなく人間関係によってつながりを持つという点。
別にこれ何ら新しいものではなく、日本の伝統的なのれん分け、徒弟制度でしかない。
むしろこれまで、巣立った弟子達を一切ネットワーク化してこなかったことの方に驚きを覚える。
このような方式を取った理由は過去の支店展開の失敗がある。
1986年に本牧の間門に本牧家をつくったときははっきりと「支店」扱いだった。
そこを任された神藤氏は家系ラーメンに鶏油を入れることを考案したという説があるほど、吉村氏の片腕といえる一番弟子。
しかし、吉村氏と神藤氏は徐々に志向の違いが際立つようになり、神藤氏が従業員を引き連れて本牧家を離れ六角家を立ち上げる。
吉村氏はしばらく本牧家を閉め、現本牧家店主の松村氏によって本牧家は再開された。
本牧家もまた吉村家と同時期に再開発で移転を余儀なくされ下永谷の環状2号線沿いに行くのだけど、この場所を吉村氏も狙っており、逆恨みされて骨肉の争いに発展する。
吉村氏からすると2度も飼い犬に手を噛まれたわけだから、もう支店はやりたくない。だけど、自分の意向による新規出店もしたい。
ということでの折衷案として直系店が生み出されたのではないかと推察される。
六角家や本牧家が弟子達をネットワーキングしていたことも関係しているかどうかはわからない。
その後は2000年に本牧家至近で環2家、2011年に本牧家の弟子である千葉家と末広家のちょうど中間に杉田家千葉店、2013年に六角家至近で末廣家を出したのは吉村家が刺客を差し向けたとされる。
その一方で2001年のはじめ家、2003年の王道家とまつり家をはじめとして、吉村家の意向と無関係な直系店も存在する。
杉田家によって生まれた直系店というスキームを純粋な弟子にも適用するモデルにしたのだ。
また、吉村氏は長男に店を継がせ、次男は厚木家を経営させているけれども、その厚木家も直系。
ただし、吉村家のホームページで人材募集を厚木家と合同にしていることから、流石に家族だけあってここだけはある程度経営的にも繋がっている可能性が高い。
吉村家の意向が働いた直系店とそうではない直系店の差がはっきり出るのは直系店を離れた時。
2011年に王道家の清水氏が破門されたときは、卸されていた食材が手に入らなくなる、吉村家の看板が使えなくなるという不利益はあったにせよ、直系店時代に立ち上げた運営会社によって何事もなく経営が続いているのに、
2015年に環2家の鶴巻氏が破門されたときは、吉村家はかつての本牧家のように環2家を一度閉店させて、鶴巻氏は排斥された。
清水氏は一国一城の主だったけど、鶴巻氏は雇われ店主でしかなかったということ。
独立経営ではあったので、立場的にはコンビニのフランチャイズオーナーが近いかな。
そして鶴巻氏は弟弟子の清水氏を頼り、王道家傘下で横浜王道(王道之印)を立ち上げる。
環2家は川崎でつけ麺屋を営む玉グループに売却され、当初は直系店ではなかったけれど2021年に直系店へ「昇格」になったと発表があった。
また2020年には福岡を中心に博多豚骨ラーメンを展開する博多一幸舎とのジョイントヴェンチャーとして内田家が誕生して直系店となっている。
近年の直系店は徒弟制度ではなくなってきているようで、環2家や内田家は支店展開も割と自由にやっている。
なお、環2家と熾烈な争いを繰り広げた本牧家は今年5月に松村氏の高齢により閉店する。
もしかすると環2家も閉店するんじゃないかと睨んでいる。
環2家の支店は蒲田、川崎といずれも玉グループの庭に置かれていて、玉グループのドミナントに組み入れられているわけで、
本牧家を潰すというミッションを成し遂げた以降は下永谷に残す理由もないしね。
今の場所にも多くの顧客がついているけれど、玉グループがそれをどう判断するかは未知数。
奇しくも吉村家も今年再開発で再移転する予定で、今年もまた色々と家系ラーメンに動きのある年になりそう。
とりあえず移転前の吉村家と、閉店前の本牧家にあと何回行けるのかな。
それじゃあバイバイナマステ❤️暑寒煮切でしたっ✨
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?