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故石原慎太郎氏の功績・成田空港駅を考える

2月1日、 #石原慎太郎 氏が亡くなった。

功罪ともに色々あった人だと思うけど、我々ツーリズムの担い手としては、

・マリンスポーツを日本で一気にメジャーに

・羽田空港国際化に邁進

・横田基地軍民共用化の提唱

・整備新幹線の部分着工

・山梨リニア実験線建設

・外環道地下化

などなど、とても関わりの深い人。

今日はそんな故人の功績のなかでも多分最も有名かつ恩恵を受けている人が多いと思われる #成田空港駅 について書いてみたい。

事の流れを簡単に追ってみる。

#成田空港 (2004年までの正式名称は #新東京国際空港 )は東京都心から60kmも離れていたけれども、だからこそ #成田新幹線 を通すことで距離感を縮めようとしていた。

成田新幹線は東京駅と有楽町駅の中間あたりの地下にターミナルを造り(今の京葉線東京駅)、概ね京葉線と北総線・ #成田スカイアクセス線 のルートで成田空港に向かうものとしていた。東京駅がこんな位置にあるのは新宿への延長が考えられていて、皇居の真下を避けたため。

成田空港が開港する4年前の1974年には着工を開始するんだけども、江戸川区などで反対運動が始まって身動きが取れなくなってしまう。

そんなこんなで1978年には成田空港が開港、京成は当初空港ターミナルビルの真下に乗り入れたい意向を示したけど、成田新幹線計画が優先されて端に追いやられる。

それでも完成した成田空港駅はホームが2つある立派な駅で、駅から連絡バスに乗り換えさせられる不便さはあれど #スカイライナー は京成の経営の生命線になった。(現在の #東成田駅 )

空港ターミナルビル直下の成田新幹線ホームの方は、暫定的に国鉄の在来線が乗り入れる案が示されてはいたもののずーっと宙ぶらりん。おかげで「世界一遠い空港」と言われ続けた。

それを1987年に、当時運輸大臣だった石原氏が「もったいない、(在来線に)繋げ」と指示、翌年には着工して1991年にはJRと京成が成田新幹線ホームに乗り入れることになる。

成田新幹線自体は1983年に凍結したんだから、この時点で駅の在来線への転用を決断できなかったのは、政治不在と言われても仕方ないよね。

かくして1991年に成田新幹線ホームの供用が開始され、翌年には第2ターミナルビルの真下に空港第2ビル駅ができ、さらに2010年には成田スカイアクセス線が開業して日暮里から30分台で結ばれるようになり世界の大都市の空港のなかでそんなに見劣りしないアクセスになる。

ただしスカイアクセス開業とほぼ時を同じくして羽田空港の再国際化も実現して「成田空港オワコン論」を説く人もいたけれど、実際には羽田空港に乗り入れられる国際線は限られているし(デリー線は2020年まで成田だったし、ムンバイ、チェンナイ、ベンガルール線は未だに成田、あと30年で世界一の経済大国になる国を何だと思ってるのか日本の政治家や官僚に問い詰めたいよ💢)、ほどなくしてLCCの波が日本にも訪れて「第二空港」の重要性をみんなが認識することになった。

石原氏が言わなくたって遅かれ早かれ在来線が乗り入れていたとは思うものの、当時の運輸省は現在のスカイアクセス線を成田新幹線の代替案に考えていたというから、場合によってはスカイアクセス線開業の2010年まで成田新幹線ホームが使われなかった可能性すらあるわけだから、80年代までの状況があと20年続いたなんてゾッとする。

官僚は死ぬほど頭のいい人達だけど、一度進めた計画に固執しがちで、だからこそ決断できる政治家が必要。色々な問題はあった政治家かもしれないけど、少なくてもこれについては石原氏を讃えなければいけない。

さて、そんな石原氏の遺産は今どーなっているだろうか。

ちなみに成田新幹線は複線で計画されていたから、ターミナル駅も当然複線。そこをJRと京成が単線ずつ使っていて、本数には限りがある。

JRは成田エクスプレスを30分に1本走らせているけど、快速電車は1時間に1本しか走らせない怠慢が続いている。

その成田エクスプレスはスカイアクセス線ができて以降、シェアを落としている。そうはいっても東京駅や新宿駅への乗り入れや外国人がJR乗り放題になるジャパン=レール=パスのおかげで、成田エクスプレスの方がややシェアが高い。

共存共栄でもいいのだけど、成田エクスプレスがそれなりの命脈を保てているのは都営浅草線直通のスカイライナーが実現しないからでもある。

京成は上野発のスカイライナー(スカイアクセス線経由)と特急や快速特急(京成本線経由)が20分に1本、羽田空港発のアクセス特急(スカイアクセス線経由)が40分に1本。北総線の運賃が高くアクセス特急の利用が少ないことから本数を半分に間引いている。

ただ、今年10月から北総線は値下げされるので、そうなると印旛日本医大や成田湯川の分譲が加速するかもしれない。アクセス特急を20分に1本にするとともに印旛日本医大も通過して、北総線の普通を成田湯川まで延長運転してほしい。印旛日本医大までが北総線で、そこからが京成だとかそんなクソくだらないことは聞きたくない。石原氏だったら一刀両断しているだろうね。

何にせよ今は成田湯川からが単線で、スカイライナー、アクセス特急、京成本線特急がそれぞれ20分に1本ずつ走ったらもう余裕がない。だから都営浅草線直通のスカイライナーを走らせることができない。

この状況での乗客減に堪えかねてスカイライナーは青砥に停車するようになった。やっぱり都営浅草線からの需要が欲しいのだ。

この状況を打破する方法は実はある。それはかつての成田空港線、今の東成田線を活用すること。

ただ単に東成田駅に乗り入れても空港から遠過ぎて意味がない。

だけど東成田駅の少し手前にホームを置いたら第2ターミナルの真横になる。また、東成田駅の少し先の芝山鉄道では第1ターミナルの東側を掠める。現在の成田空港駅が第1ターミナルの西側に着くので、成田空港線と芝山鉄道は途中でクロスしている。

この2駅を置いて京成本線経由の電車は東成田線・芝山鉄道乗り入れにしてしまえばいいんだな。

そうすれば京成本線特急が空いた枠に都営浅草線直通のスカイライナーを走らせることができる。

押上から先は特急料金を徴収して、押上以南では今のアクセス特急の停車駅数で羽田空港行きでいいと思う。ただし三田に停めてると本来追い越しに使えるはずの泉岳寺が活きない。三田を通過してインバウンド向けに東銀座に停めた方がいい。

これを実現させるのは2030年頃かな。というのも、現在再開発中の「トウキョウ=トーチ」に合わせて長らく封印されている呉服橋の地下道が開放されるから。そうすれば浅草線の日本橋駅から東京駅日本橋口までも随分便利になる。

その時、JRはどーするのかといえば、成田エクスプレスを中央線経由で新宿発着にしちゃえばいい。

京成と真正面からぶつかるより、京成に真似できないルートで存在感を発揮してほしい。

快速もせめて倍増してほしいけどね💦 15両編成で成田空港まで突っ込むのをやめたらいいのにね。

最後に石原氏の格言「運輸は文明のアクセス」を噛み締めたい。自分もまた文明のアクセスを担う仕事をしているんだな、という気概を忘れないようにしたいな。






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