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ムルム新大統領の出自、サンタル族に会いに行こう

はじめに

こんばんジョハー💚Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️

Clubhouse『インドの衝撃(インド大学)』でサンタル族の話を聴いていただいた方はありがとうございました🌟

講義の音声版はこちら🌟(約41分)

今日も前回のブータンの話に引き続いて、予めnoteの記事を作っていく方式でやっていくよ。

翌日にテキスト化しなくていい、って本当に楽だな~ってしみじみ思った。

ブータンの話に追われなくてよくなったからこそ、鉄道150周年やクラツーさんのバス事故についての話も書けたと思う。

クラツーさんの話はまた続報を書いていくね。旅行屋として正直看過できない問題も出てきた。

今回は7月25日にインドの新大統領(15代)に就任したドラウパディ=ムルム氏の出自、サンタル族の話を書いていく。

インドはアーリア人とドラヴィダ人だけでは語れないんだよってことを。

日本でいえばアイヌがそれにあたるけれども、インドはもっと複雑で多様。

彼女が大統領になったことはインド内外で少なからずサンタル族のみならず少数民族への光が当たっていくだろうと思う。

光って別にいい意味だけじゃないことに注意。

それじゃ始めていこう💨💨💨

良心と多様性のショーケース

そもそもインドに大統領がいることをあまり知らない人が多い。

日印首脳会談に出てくるのはいつも首相だし。

近年でいうと即位礼正殿の儀に出席するために来日したのはモディ首相ではなくコーヴィンド前大統領(14代)だった。

イギリス英語が喋れる徳仁天皇をコーヴィンド大統領とヴァルマ駐日大使はえらく気に入ったようで、平成の頃はインド大使館は天皇誕生日を休みにしていなかったのに、令和になってから天皇誕生日が休みになった。

代わりに憲法記念日が休みではなくなったんだけど、どうして憲法記念日が休みだったのかというとインドにおいて独立記念日と同じくらい大切に扱われる共和国記念日と成立理由が同じ祝日なので同格と考えたんじゃないかと思う。

しかしコーヴィンド大統領とヴァルマ大使は徳仁天皇に惚れ込んじゃったんだな。

そんなヴァルマ大使も大統領の交代に合わせてなのか、もう間もなく離任になる。

コーヴィンド大統領は元ビハール州知事だし、ヴァルマ大使もビハールの人で、うちのボスもビハールだから何かとやりやすかったんだけどねぇ。

ムルム大統領はオディーシャ州出身の前ジャールカンド州知事で、どちらもビハールとは近所ではあるものの、近所だから仲がいいわけではないのは日本の都道府県見てたってわかるでしょ。

次の駐日大使はケーララ州出身のこの人。現クウェート大使でアラビア語を話すイスラーム圏の専門家のはずだけど、有能な人であるのは間違いない。

話がだいぶ逸れたけど、首相には首相、天皇には大統領が接遇するんだな。

大統領が行政の長を兼ねるアメリカ、フランス、韓国、ロシアなどとはちょっと違う。(アメリカ以外は首相もいるけど、大統領がかなりの権限を握っている)

どーしてかといえば、インドが独立した時に国父ガーンディーや初代首相ネールーが目指したのはよく知っているイギリス型の国だったから。

インドやパキスタンはオーストリアやニュージーランドと違ってコモンウェルスには入らなかった。

それでもイギリスと真逆の制度をつくったアメリカとは違い、イギリスと同じく権威と権力を分離させることにして、イギリス国王の代わりになる大統領が生まれた。

インドの大統領には実権がないし、基本的にときの首相と政権与党の意向が反映されるけれども、それでもインドにおける良心と多様性の象徴でもある。

首相はほぼ北インドのヒンドゥー教徒の男性で収まる。アメリカでいうWASP(白人のアングロサクソン、プロテスタント)みたいなものかな。シン前首相はシク教徒だったけど。

でも大統領はムスリム、南インド出身者、女性といった人達が選ばれている。シン前首相の前にシン元大統領(7代)というシク教徒もいた。シク教徒の男性の苗字は全員シンだから💦

というかシン前首相は実権を握るネールー=ガーンディー王朝に担ぎ出された大統領的な首相なんだよね。マイノリティという意味でも学者という意味でも。(インドの大統領は学者が多い)

コーヴィンド前大統領は北インド、ヒンドゥー、男性という意味ではゴリゴリのマジョリティだけど、カースト最下層出身。もうひとりナラヤナン元大統領(10代)もカースト最下層だった。彼は南インド出身者でもあったけどね。

インドの大統領は兎に角、何かしら社会的なハンデを持った人が選ばれやすい。

政権与党による担ぎ出しであるのは間違いないにしても、インド社会の影を国内外に知らしめてくれる存在であることも確か。

ムルム大統領はパティル元大統領(12代)に次いで2番目の女性大統領であるだけでなく、

インド史上初の少数民族出身の大統領でもある。

ムルム大統領の出自、サンタル族ってどんな人達なのか。どこへ行けばサンタル族に出逢えるのか。

アズマビトの血筋

元々、インダス文明はドラヴィダ人の文明であり、北から来たアーリア人に押し流されて、北インドにアーリア人、南インドにドラヴィダ人が住むようになった、ただしアーリア人もかなりドラヴィダ人と混血したために色黒の白人になった、ということは割と誰でも知っていることだと思う。

ところで、インド亜大陸にアーリア人が入ってきたのは紀元前2000年頃だけど、インド亜大陸の東側には同じ頃に東南アジアからの民がベンガル湾に流れ着いたといわれている。

そして彼らはアーリア人がインド亜大陸の東側に到達するとマイノリティに押し込められた。

彼らのルーツは長江流域にあって、稲作とともに東南アジア、そしてインド亜大陸東部に広まっていった。オーストロアジア語族といって、ヴェトナム語とカンボジアのクメール語がそれに属する。

さらにいえばアイヌ語、もっというと日本語・琉球語との関連性も指摘されていて、我々と遠い親戚である可能性もある。日本人の中からオーストロアジア語族に見られるゲノム「O1b1」が発見されているのだと。

インド亜大陸に流れ着いた人達の言葉はムンダ語派といい、そのなかでサンタル語を話す人達がサンタル族ということになる。

現在彼らの6割はヒンドゥー教だけれども、残りは少数のクリスチャン、ムスリムがいるほかは民俗宗教を信じており、改宗した者たちも本来の信仰を棄てたわけではない。

ボンガという精霊が良い精霊にも悪い精霊にもなって物や生き物や自然環境に宿り、見える世界と見えない世界の仲介者なのだという。

世界のすべての原因を持つ創造主がいることが前提である一神教的な要素もあり、改宗しても他宗教と共存できそうな世界観を持つ。

ボンガをヒンドゥー教の神々と置き換えればいいし、キリスト教やイスラームとは創造主の考え方が完全に一致していて、シンクレティズム(重層信仰)に適した信仰体系といる。

また現在は焼畑農業や畜産業で暮らしているけれど、昔は狩猟採集民だったといわれる。

別にインドにだけいるわけじゃなく、バングラデシュ、ネパール、ブータンに散っていて、いや彼らのいる場所を為政者たちが区切っている。また、現在のインドではジャールカンド州、ビハール州、オディーシャ州、ウエスト=ベンガル州、アッサム州、トリプラ州に居住している。

ムンダ語派のなかでもうひとつ有力なのがムンダ族だけど、別にここからこっちがサンタル族で、あっちがムンダ族、みたいな別れ方もしていない。それ以外の民族も含めてまだら。

この前のブータンの話では、インド亜大陸の極北にはチベット系の人達がいることを話したけれど、東には東で北インド、南インドだけでは語れない東のエスニシティ(民族性)があるということをとりあえず知ってほしい。

インドの北東部やアンダマン=ニコバル諸島は元々のインド圏ってわけじゃなく東南アジア系の民族の住まいなのでまた別ね。インドは南アジアの国といわれるけど、東南アジアの国でもある。

そして、サンタル族という括り自体がイギリスが付けたもので、イギリス人が「北インドとも南インドとも違うし、なんかインドシナと喋り方似てるよね❓」ってことでそういう括りが生まれた。

すると自分たちがサンタル族であり、サンタル族の誇りを持ち、サンダル族の地位を上げ文化を復興しよう‼️って機運が生まれてくる。

そして19世紀にサンタルの反乱を起こすことで、彼らは分散して住まわされることにもなる。ムンダ族も似たような反乱を起こした。アイヌやネイティヴ=アメリカン(インドの仕事している限り絶対に彼らをインディアンと言わないよ)と繋がるよね。

森の国をつくろう🌴🌴🌴

インドがイギリスから独立するとき、ヒンドゥー教徒が多い土地とムスリムが多い土地という理由だけで、ベンガルの地はインドとパキスタンに分割された。そこにいたサンタル族のことなんて考えられもしなかった。

東パキスタンは民族復興を掲げるサンタル族と激しく衝突し、多くの人がインド側に流れ込むことになる。

一方でインドではアッサム州を除いてはアーディバシー(指定部族)となり保護はされてきたものの、カースト外の少数派として自治権を実質的に持てないことに対して不満を抱き、同憂の少数民族達と団結し、ジャールカンド運動を展開する。

ジャールは森林、カンドは土地を指す。ウッタラカンド州は「北の土地」で、ウッタル=プラーデシュ州も同じような意味。あえて言い分けてるわけだからニュアンスが違うんだろうけど、自分にはわかんない😅

ジャールカンド解放戦線が結成されたりして長年独立を訴え続けた結果として1995年にジャールカンド地域自治評議会が設立され、2000年にはビハール州の南部がジャールカンド州として独立を勝ち得た。

しかしジャールカンド州自体は32の少数民族がいるので、どの民族の言葉も公用語にするわけにはいかない。少数民族同士のリンガ=フランカ(共通語)はヒンディー語や英語なので、結局ヒンディー語が公用語になった。

ただし、附属言語としてサンタル語をはじめとした諸民族の言語が州によって公的に認められたことは大きく、サンタル語のために考案されたオル=チキ文字が普及していった。それまではデーヴァナーガリー文字をはじめとした他言語の文字に音写して書いていたわけで。

サンタル族に会いに行こう

サンタル族に実際に会いに行くなら、前述したように彼らが住むジャールカンド州、ビハール州、オディーシャ州、ウエスト=ベンガル州、アッサム州、トリプラ州、バングラデシュ、ネパール、ブータンを訪ねればいいことになるけど、

ここでは特にサンタル族にコネクションがなく、どの村に行っていいのかわからない人向けに、サンタル族の人口が一番多いジャールカンド州へ行くことを案内する。

ジャールカンド州の州都ラーンチーのビルサ=ムンダ空港にはインド各地からの便が発着するけれども、日本から行きやすいのは首都デリーからだろう。それでも日本からの直行便からその日のうちには乗り継げない。

ヴィスタラのデリーーラーンチー線はJALとコードシェアを行っていて、日本国内から通しの航空券を買える。鉱業と鉄鋼業が盛んなジャールカンドには日本からのビジネス需要があると考えているようだ。

ちなみにビルサ=ムンダはムンダ族の志士で、インド独立運動に携わった一人。インドの地方空港にはその土地の英雄の名が付けられることが多い。

朝ご飯食べてもラーンチー、夜ご飯食べてもラーンチー。

くしゃみすると性格が凶暴になり、スーパーサイヤ人説もあったりなかったり。

人口約百万人というのはインドでは全然多いうちに入らず、むしろのんびりとした高原の街。

平地が暑い季節に来るのもいいかもね。

滝の街と呼ばれ、郊外には滝がわんさかあってマイナス=イオンを浴びまくれること間違いなし🤗

だけどちょっと待て。ラーンチーに来た目的は何だったんだい❓

サンタル族はどーなったんだよって😓

まずは州立博物館と、

民族博物館へ行こう。

浅く広くではあってもサンタル族のことを学ぶことができる絶好の場。

もうひとつ浅く広くサンタル族の文化に触れるのにオススメなのが、ラーンチーから約100km北にあるハザリバーグ。

ここはサンタルを含む様々な民族の壁画が保存され、そして今も結婚式コーヴァルとディワリ前日に行われる冬の収穫祭ソーライの度に描き続けられている。

ちなみにハザリバーグは虎や象のいる野生動物保護区でもある。

サンタル族初心者は、ラーンチーとハザリバーグを拠点にして、行きやすいサンタル族の村に行くのがいいだろうと思う。

日常の暮らしを知りたい人もいるだろうし、晴れの日を知りたい人もいるだろう。

花を意味する春祭りであるバハや収穫祭のソーライなどが有名で、農耕のフェーズに合わせて大小様々な儀式が行われる。気になる人は時期を合わせて行ってみるといい。

限られた日数でこういうところに確実に行くには旅行会社の力が必要だろう。

そこで村の人と仲良くなれるかは人それぞれなので何ともいえない。我々にできるのはお膳立てまで。

不思議なことにどんなに管理されてるツアーで外国語が一切できなくても現地で一生の親友ができたり、中には結婚相手を見つける人もいるのに、その真逆の人もいる。

旅行屋が演出できるのは出会いまで。ご縁については何とも言えないのだ。

結婚相談所の人って大変だなぁ、っていつも思う。うちらと変わんないのに、成果主義なんだからさ。

ちなみに割と親和性ある隣接業界だったりもする。

なお、ハザリバーグから北に135km行けば、ビハール州に入ってヒンドゥーの聖地ガヤーと仏教の聖地で世界遺産のブッダガヤがある。

ガヤーからもデリーに戻れるし、バンコクにも行けるので、特に首都圏以外の人はバンコク経由でガヤーをサンタル=ツーリズムのゲートウェイにするのも悪くない。

ビハール州にもサンタル族は住んでるしさ。

ガヤーとハザリバーグの間にあるイトコリには仏教遺跡もあるけど、仏跡巡礼と少数民族訪問ってニーズがあんまり重ならそうだよ😅

サンタル族は分散して住んでいるけれど、中心地と言われるのはジャールカンド州北東部のサンタル=パルガナ地域。その入り口であるジャムタラはハザリバーグから170kmほど。

ラーンチーは2000年に州都になったばかりで、ジャールカンド州の道路網や鉄道網は必ずしもラーンチーに集まるようにはなっていない。むしろ全体的にウエスト=ベンガル州のコルカタやビハール州の州都パトナーや聖地ガヤーに繋がるようにできている。

したがって北東に突き出ていくサンタル=パルガナ地域を奥に入っていけば、もうラーンチーに戻るのは難しくなる。陸路ならコルカタやガヤーに抜ける方が便利だし、デーオーガルからデリーまで1日1便の航空便をインディゴが飛ばしている。

サンタル=パルガナ地域南西の主要都市であるドゥムカからコルカタへ向かう途中にはアジア初のノーベル賞受賞者タゴールが建てた大学、シャンティニケトンがあり、昨今の世界情勢から無期限延期になっている世界遺産委員会さえ開催されれば世界遺産に登録される見込み。

実はこのシャンティニケトン滞在中にサンタル族の村へ行ったという日本人が結構多く、シャンティニケトンとサンタル=パルガナ地域の地理的な近さを裏付ける。シャンティニケトンとドゥムカは100km。

ラーンチー・ハザリバーグ周辺とサンタル=パルガナ地域はよほど日数がない限りは同じ旅程に入れない方が無難。まずはラーンチー・ハザリバーグ周辺から攻めた方がよさそう。

さて、ジャールカンド州は隣のビハール州と並んで貧しい。

インドの地下資源の4割がジャールカンド州に埋蔵されていて、鉱業のほか計画都市であるボカロ=スティール=シティやタタ財閥によるジャムシェードプルという鉄鋼都市もあるけれど、地下資源に頼る経済の持続可能性は怪しく、もっと富を呼び込む仕組みが求められる。

観光はそのひとつだろうけど、インドの中では隣のチャッティースガル州や北東部のトリプラ州、ミゾラム州と並んで申し訳ないけど話題に上らない州。

自然環境は魅力たっぷりだし、ヒンドゥー教の聖地はいくつかあるし、高原地帯に避暑リゾートを造るのもいいだろうけど、ジャールカンド州の一番の魅力はやはりエスニシティではないかな。インドのどこにでも少数民族はいるけれど、彼らが団結して自治権を勝ち得たパワーは他にはない。

とはいえ、物見遊山的に大勢の人が少数民族の村に訪れても、彼らの良さは壊れてしまうだろう。東南アジアの少数民族の村の多くは、単なるテーマパークに堕してしまっている。インドの方が今までそれほど注目されていなかったからまだピュアなものが残っている。これは何としても守らなければいけないし、今のツーリズム論の最先端は保全を超えて再生に向いている。

日本としてはウポポイの周回遅れ感に溜息をつきたくもなるけど、ひとまずジャールカンド州が目指すべきはカナダ型の先住民リジェネラティヴ=ツーリズムであり、州としては各民族から数名ずつカナダに留学させてそれを学ばせるべき。

デリーやコルカタから連れてきたアーリア人のガイドがヒンディー語と英語で少数民族を案内するなんてもってのほか。民族のなかから案内できるガイドが出てこなければいけないし、州法としてよそから来たガイドに案内させることを禁止させるくらいやんなきゃダメ。

自分もジャールカンド州に限らず、少数民族のコミュニティを巡るような手配を手掛けるときは安直なものはやらず、最低でもエスニシティの保全、できる限り再生ということをやらなきゃいけないと自戒を込めて。

おわりに

ということで、恥ずかしながら自分もまったく知識のなかったサンタル族やジャールカンド州について書いてみた。

今までも提案レヴェルではそれこそ滝を巡るようなツアーとかは考えたことあるんだけど、そんなものよりずっと面白い可能性を秘めてるじゃないかと。

インド全体でも正直いって少数民族に対してほとんど注意を払ってこなかったことも反省している。

文化偏重のインド=ツアーについては常に批判的で、もっと自然要素を加えるべきことはずっと訴えてきたつもりだけど、文化だってアーリア人、ドラヴィダ人以外の文化もあることをそんなに考えてはこなかった。北東部やチベット文化圏以外はね。

だから今回の記事を書いてて、自分自身が一番頭を殴られた気がするし、そういう意味でムルム大統領には感謝している。

昨今の日印関係の緊密さからすると、ムルム大統領の任期のあいだに徳仁天皇の訪印も実現するんじゃないかと思っている。

その時には日本でもサンタル族をはじめとしたインドの少数民族の存在がフィーチャーされるだろうし、アイヌなどの問題を再考するきっかけにもなることを期待している。

それじゃあバイバイジョハー💚暑寒煮切でしたっ✨





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