見出し画像

10年前の悪夢「関越道ツアーバス事故」を振り返る③犯人は安売りか

こんばんナマステ💛Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️

悪夢の #関越道ツアーバス事故 から10年ということで振り返っている3回目だけども、正直書いていて気分が重たい。

とりあえずここまでの2回で何も光が見えないからなんだよな。

断言するけど、今日もない😢

しかし、ツーリズムという産業に身を置いている以上、楽しいことばかりじゃなくてこういうことも知らなきゃいけないし、

関越道事故から10年というタイミングを見計らったかのように知床観光船の事故が起きた。バスと船の違いはあれど、安全が絶対優先という原理原則を忘れてはいけない。

ということで重たい話を今日も書いていくことにする。

今日はいよいよ事故の詳細とその原因について触れていくことにする。

まず2012年のカレンダーを見てみたい。

通常のゴールデンウィークは4月29日昭和の日から始まるものだけど、この年はその前日4月28日が土曜日だった。そのため、4月27日金曜日の夜が夜行バスの出発のピークになる。

4月27日夜に首都圏から多数の帰省や行楽のための夜行バスが出発して翌28日朝に各地へ到着、名古屋や仙台のような近場だとそのバスを翌朝の昼行バスにも使うフル回転もありうるけど、通常は昼間は車庫で寝て28日の夜に各地から首都圏へ帰るバスが設定されていた。

当該の #高速ツアーバス は大阪府豊中市の旅行会社である #ハーヴェストホールディングス が主催し、千葉県印西市にある #陸援隊 というバス会社が運行していた。

昨日書いたように高速ツアーバスはあくまでツアーなので、主催するのは旅行会社で実際に運行するのは #貸切バス なのだ。

ハーヴェスト自身もHS観光というバス会社を傘下に持ち「ホールディングス」というのもあながち誇大ではなかったのだけど、この27日夜の首都圏発着便は本当にピークのピークのピークで、それだけじゃとても捌ききれなかった。

あの頃を思い出してほしいんだけど、前年に起きた東日本大震災の自粛ムードがほぼ無くなってかなり旅行需要が活発になっていた頃だった。

いまリベンジ消費とか言われてるじゃない。あれがその頃にもあったんだよね。

そして高速ツアーバスは貸切バスさえ手配すれば無限に増便ができた。

そしてハーヴェストは震災で被った損失を埋めるべく、予約を無限に受け付けた。

普通に考えたら、供給できる分しか予約なんて受け付けないんだけど、彼らは確保できていない分まで兎に角受け付けた。

これ自体は旅行業界では #コミット と言われるやり方で別に珍しいものではなかったりもする。

大手旅行会社はコミットなんてしなくても十分なのかもしれないけど、中小零細はそんなことも言ってられないので結構無理はするんだよね。

例えば「宿手配おまかせプラン」なんていって直前まで宿を教えてくれないことってないだろうか。

あれがそれ。

そういうプランを業界内部ではエニーっていうんだけどさ、エニーで申し込んでいるお客様から「宿に荷物送りたいので早く宿を教えろ」とか電話かかってくると、予約を受け付けたスタッフが全然説明しきれてないんだなー、って思う。それができないのを了承して申し込んでるはずなのにね💦

コミットは達成できればその旅行会社が本来持っているリソース以上の売り上げを得られるけど、失敗したらシャレにならない。コミットをするにしても限度というものがある。

ハーヴェストは千葉県内プラスアルファのありとあらゆるバス会社に問い合わせても、もうバスが用意できない事態に追い込まれた。

貸切バスには営業区域というものがあって、ツアーの出発地ないし到着地が必ず貸切バスの営業所が当該の都道府県ないしそこと隣接している市区町村に限られるという原則がある。

このツアーバスは東京ディズニーリゾート発着だったから千葉県ないし千葉県と隣接する東京都江戸川区とか埼玉県三郷市とか茨城県取手市とかのバス会社にしか運行する権限がない。

逆にいうと例えば埼玉県三郷市に営業所を置けば、埼玉県のみならず東京都と千葉県を発着できることになり、奥多摩から南房総まで可能。だから貸切バスの会社は県境に集中する傾向にあり、県境産業ということもできる。

これ以外だとインバウンド向けに成田周辺にやたら貸切バスの会社が多くて、成田周辺では高卒者の主要なキャリアコースとしてバスのドライバーになるというのがポピュラーになっている印象がある。

高速ツアーバスは東京ディズニーリゾート発着のものばかりだったのは、その起源が地方からのディズニーリゾート往復バスの往路もしくは復路において東京駅や新宿駅での乗降があったから、というのもあるんだけど、成田周辺のバス会社の集積とうまくマッチしたからでもある。

さて、ハーヴェストはどんなに捜しても捜してもその日に金沢へ行ってくれるバスが見当たらなかった。

そこでハーヴェストは付き合いのある他のバス会社にも手配を依頼することになる。バスの世界ではバスの手配を代行するブローカーを #水屋 なんていうんだけどね。

結果的にハーヴェストは2者を介して陸援隊から1台のバスを確保することができた。このあたりは人材派遣なんかともよく似てるんだけど、中間に事業者を通せば当然そのマージンが抜かれる。2者のマージンが抜かれたら、もうほとんど利益なんてないんだけど、それでも無理を言ってお願いした。

ハーヴェストは夥しい数のバスをその夜に走らせていたから、運行指示や安全管理をまともにやることなんてもうできなかった。

運航を受託した陸援隊も自社プロパーのドライバーを用意できず、外部のドライバーに頼んだ。

このドライバーがもうメチャクチャなんだけども、それは気になるなら自分で調べてほしい。

とりあえず彼は昼間は自身の主催する闇ツアーの運行やその手配をする超ハードスケジュールで全然睡眠を取っておらず、サーヴィス=エリアでの休憩時には突っ伏して寝ていたという。

それでも金沢への往路は乗り切ったんだけど、金沢からの復路で眠気に耐え切れず、本来経由するはずのない関越道の藤岡インター近く防音壁にバスが激突して乗客7人の命を奪うことになる。

ここまで書いてきたことを整理すれば、問題はキャパシティを上回る過剰供給で安全管理がおざなりになったこと、のはず。

ところが、何故か世の中の風潮は安いバスが事故を起こした、ということになった。

そりゃあまあ高速乗合バスよりは安いし、この夜の同じ区間を走る高速ツアーバスよりも安売りしていたかもしれない。

だけど、それでも普段の旅行代金よりは繁忙期で多少高くもしていたし、つまりその夜よりも安い日に事故を起こしてないのに、多少値上げした夜に事故を起こしたんだから安いからどうこうというのは違う。

安かろう悪かろう、っていうのは思考回路として信じやすいんだよね、多分。薄利だから安全対策に対する投資がおざなりになる、って考えてしまえばすっきりする。

でもそれは真実を見つめようとする態度じゃない。真実は予約の受け過ぎだってことを2010年代前半に色んな人に話してもわかってくれなかった。

ここで書いたってわかってくれない人の方が多いかもしれないけど、それでも自分は死ぬまでこのことを愚直に説明し続けたいと思う。

そしてこの風潮は、この年に相次いで就航することになるLCCについても誤解が生まれることになる。

安いLCCは危険なんじゃないのかって。

LCCはサーヴィスを落としているだけで、安全については既存のフル=サーヴィス=キャリアと同じに気を配っている。

そうじゃなきゃ航空当局が絶対に運航を認可しない。

LCCがこのような誤解を受けたのは関越道事故だけが理由ではないのだけど、ただ大きく影響を与えていることは間違いない。

次回、関越道事故を受けて高速ツアーバスがどーなっていったのかを書いてこの話を締めたいと思う。

次回でようやく光が見えてくるのかな…

それじゃあバイバイナマステ💛暑寒煮切でしたっ✨




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?