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社会インフラとしての「どさん子」系チェーン

こんばんナマステ❤️Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ✨

これを読んで唸った。

石破新総裁にとってのソウルフードは鳥取のご当地ラーメンではなく、「どさん娘」だったという事実。

鳥取のラーメンというと牛骨って思うかもだけど、それは伯耆の食べ物。

彼の選挙区は因幡だから本来的にそんなものはない。

鳥取市をはじめとした因幡のラーメンの基本線は関西と近しい、豚骨と鶏ガラなら前者が強めかつ醤油も甘めなので、関東からみるとだいぶ豚と醤油で甘めに感じる中華そばのはず。

そこに餡掛けを乗せたチャンポンというメニューが山陰には多い。

これも関西からの流れで、鳥取市の店が山陰のなかでは走りのようだけど、どーやら最近閉店してしまったらしい。

これとは別に饂飩の出汁に中華麺を入れた素ラーメンというものも鳥取市が名物にしている。

これは関西でいえば黄そばと呼ばれるもので別に珍しい食べ方でもないけど、素ラーメンって言い方自体は鳥取市周辺でしかしない。

しかしまあ県知事の息子でええとこ育ち、かつ高校から神奈川(慶應義塾高校)では、学校帰りにはした小遣いでチャンポンや素ラーメンを食べた記憶などないのだろうし、ラーメン以外でもホルそば(ホルモン入りの焼きそば)も知らないだろう。

ピンときたと思うけど、もう鳥取県の麺事情は調べてあるので乞うご期待‼️

彼にとっての鳥取生活は小中学生時代もあるけども、それよりもサラリーマンを辞めて選挙活動をしたときなのだ。

そんなとき町中華のチャンポンや饂飩屋というより食堂の素ラーメンなど早い時間に閉まっており、開いているのは「どさん娘」くらいしかなかったわけね。

この話が1980年代初頭でしょ。

1970年代、東京の人が立ち上げた札幌ラーメンチェーン「どさん子」が当時の日本ではまだまだ珍しかったフランチャイズシステムを導入して、北海道以外の全国を席巻した。

拡がっていくなかで「どさん娘」や「どさん子大将」は分裂とも模倣店とも言われるけど、

本家が最盛期で約1,200店、残り2つがそれぞれ約800店あったというから、全部で約2,800店。

この時代の市町村の数が3,000少しだから、ほぼ全市町村にあったんじゃないかってくらい。

自分の父の実家は隣の島根県だけど、子どもの頃隣町の「どさん子」系(上記のどのチェーンかは記憶にない)で食べた記憶あるもん。

彼にとっての選挙活動のときの心の支えで、当選してから言ったら閉店してたって話も頷ける話で1980年代以降は衰退していったわけよ。

「どさん子」系が齎したこととして、札幌ラーメン、ないし中華そばではなくラーメンという料理を広めたこともあるのだけど、

こってりしたラーメンの深夜営業という概念を全国に広めた効果も大きいと思う。

1980年代以降、「どさん子」系チェーンは衰退の一途を辿っていくけれど、こってりとしたラーメンの深夜営業という概念は残り続けていったのではないかな。

個人店なり、後発チェーン店は醤油ベースという地域の好みに合わせつつ、背脂などこってりしたものを深夜に出したから、外来種感の強い「どさん子」系は負けていったんじゃないかな。

「どさん子」を追って店舗を増やしていったラーショが廃れたのは1990年代に入ってからで、1980年代に持ち堪えたのもそーゆーことなんだと思う。

いまご当地ラーメンと呼ばれてるものの多くは、「どさん子」革命と呼んでいいだろう事象の前からあったものだけど、

そーゆーものを出す食堂で喜んでラーメン食べてるのは、外から来た観光客であって、地元の人はこってりしたラーメンを食べてる、という光景が結構全国的にあるのよ。

ラーメン議連の会長はまさにそーゆー風土からお出になられた方のようで。

ということで、石破政権で山陰チャンポンや素ラーメンが盛り上がる❗️とか糠喜びした鳥取の人は残念でした〜😝

今まで通り粛々とやっていきましょう。

まあ、それプラスホルそばはいいのよ。

リアルに鳥取にあるものには違いはないから。

カレーの消費量1位っていうだけで、カレーカレー言われる方がほんとイタイので。

ビーツで作ったピンクのカレーとか覚えてる❓あれほんと酷かったよね。

あと、山陰ちゃんぽんをカレー味にして鳥取のご当地ちゃんぽんとか言い出すのもやめて。

私は鳥取の家庭がつくる、街にある普通のカレーが大好きです、って総理にひとこと言ってほしいなぁ。

それじゃあバイバイナマステ❤️暑寒煮切でしたっ✨

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