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和え玉はラーメン文化史の終着駅なのか

こんばんなまらステ🤎Kyoskéこと厚沢部煮切(あっさぶにるぎり)だべさっ✨

自分は普段、ラーメンといえば家系ラーメンとラーショしか食べないのよ。カレーラーメンはカレーの一類型として食べるけども。

だから家系やラーショでは見たこともない和え玉なんてものを食べたこともなかったんだけど、昨日とあるカレーラーメンのお供として頼んでみたら、これすごい🤩

博多ラーメンの替え玉ってあるでしょ。あれに味がついてて、味変になるというもの。

でも、麺にソース❓を絡めてそれだけを食べても普通に美味しいのでまぜそば的な要素もあるし、

最終的に博多ラーメンの替え玉みたいにラーメンスープに投入して味変を楽しむわけだけど、

その前に元のラーメンに和え玉を浸し、つけ麺みたいにして食べるのも楽しい。

え、なにこれ。すごくない⁉️

和え玉は替え玉とまぜそばの間に生まれた子なんだろうけど、

まぜそば自体がつけ麺がなければ登場しなかったものだと考えている。

油そばはつけ麺とは関係なくしかもほぼ同時多摩で生まれたものだけれど、それをスープや太麺という要素で今のまぜそばに仕上げたのはつけ麺の名店「六厘舎」のセカンドブランド「ジャンクガレッジ」だからね。

要するに替え玉、油そば、つけ麺という文化が合流を果たしたキメラといえる。

時系列で並べてみると、

替え玉は福岡の長浜、つけ麺は東京の中野で同じ1955年に生まれており、

油そばは国立説と武蔵境説があるけど、どちらも昭和30年代からといわれているため、替え玉やつけ麺とほぼ同世代といえる。

つけ麺と油そばの間にまぜそばが生まれたのは2007年の「ジャンクガレッジ」創業だろうと。

革新的な店が多く出た1996年が一般的にラーメン史のターニングポイントと言われていて、そのなかで東京中野の「青葉」が豚骨魚介のつけ麺を出していたことが今日のつけ麺の発展に大きく繋がっている。

「青葉」に影響を受け太麺と魚粉入りの豚骨魚介つけ麺で売ったのが2000年創業の本川越「頑者」、濃厚豚骨魚介つけ麺で売ったのが2003年創業の東京麹町「つじ田」で、このふたつの流れが合流したのが2005年創業の「六厘舎」。

「ジャンクガレッジ」はまぜそばを生み出すにあたり武蔵野うどんを参考にしたと言っているけれど、「六厘舎」に大きく影響を与えた「頑者」も恐らくはそう。

中野から来た豚骨魚介つけ麺と武蔵野うどんが西武新宿線を通して交錯する地が川越なんだよね。

和え玉は2012年創業のつくばにある「イチカワ」という店が発祥らしい。

ここは濃厚な煮干し使いで有名で多くの店に影響を与えた店、ということくらいは自分も知っている。

1990年前後に首都圏で起きた博多ラーメンブームがなければ「青葉」は生まれなかったけれど、博多のスープに着目した「青葉」とは別の観点から「イチカワ」は博多ラーメンブームを見つめ、さらにまぜそばのムーヴメントを見つめたのだろう。

何にしても、和え玉は生まれてまだ10年そこらの食べ方であるというところかな。

和え玉は工夫次第で色々面白いことができそうに思う。

例えばつけ麺において和え玉とつけ汁を無限に組み合わせて幾重の味変を起こすとかさ。

鍋料理のシメにもいいし、スープカレーに和え玉というのも面白いだろうし。

現時点では和え玉以上に革新的なラーメンの食べ方ってあるのかな。

家系とラーショしか知らない人の戯言なので、ラーメン詳しい人からすればもっと先の何かがあるのかもだけどね。

それはそれとして。

ラーメン一杯にライスと和え玉つけたらヤバい量になった😅

和え玉ってもっと小さいポーションなのかと思ったら、これだけで食事として完結しそうな量が出てきたことに驚きを禁じ得なかった。

和え玉がもっと知れ渡るようになるには、量の調整が絶対必要だなとも感じた。

替え玉文化の長浜・博多ラーメンはそもそもの量が少ないからね。

デフォルトの麺と和え玉のハーフ&ハーフというようなことを考えていかなければね。

それじゃあバイバイなまらステ🤎厚沢部煮切でしたっ✨

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