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花祭り記念卍インド仏跡巡り2.0③八大聖地に名門大学、仏跡巡りの名所あれこれ

はじめに

こんばんナマステ💛Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️

佐々木朗希の完全試合の話題も冷めやらないけど、パキスタンがとんでもないことになっている。

これからどうなるのかまだわからないけど、インドとの関係改善に向かってもらうことを祈るばかり。

#仏跡巡り が終わったらパキスタンネタをやっていこうかな。大昔は仏教圏だったパキスタン、結構仏教関係の遺跡もあるんだよね。釈尊とは関係がないけれど。

さて、今回のシリーズは釈尊生誕を祝う花祭りを昨年11月2日に #Clubhouse#インドの衝撃 ( #インド大学 )』で喋った話の再構成。

58分喋ったものをテキスト化していくのはなかなか大変だ💦

一昨日の花祭り当日は、仏跡巡りを革新する可能性のある新たなインフラのはなし。

昨日は仏跡巡りの基本である #四大聖地 について書いた。

今日は引き続き #八大聖地 についてやっていこうと思う。

四大聖地、八大聖地についてはここで色んな宗教の聖地のなかのトピックとして紹介しているのでこちらも見てみてね。3月20日のClubhouse『 #日本とインドの架け橋 』で喋った内容。

んじゃ、早速やっていこうか❢

聖地が12箇所あるわけではない

ではでは、八大聖地について見ていくことにするけど、昨日紹介した四大聖地を含めての八大聖地であって合計して12箇所あるわけではない。

だからここで紹介するのは残り4箇所。

四大聖地は釈尊本人が指定したとされるけど、残り4つは他人による後付けなんだよね。四大聖地はいわゆるライフ=イヴェントに纏わるとこだけど、その他4箇所は釈尊ゆかりの地というくらい。『仏説八大霊塔名号経』などが典拠とされる。

八大聖地を時系列に並べていくと、当然釈尊が生まれた #ルンビニ に始まり、悟った #ブッダガヤ 、説法デビューの #サールナート と続くので4箇所目から説明していくことになる。

仏教を媒介させたインドのローマ

八大聖地第四の聖地といわれるのが #ラージャグリハ 。インド人にはラージギールといった方が通じる。漢訳は #王舎城 。なんか王様がいそうな地名だけど、その通りで #マガダ国 の都。

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紀元前5世紀とかそのへんの北インドはアーリア人による16の国による群雄割拠の時代だった。時代が曖昧なのは釈尊自身の生年がよくわかってないから。

そんな十六大国のなかで最も強かったのがマガダ国で、のちにインド亜大陸の大半を歴史上初めて支配するマウリヤ朝に発展することになる。このマウリヤ朝のなかで一番有名なのがアショカ王。

釈尊がラージャグリハで布教に励み、この王朝の発展が仏教の発展に繋がったわけだから、キリスト教とローマ帝国の関係に似てるっちゃ似てる。ラージャグリハはいわばインドのローマだったというわけだ。

王舎城のほか近隣の霊鷲山や竹林精舎、温泉精舎などが有名。

そう温泉があるのよ♨

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ビハール州の二大都市である州都パトナーから車で3時間、ガヤーから2時間の位置にある。ちなみにパトナーは元々パータリプトラ(華氏城)といってラージャグリハから遷都したマガダ国の都。

近郊にはのちに玄奘三蔵も学んだ世界最古ともいわれる大学ができ2016年に世界遺産登録された #ナーランダ があり、特に世界遺産登録後は仏跡巡りの過程でここにも立ち寄るのが定番になった。2010年にはインド政府によりナーランダ大学そのものが再開して実際に授業が行われている。

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捏造された鐘の声

第五の聖地はウッタル=プラーデシュ州の #シュラヴァスティ 。マガダ国と並ぶ十六大国のひとつ、 #コーサラ国 の都、 #舎衛城 。ウッタル=プラーデシュ州中北部というのかな、にある #マヘート遺跡 に比定されている。

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そしてその近隣にある #祇園精舎 は釈尊の夏の逗留地で、コーサラ国の富豪で釈尊にメロメロになってしまったスダッタ氏より寄進された説法所。こちらは #サヘート遺跡 に比定。

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京都をはじめあちらこちらにある祇園はこの祇園精舎が由来。


祇園精舎といえば『平家物語』のこのくだりがあまりにも有名だけど、

1981年に日本人がガチで鐘をつけてしまった。なんだかなあ。

州都ラクナウから4時間、クシナガラから5.5時間。かつては1日がかりの移動であり、仏跡巡りの難所。したがってここには行かないツアーも多い。

年々拡大する仏跡

第六の聖地はビハール州北部の #ヴァイシャーリー 。漢訳は #毘舎離城

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釈尊が最後の旅で訪れた猿王奉蜜の地。猿の王がマンゴーの蜜を集め釈尊に捧げたのだということらしい。

ここもやはり十六大国のひとつ #ヴァッジ国 の首都でリッチャヴィ族の商業都市。

ビハール州の州都パトナーから北に2時間、クシナガラからは南東3.5時間。

ほぼ完璧に残るアショカ王の石柱や王宮跡などが遺り、現在も絶賛発掘中。だからリピーターの多い仏跡巡りの一番の楽しみはヴァイシャーリーの変化なんじゃないかな。

ちなみに京都サンガの由来であるサンガはリッチャヴィ族の合議に由来するらしい。

涅槃のその先へ

第七の聖地は釈尊涅槃の地、 #クシナガラ

え⁉️死んじゃったよ💦

でもまだ八大聖地終わってないのに、どゆこと❓

要するにその先の話ってことになる。

それが最後の聖地、ウッタル=プラーデシュ州の #サンカシャ 。漢訳は #僧伽舎 。インド人にはサンキッサという方が通じる。

一昨日、アビダンマ=デイの話を書いたのを覚えてるだろうか。釈尊が幼い頃に亡くなった母マーヤ妃に説法するため天界へ行き、アビダンマを伝えて再び現世に降臨したという話で、これを三道宝階降下という。

要するにここだけが史実ではなく伝説の地。インド・ネパール国境付近をウロウロしていた釈尊がこんな西に離れたとこなんて行ったこともないはず。何で知らないとこに降りてきたのか。逆にいえばそれだけ仏教の勢力が拡大したってことでもあるわけだけども。

しかし縁のない土地にこの伝説が生まれたことが後に日本人の奇妙な縁をつくることになる。

とりあえず仏跡の説明をするとアショカ王の石柱などが残るが八大聖地の中で最も地味。

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ウッタル=プラーデシュ州の西部、アーグラーから3時間、一番近い仏跡であるシュラヴァスティから7.5時間。今は宿泊施設があるけど、長らくアーグラーに泊まるしかなかった。

他の仏跡から離れ過ぎていることもあり最もツアーから外されやすいけれども、サンカシャに行ったとするなら逆にアーグラーとセットにしやすい。

つまり日本人においてはサンカシャのおまけとしてタージ=マハール観光が始まったという話になる。

嘘みたいだけど、日本人がインドに観光目的で行くようになるのって仏跡巡りより後の話だからね。これについては明日きちんと書こうと思う。

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八大聖地の位置関係と定番ルート

八大聖地の位置関係、こればかりは文章でいくら説明しても難しいので、リンク先を見てほしい。

サンカシャだけ離れ小島になっているのとシュラヴァスティ(サヘート&マヘート)も微妙に離れている。

サールナートも離れてるけど、サールナートというかヴァラナシとガヤーの間はデリーとコルカタを結ぶインドの東海道と呼べるようなルート上なので交通の弁はいい。反面、このガンジス川沿いを外れると途端にインフラが貧弱になる。

したがってサンカシャとシュラヴァスティを外すツアーがよくあるけれど、六大聖地とか七大聖地とか表記するのはなんだかなと思う。四大聖地を含む6つの聖地を巡る、とかにしてほしいなぁ。SMAPは5人だったと言われる違和感に似てる。

四大聖地オンリーのツアーはそんなにない。ブッダガヤからクシナガラ、ルンビニ方面に向かうルート上でラージャグリハとヴァイシャーリーは寄れるからね。

デリーかバンコク経由でヴァラナシ入りしてサールナート、そこからブッダガヤ、ラージャグリハ、ナーランダと廻ってパトナー。ヴァイシャーリーを経て国境越えでルンビニ。インドに戻りクシナガラ、シュラヴァスティ、ラクナウなどを経由してのサンカシャ、タージを見物してデリーから帰国というのが定番コースかな。

「六大聖地」を駆け足で巡って1週間、八大聖地ならその倍になってしまう。サンカシャへ行くのは効率が悪いのだ。

おわりに

仏跡巡りのパーツが揃ったところで、明日は仏跡巡りそのものについてもう少し掘り下げていこうと思う。

あと2日もらうよ❗️

その先のネタはまったく考えてないけど、冒頭に挙げたパキスタンの話もあるし、サステナブル=ツーリズムの手引きを読むという宣言もしてた。

そーいえば次にClubhouse『インドの衝撃』でいつ、なにを話すかも決めてないのよね。

何か思いつけば話すし、思いつかなきゃしばらくお休みかな。6月には大きなトピックが2つあるので。

それじゃあバイバイナマステ💛暑寒煮切でしたっ✨






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