新快速、11年前の立ち往生
こんばんナマステ💙Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️
ひどいねー、これ。
思わずこんなことを呟いた人に鉄道マニアと思しき人達がよってたかって叩いているけど、
この人の気持ちはものすごくよくわかる。
JR西日本の体質はずーっと変わってないんだな、ってことで11年前の記憶が蘇ってきたのでシェアしておくね。
あれは2012年の夏、記録を見ると8月2日となっている。
今見るとなかなか刺激的な日を送っている。
このセミナーを聴講するために大阪に出かけていて、
東京と大阪で同じような内容のものがあったけど、大阪は無料、東京は13,000円とのことで、
それだったらそのお金を使って大阪で美味いものでも食べようとしたみたい。
ちなみに公益財団法人日本交通公社っていうのは、今のJTBと元は一体だった組織で、民間企業としてのJTBとシンクタンクとしての財団に分かれたとこで財団JTBと呼ばれている。
んで、なかなかビックリなんだけど、前夜に小田原からムーンライトながらに乗ってるんだよね。
いつの間にか日付変更線が川崎から小田原に変わり、青春18きっぷでの利用がしづらくなっていたのを覚えている。
小田急の株主優待券を金券ショップで購入して行ったんだろうけど、高速バスに勝てなくなった理由のひとつだろうと。
このへんの話はまた別の機会に。
んで、大垣→米原と乗り継いで、山科で地下鉄に乗り換えて瓢亭で朝粥食べてた。
それで、セミナーが行われる難波へ向かったんだけど、当時の記録では10時に京都駅から新快速に乗っている。
セミナーは14時からだから、18きっぷなのでケチくさく環状線を遠回りしてJR難波へ向かったにしてもかなり余裕もあり、これは当然メシ目的やね。
そして10時9分頃、向日町の手前で新快速が突然停止してしまう😱
10時43分頃、前を走る普通電車が故障して、その乗客が駅まで歩いているというアナウンスが入る。
10時53分頃、新快速を向日町か長岡京まで動かす予定だけど、上からの指令待ちというアナウンス。
11時4分頃に長岡京まで走る旨がアナウンスされた上で発車、11時8分に長岡京へ到着。
向日町で降ろさなかった理由は何かというと、新快速は複々線のうち外側の線路を走っているのだけど、新快速や快速は向日町に停車しないため安全のためにホームの外側に柵が設置されてるんだな。
本当に緊急のときは向日町に停めて、乗客に柵を乗り越えてもらうのだろうけど、この日ときはその必要のない長岡京まで動かせそうなので、そうしたという感じ。
新快速は京都の次は高槻まで停車しないので、行けるところまで行って全然構わないということ。
この対応は正しかったのかといえば全然正しいと思う。
電車を停めたら、まず故障した電車が近くの駅まで自走できるかを確認しないといけないのはわかる。
無理だってことになったんだろうけど、だとしたら次にやらなきゃいけなかったことは停めている他の電車をすべて駅まで動かして乗客を降ろすことだよ。
駅で降ろすのが最も安全なのだから。
そのうえでようやく故障車から駅への誘導が始められる。
確認に要した時間がわからんからなんともいえないけど、10時半頃に他の電車を動かせたんじゃないかと思う。そのうえで故障者からの脱出は多少遅くなったとしても大差はなかったとみられる。
もう12年前の時点で、JR西日本の緊急対応はおかしかったんだよ。
そしてもしかすると、同じ区間であることからしてこの時の反省から今回駅で降ろすことに固執して対応を誤ったんじゃないの⁉️
今回の場合は電車を動かせないことが明らかなんだから、それならサクッと駅まで歩かせるしかなかった。
JR西日本に欠けてるのは乗客の立場を理解すること。
そうじゃなかったらローカル線を放置して、15km/hで走ったりなんかしない。他のJRもローカル線の減便や快速の廃止などはしてるけど、国鉄時代より遅く走ってるのはこの会社だけ。
安全第一は当然としてさ(2005年にはそれすらも無かったのだけど)、乗客のケアを第二に持ってこいってんだよ。
ちなみに長岡京で降ろされて、18きっぷで阪急への振り替えができないと聞いた時は本当に腹が立ったけど、それは元々の規則だし仕方ない。
まだ11時過ぎだししばらくしたら電車動くかな、と思い、ひとまず長岡京で降りてネットで見つけた店行ってみたらかなり当たりだった。
あれから12年、コロナ禍でもきちんと続いてるみたいで何より。
駅からここへ行く途中に帝産観光バスの基地があってさ、
後日帝産の関西のドライバーさんと何かで話す機会があって聞いてみたら、やっぱりこの店知ってたわ。
久々に食べたくなってきたなぁ。
12時半頃長岡京駅に戻ってきてもJRは動いておらず、阪急の長岡天神駅から淡路・日本橋経由で難波へ向かったと記録されている。
そしてその夜は当時高速ツアーバスとして走っていたiTSライナーで帰京したとのこと。
大阪府摂津市のバス会社ルミナス観光が立ち上げた旅行会社アイ・ティ・エスが催行していたけれど、新高速乗合バスへの移行を断念して都市間輸送からは撤退。
大阪のローカルバス会社及びそれに付随する旅行会社としては生き残っている。
隔世の感だなぁ。
それじゃあバイバイナマステ💙暑寒煮切でしたっ✨