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初孫、ドラ息子、隠し子〜王道家20周年イヤー・前篇

こんばんなまらステ💛Kyoskéこと厚沢部煮切(あっさぶにるぎり)だべさっ✨

年の瀬企画ということで、昨年に引き続き横浜家系ラーメンの人気店「王道家」について今年も2日間にわたって書いていくよ❣️

まず自分自身の話からしたいんだけど、昨年書いたときは「王道家」のファンとして書いたんだけど、

「王道家」と敵対する「ソラノイロ」が10月にオーペンさせた「革新家TOKYO」にハマった故に自分も「王道家」に対してはアンチになった。

ということでアンチの立場から書かせてもらおうと思うけど、とはいってもこの記事については昨年とあんまり目線も変わらないかもしれない。ニュートラルというわけでもないけど、つかず離れずというか。

とりあえず「王道家」についての概説をしてみたい。

2003年1月、横浜家系ラーメンの総本山「吉村家」で修業した清水裕正氏が「柏市旭町2-1-6」にオーペンした「王道家」がはじまり。したがって今年が創業20周年ということになる。

運営法人の有限会社清水商事(法人番号040002096436)は平成17年5月27日、つまり開店してから3年後の2005年に設立されており、それまでは清水氏の個人事業ないし「吉村家」を運営する有限会社吉村家(法人番号8020002010979)の運営だったと思われる。

清水氏自身が最初の3年は客足に恵まれず苦労したと語っており、経営が軌道に乗り始めたときに法人化したのだろう。

法人といっても登記上の本店住所は当初が「茨木県取手市戸頭四丁目12番1号」、平成21年(2009年)2月11日以降は「千葉県柏市旭町一丁目14番3-904号」となっており、どちらも清水氏の自宅と考えられる。

清水氏は一般的には「王道家」の社長という紹介がされるけれど、実際にはこの有限会社清水商事の唯一の役員である取締役のほか、株式会社ラーショ(法人番号040001120338)、株式会社IST(法人番号040001120337)、株式会社王道家直伝(法人番号040001121220)という3社の代表取締役を務めており、いずれも現在の役員は清水氏1名となっている。

清水氏は2011年に「吉村家」から破門されて以降、麺などの内製化や支店展開、弟子の育成、他店プロデュースやコラボ、家系ラーメン以外のジャンル進出などを積極的に進めており、

2021年より本格稼働させたYouTube「王道家チャンネル」は現在登録者数5.57万人を数える人気チャンネルとなっており家系ラーメン随一のインフルエンサーという側面も持つ。

こうやって考えると「吉村家」直系時代より「吉村家」から破門されて「王道家」系総本山になった時代の方が既に長くなっているし、今年は「王道家」を巣立っていった弟子たちの新規開店が目立った一年でもあった。

清水氏が「吉村家」の吉村実社長(現在は長男の吉村政和氏に社長職を引き継がせ自らは会長職になっているが、清水氏は今でも「吉村社長」と呼び続ける)氏から破門された直接のやり取りは、

清水氏が自家製麺をやりたいと吉村氏に電話で告げた際だという。

以後は絶縁しているが2度のやり取りはあった。

1度は「吉村家」御用達の「酒井製麺」が使えなくなり麺の開発を続けた清水氏がとうとう「酒井製麺」に匹敵する麺を完成させたと自覚した際、麺を持って「吉村家」を訪ねるが、清水氏の顔を見た吉村氏から「帰れ」と一喝された件。

もう1度は2014年に清水氏にとっては「吉村家」の弟弟子にあたる代田氏が東白楽に「とらきち家」をオーペンさせた際、すぐ近くに「吉村家」直系の「末廣家」があるため激おこプンプンの吉村氏が清水氏に電話をかけてきた件。

吉村氏はなんだかんだ清水氏の携帯番号を消していなかったのかはわからない。清水氏は修業生募集を掲げて自身の携帯番号を公開しているため、その気になれば自分だって今すぐ直電はできる。

この時点では現在「王道家」グループについている旧「環2家」店主の鶴巻氏が「吉村家」陣営にいながら清水氏とも繋がっていたから、鶴巻氏に番号を聞いた可能性もあるし。

ちなみに吉村氏は「王道家」が2017年が柏から取手に移転したことを把握しており、少なくともこのときまでは見守っていたらしい。今は知らんけど。

吉村氏が清水氏を破門にした直接の理由は「酒井製麺」への義理を忘れて自家製麺をはじめたことを金儲けと考えたため。

上記のインタヴューでも「酒井さんは義理堅い」と仰っているでしょ。

「僕が修行していた所の社長が酒井さんを裏切って、自家製麺を始めた。それでそこを飛び出して、僕は自分でラーメン屋さんを始めた。それで僕が最初に(酒井製麺さんの麺に)戻った」

吉村氏は1974年に「吉村家」を始める前に京浜島トラックターミナルに出ていた屋台「椿食堂」で働いていた。

この屋台は現在の「ラーメンショップ」の総本山である「GOOD MORNINGラーメンショップ」とラーメンショップのFC本部である椿食堂管理有限会社(法人番号3010802009474)を「東京都大田区羽田1-3-7」に立ち上げており、製麺もここでしていると思われるけれど、吉村氏が修行した時期はFC展開を開始して様々なものを整える移行期だったと見られる。

「酒井製麺」は蒲田にあり元々うどんの製麺所だったらしいけれど、「椿食堂」に麺を卸し始め、そして「ラーメンショップ」のフランチャイズ展開により販路を拡大した。

しかし「椿食堂」は製麺の内製化を始め「ラーメンショップ」のフランチャイジー達にもその麺を買わせようとする。所謂「◯あ麺」というやつね。

それに反発して「酒井製麺」を使い続けることを選択したのが「ニューラーメンショップ」、「さつまっ子」、「なかむら屋」など。

「椿食堂」社長のやり方を不義理と感じた吉村氏も、修行を終え自身の店「吉村家」を立ち上げる際「酒井製麺」に声をかけた。

そして「杉田家」をはじめとした「吉村家」の直系店をはじめ、「本牧家」、「六角家」、「石川家」に連なる系譜の店に販路を拡大していく。

1990〜2000年代の「吉村家」は極めて濃厚で、自分もその味で育ったので、「王道家」をはじめ当時の「吉村家」の味を継承している店が好きなのだけど、

清水氏はこのスープと「酒井製麺」が合わないと感じ始めた。一方で「吉村家」の昔の味を継承している「本牧家」や「六角家」のスープとは極めて相性がいいのだと。

「酒井製麺」にもそのことを訴えたけれど麺を変えようとはしなかったため、今のスープに合う麺をつくろうと考えた。

「酒井製麺」には「うちをやめて続いた店はない」と警告されるも「それで構わない」と振り切り、そして吉村氏に告げて破門された、というのが公式のストーリィ。

吉村氏には清水氏の行動が師匠の不義理と重なって見えたため、「あいつは金儲けに走った」と批判している。

だけどこの話、実は清水氏のシナリオではないかと考えている。

清水氏は吉村氏と「酒井製麺」の紐帯を知らないはずがないし、吉村氏や「酒井製麺」の酒井氏から幾度となく聞かされてるはず。

清水氏はむしろこれを利用してクーデタを起こしたのではないかと。

だから師匠より先に酒井氏に自家製麺を始めることを伝えた。酒井氏に対して義理を通したんだろう。

このとき酒井氏にもっと強く止められたとしたら清水氏は別の方法で吉村氏の下を去る気でいたのではないかと思う。

清水氏は8年店を続けるなかで、自分の下で身を粉にして働いてくれる従業員が自分の城を持てないことに悩んでいた。

とくに2000年代半ばに「六角家」系譜の「蔵前家」「恵家」出身者を厨房に受け入れたことが転機と見られる。

彼は2007年に「王道家」を巣立ち京都で「紫蔵」を立ち上げるけれど、吉村氏は孫弟子を認めない方針のため、清水氏はコソコソ隠れて支援したと思われる。

清水氏はこのまま「吉村家」の直系店で居続けることが、自分の下についてくれているスタッフのためになるのか悩み始めたんじゃないかな。

清水氏は弟子を育てるために「吉村家」直系を離れたとも語っているけれど、多分こちらが真実。

離れるためにどうしたらいいのか、4年間考えた結果が自家製麺、ということなんじゃないかな。

この間に吉村氏に対して弟子を取らせてほしいという懇願も幾度となくしていると思われるし。

「吉村家」から破門された清水氏はすぐに「紫蔵」を弟子として公認し、以後「吉村家」の兄弟弟子をスカウトしたり、修行生を育てたりしながら、自身の支店や出身店を増やしていき一大グループを形成するに至る。

今年は過去最多、3人の弟子が巣立っていったけれども、それ以上に大きなトピックが2つあった。

今日のメインはその話。

巣立っていった3人は三者三様とても個性的だった。

時系列的には2番目になるけれど、5月に茨城県つくば市で「家系ラーメンがく」をオーペンさせた新井氏はなんと昨年、50歳それも飲食業界未経験で清水氏の門を叩いた。清水氏の方が歳下。

通常未経験者は3年修行させるものだけど、年齢的な問題もあり1年で詰め込んでの独立。

そのせいなのかスープの出来に満足できずオーペン日を何度も遅らせた結果清水氏の海外出張と重なってしまい、王道家グループ店のオーペン日恒例である清水氏の挨拶がない異例の船出となった。

一度食べに行ったけど、とりあえず回転悪くて客入り以上に長時間待たされるのと、味も基本は完璧だけど料理歴の浅さをすごく感じた。

でもね、それを社会人経験でカヴァーしてるんだよね。何年かしてラーメン自体が上手になれば、マジで王道家グループ一番の店になれる可能性ある。

7月には静岡県伊豆の国市、といってもどこなのか見当つかないけど、伊豆長岡ね。そこに鈴木氏が「王道鈴家」をオーペンさせた。

実際に彼を育てたのは清水氏が片腕と呼ぶ千葉市と市原市で「王道いしい」を経営する石井氏。

ただ、鈴木氏は元々清水氏に弟子入りを志願するも清水氏の直営店が人員満杯だったため、石井氏に預けられた。

とはいえ、清水氏の直営店でも修行させたところ、既に鈴木氏が市原でファンを掴んでおり、同じ千葉県とはいえ遠いところまで鈴木氏を慕い訪ねに来る光景を見て清水氏は衝撃を受けたという。

曰く、弟子入りに来た修行生に対して初めて「王道家」本体を支える立場として残るようお願いしたのだという。

歴代最優秀弟子の店、こちらはもう流石の出来。

この先の有望な2人に対して、3月に博多で「王道家直系ふじい」をオーペンさせた藤井氏はトラブルメイカーだった。

清水氏が福岡に店を出したいと言い出して修行生を募集、清水氏の九州にいる友人から紹介されたということで昨年面接に来た藤井氏はその時点で人間性に問題があると感じて断るものの、どうしてもやりたいと懇願、恐らく友人の手前断れなかったんだろうけども、結局折れてしまう。

かつ藤井氏の子どもが今年小学生になることを確認すると、「親の身勝手で子どもを転校させるわけにはいかない」といい今年の3月までにオーペンさせると言い出す。

予定通りのオーペンに漕ぎ着けるものの、スープの味も定まっていない様子で、人間性のみならずスキルも怪しい。

翌4月には都内の家系ではない人気ラーメン店のチャーシューの画像を無断で剽窃して、さも自分の店で焼いたチャーシューであるようにSNSで投稿する事件を起こすけれど、清水氏は藤井氏を見捨てなかった。

その後は兎にも角にも店を続けたものの、8月に閉店する。

これは藤井氏の責任ではなく、豚骨臭に対して近隣ホテルから苦情が入り、ホテルが費用を出すかたちで新店舗に移転することになったため。

清水氏もそれについては了承していた。

しかし、その後気がつけば藤井氏は破門されていた。

清水氏曰く、藤井氏があまりに連絡を寄越さないので(「王道家」の)看板外してくれと言ったのだという。

新店舗開店は来春だという話だったので、それまでの間柏に来て再修行しろ、と言ったら拒否された、とかそんなことなんじゃないかと思う。

予定通りにいけば来春、「王道家」の看板を外した「家系ラーメンふじい」とかそんな感じの店でオーペンするはずだけど、どーかなぁ。

清水氏にとっては一度弟子として認めた人物を初めて破門したことになる。

これは衝撃的すぎたけれど、これに劣らず大きなエポックメイキングが実は今年起きている。

7月に「王道いしい」出身の福島氏が千葉県市原市で「上総家」を立ち上げる。

同月、「王道鈴家」を立ち上げた鈴木氏は「王道いしい」に預けられておりあくまで清水氏の弟子だけれど、福島氏は石井氏の弟子であり清水氏にとっては孫弟子ということになる。

孫弟子を認めない「吉村家」に反発して離れた清水氏は12年経ってようやく初孫に恵まれた。

「上総家」オーペンに至っては、清水氏との面接がまずあり、オーペン初日は弟子と同じように清水氏の挨拶があった。

このあたりのやり方は「ラーメン二郎」の山田総帥を参考にしたのかもしれない。

どうも清水氏はすべての弟子に孫弟子の育成を許してはいないようで、独立後に成長した弟子に対して修行生の育成を認める方針の様子。

独立して自分の店をやることと、人を育てるのは段階が違うのだ。

何故それがわかったかというと、奈良県天理市の「我道家」や岐阜市の「稲葉家」に対して「これからは修行生採れ」と発言しているから。

ちなみに昨年千葉県君津市にオーペンした「環家」には既に修行生がおり、「吉村家」と「王道家」を合わせて十数年の経験がある増山氏は他とはやはり別格なのだ。

弟子が修行生を採ること及び孫弟子の独立は清水氏の承認があって、ということになる。

福島氏は腕は確かだけど、営業日時が不安定でマネジメントに不安を残すかなぁ。

一方で清水氏の承認がなく独立する者もいる。

1月頃に清水氏直営の茨城県取手市「王道家本店」にいた田村氏が退職。

8月に千葉県成田市で「家系ラーメンぱんちっ」をオーペンさせた。

昨年12月に清水氏運営の「柏ラーショ」を円満でなく辞めた初代店長が「家系ラーメンぱんちっ」のオーペンを宣伝していたので、合流したのかと思ったけど祝い花を出していただけで姿を現さなかった。

「家系ラーメンぱんちっ」についてYouTube Liveで問われた清水氏は「弟子じゃない」と明言している。

その一方で清水氏直営の野田市「王道」(現「神道家」)の店長をしていた山本氏が、清水氏の承認を得ずに埼玉県三郷市で一昨年立ち上げた「ラーメン桜道」が10月に閉店した。

体調不良で店を休んだ結果、経営が回らなくなったとのことで悲しい話。

店をやるのは誰しもが難しいけれど、清水氏の承認した弟子には開業資金が無利子で貸し出されるわけで、グループ店と非公認店では起業のスタートラインがそもそも違う。

信末氏による非公認店として一度柏に立ち上がった「薫風家」は閉店したけれど、隣の松戸市で「麺家燻」として復活した。

山本氏も是非見習って捲土重来してほしいし、田村氏も清水氏を見返すつもりで頑張ってほしい。

また清水氏が他社に作り方を伝授した「王道家直伝」店舗にもいくつか動きがあった。

札幌の人気店「MEN-EIJI」が運営する「王道家直伝 MEN-EIJI E.A.K」のうち狸小路に近い南2条店が8月で閉店するも、ここはFC店だったらしい。

札幌駅にあった店舗も北海道新幹線工事に伴い昨年閉店しており、現在は東区本町店のみ残っている。

ここ電車通ってなくて行きづらいんだよ😭

「青森大勝軒」が運営している「青森野呂家」は好調で、「弘前大勝軒」を今月閉店して来年1月に「青森野呂家弘前店」に業態変更することになった。

「東池袋大勝軒」のスープは早朝から仕込まなきゃいけなくて、人員が足りてないんだって。

激務と言われる家系スープだけど、上には上がいるんだと。

まさか従業員の負担を減らすために家系ラーメンを始めるなんてさ。

千葉県松戸市と埼玉県八潮市にある「王道家直伝との丸家」は「王道家」御用達の内装、厨房設備から不動産までやる株式会社トノマル(法人番号4040001037604)が持っているけれど、

現実の運営は株式会社王道家直伝がやっている様子。

今年は八潮店の店長大沼氏が大きく台頭し、独立店の店主並みに目立つようになった。これはトノマルや清水氏の想定外のことだろう。

恐らく経営的に八潮店が好調で松戸市の松飛台店が不調に陥ったことから、10月に八潮店と松飛台店のスタッフを総入れ替えして大沼氏は松飛台店を見ることになった。

ただ、これは清水氏の目の届くところで大沼氏を置いておきたいからなのかもしれない。

大沼氏は出身地の山形県で独立店舗を出すことを公言しており、清水氏は彼を弟子と同格という目で見ている様子が見て取れる。

弟子を育成するために「吉村家」の庇護を離れて12年、藤井氏という躓きもありはしたけど育成に関しては充実した1年になったのではないかな。

来年は2月に仙台で「鬼道家」、3月に滋賀県彦根市で「近江道家」のオーペンが決まっており、清水氏の秘蔵っ子シュウ氏の千葉県白井市なのか印西市なのかでのオーペンもほぼ決まっているという。(ただ昨年末もこんな感じだった)

今年度という括りでいえば年度末まで弟子の出店ラッシュは続くってことだね。

次々と巣立っていく弟子達に対して清水氏自身は毎年のことかもしれないにしても今年も波瀾万丈だった。

明日の後篇はそのことを書いていきたい。

それじゃあバイバイなまらステ💛厚沢部煮切でしたっ✨

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