「ボディメイクってどうなったの?」に答えたい
こんにちは。
kyoca@ボディメイク中(n回目)
です。
昨年、2024年は絶対に爆裂なスタイルになりたくて、アカウント名にボディメイク中と宣言し、2週間おきに経過報告をしていた。
そう、3月末までは。
このブログでは、私がボディメイクにチャレンジした背景と、それをやめた理由について書き記そうと思う。
前提として私は割とだらしない。
自己管理も得意ではない。
お金の管理は最も苦手な分野なので、FPを契約して管理してもらっている。
私が持ってると全部ゲームに課金してしまう。
また、注意力が散漫、好奇心が旺盛で、飽き性。
こんな私が何かを長期的に続けると言うのはそもそも難しい。
全くキラキラしたアカウントじゃなくて申し訳ないが、私はまぁまぁダメ人間の部類だ。
実を言うと私、幼少期はわりと太っていた。
中学生時代は、周りの女の子が30キロ台が多いところ、私は倍の60キロあった。
「クラスで最もブスな人ランキング」で一位を取ったりしていたが、私はそれを嫌だと思っていなかった。
むしろ、お笑い芸人のように、そのポジションを美味しいと思っていた。
自虐ネタで笑いをとっていた私は自分で言うのはキモいけど、かなり人気者だったと自称させて欲しい。
高校生になって急に世界が変わった。
「かわいい子にしか人権がない」ような環境に、しばらく現実を受け入れられない。
そして今まで大人気だったお笑い芸をすると「あいつマジでヤベェ奴だ関わらないでおこう」になった。
私の立場は一気に転落。
そして、この頃から私は、「世間が何に価値を感じるのか」に対して研究をし始めるようになる。
高校3年間で私は、女性にとって「容姿」がどれほど信頼性と好感度に影響するかを体感していた。
「視覚」から得られる情報の質と量は絶大だ。
私は負けず嫌いだった。
強くなりたかった。
新しい環境でも多くの人に慕われる存在でいたかった。
だから、メイクやオシャレにチャレンジしてみるのだが、とにかくいろんな人から「勘違い野郎」と言われるようになる。
そう、女性が努力して、改善を目指す過程を、世間は「勘違い」と評価するのだ。
これは割と辛かった。
ブスで太っている女性は、オシャレをすることも許されないのか?
そもそもなぜ私はこんなに太っているんだ?
原因を考えながら実家の玄関を開けた。
85キロの父、90キロの母、160キロの弟がBIGサイズのピザポテトを1袋ずつ手に持ってテレビの前で横になっていた。
60キロの私は家族の中でかなり痩せていた。
家を出よう。
私は大学生になり実家を出た。
このままここにいると一生恋も出来なそうだ。
大学は思いつく限り1番オシャレなところを選んだ。
オシャレな人に囲まれたらきっと良い影響を受けて自分も可愛く生まれ変われるんじゃないかと思った。
人気の美容室に入店拒否されたり、109のギャル服ショップで試着を断られたり、辛いこともあったけど、私は1年後には体重が42キロになっていた。
私は痩せてるブスにランクアップした。
生まれて初めてみる自分の鎖骨、ウエストのくびれ。
本当に自分自身が愛おしかった。
彼氏もできた。でも恋愛を知らなすぎてすぐ振られた。自分なんかを好きになってくれる人がこの世にいるのだろうかと落ち込んだ。
そんなマインドの時に知り合った優しい男性から告白された。もうこの人しか私を愛してくれる人はいないと思った。それが今の夫だ。
大学在学中に婚約し、卒業と同時に同棲。
社会人になってすぐ結婚、出産も早かった。
キャリアなんて考えたこともない。
子供がある程度大きくなったら、パートでもしてお母さんとしての人生を楽しもうと思っていた。
もう二度と容姿に囚われずに生きていけると思った。
これからは好きなだけピザポテトを食べて生きていこう。
実際に子供が生まれた後は外見を気にする余裕なんて全く持てなかった。
しかし私たち夫婦にはとにかくお金がなかった。
私は妊娠と同時に仕事を辞めたので、当時25歳の夫の給料のみでの生活。年収は320万円だった。首都圏での3人の生活は本当に苦しかった。
計算上はなんとかギリギリでやっていけると思っていたのだが、実際には全く足りなかった。独身時代のわずかな貯金がどんどん減っていった。
子供がある程度大きくなったらゆるくパートでもしてのんびり暮らす。
なんて言ってられない。
私は2人目を産んですぐにフルタイムでの社会復帰をせざるを得なかった。
社会復帰は本当に苦労した。
産休、育休という言葉が心から羨ましかった。
しかし、自分にないものを羨んでも仕方ない。
私にできることを見つけなければ。
こうして限られた時間の中で、がむしゃらに仕事に邁進する中、評価面談が行われた。
当時の私の会社への貢献度はトップクラス。
素晴らしい評価がもらえるだろうと思っていた。
結果は部署内で最も低い評価だった。
カトパン似の同僚、こじはる似の後輩は社長や上司に気に入られ、謎の特別手当がたくさんついていた。
いやいや待ってくれ。結局はまた顔なのか?
私は一生容姿を気にして生きていかなきゃならないのか?
いつまで?
当時はそんなふうに会社に嫌気がさした。
今振り返ってみれば、あの評価は容姿だけの問題ではなかった。
周囲と良好な関係を築くことを重視した2人の、素晴らしい人間性が評価されていたように思う。生まれつき美人で長らくチヤホヤされてきた女子は本当に立ち回りが上手い。自分の需要を客観視出来ていたんだなと思う。
私は捻くれていた。
この頃は今のように美容整形がメジャーではなかったので「自分の容姿を劇的に変える手段」と言うものは存在していないように思えた。
だから私は、生まれつきの美人、または、容姿に関心を持てるような家庭環境が羨ましかった。
この時、「評価されたい」という気持ちは完全になくなった。だってどうやったって勝てないんだもの。
現実社会での勝負を諦めた私はゲームにのめり込んだ。
その中でなら強くなれるから。
必要としてもらえることが嬉しかった。
「かわいい戦争からの離脱」
私の負けず嫌いはゲームで満たされた。
ヘビーなゲーマーを5年程度続けた頃、コロナが世間を賑わせる。
世界が急に大きく変わった。
高校に入学した時以来の衝撃だった。
あの頃は私の立場だけが変わったけど、この時は世界全体の価値観が入れ替わった。
ITバブルの到来。
美容整形の流行。
この時に気がついた。
「お金で美しさが買えるようになるということ?」
私は一度諦めた「現実世界で評価されること」にもう一度チャレンジしてみようと思った。
そしてゲームをアンインストールした。
Twitterのゲームアカウントを捨ててプライベートアカウントを作った。
私はすでに40歳だった。
もしかしたら「今更?」とか「もう諦めたら?」
と思われるかもしれない。
だけど、私は一生に一度でいいから美人になってみたい。
ずっと人が何に価値や感じるのかについて研究してきた結果、私が出した結論は「みんな美しいものが好き」。
本当は現世では諦めて来世で美女に産まれることを祈りたい。しかし、来世なんてあるかどうかわからない。あったとして、キリンとかアリに産まれるかも。
もしも美女になりたいゲームをスタートするのなら.日本で女性に産まれた時点でSSRなのだ。40歳なんてことは大した問題ではない。
むしろ80歳になってから気がつかなくて良かったとさえ思う。
しかし、日本でこのようなチャレンジをする姿は、きっとまた「勘違い」と「痛い」で溢れるだろう。
この言葉はもう聞き飽きた。
私の前にやっとチャレンジできる環境が訪れたのだ。
もしも100%やり切る場合。
肌管理→ボディメイク&歯列矯正→鼻フル→輪郭3点→脂肪吸引
の順番で考えている。
あくまで理想で、全て叶えられるかはわからない。
しかし、ボディメイクは過程に過ぎない。
ではなぜ去年途中で投げ出したのか。
この理由はライフスタイルの変化にある。
2024年の4月に長男が高校生になり、毎日お弁当を作る必要ができた。
また、同時期に私はPTA会長にチャレンジし、やるべきことが増えた。また、本業で試験の合格は必須だった。
1.本業
2.副業
3.料理
4.試験勉強
5.PTA
6.家事
7.趣味
8.ボディメイク
という優先順位の中、どれか一つを切り捨てるならボディメイクになった。
このように、自分のチャレンジしたいことは、生活環境の中にうまくフィットしないことがしばしばある。
私はこれまでこの状況を「甘えだ」とか「言い訳だ」と発言してきたが、今はそう思わない。
去年、ボディメイクを切り捨て、他のタスクを成功させたことは間違い無く英断だった。
私と同じように頑張る女性、また、頑張ろうとしている女性が楽しめるように、軌道修正をマイナス評価することはもうしない。
とはいえ、私は諦めたわけではない。
歯列矯正、鼻フル、輪郭3点、脂肪吸引のカウンセリングには全て行った。
教育費にヒーヒー言いながら、その費用を工面する傍で、工夫しながら再チャレンジを試みる。
今日、パーソナルトレーニングを契約してきた。
2025年、どこまで進捗できるかわからないが
このチャレンジと人生全体を楽しんでいきたい。
そして、これから40代になる女性や、何かにチャレンジしている人の希望になれたらいいな。とかと思っている。