ロシア語学・スラヴ語学を学ぶためのおすすめ書籍
1. 初めに
みなさんこんにちは。某私立大学でロシア語学・スラヴ語学を専攻するキョンと申します(2025年春からは北大大学院)。今回は、ロシア語学・スラヴ語学を学ぶために有益だと思われる書籍を何冊(和書)か紹介したいと思います。
なお、ここで挙げられている書籍は小生の独断と偏見で選んでいます。書籍を購入される際は、書店に足を運ばれて実際に本に触れてみてください。
ここでは、初級と中・上級の順に書籍を紹介していこうと思います。なおここでは文法書は対象外とします。
2. ロシア語学・スラヴ語学とは
ロシア語学・スラヴ語学は、ロシア語やその他のスラヴ系言語を対象とする言語学の一分野です。従って卒業論文や修士論文を執筆する際には一般言語学な知見も大変重視されます。そのため何よりもまず一般言語学の入門書を読まれることをお勧めします。
ロシア語学・スラヴ語学で研究されるテーマは多岐に登りますが、音声学音韻論、形態論、統語論、テンス(時制)・アスペクト論などが王道と言えるでしょう。近年では社会言語学の観点からの研究も増えています。また、スラヴの古い言語である古教会スラヴ語や、古代ロシア語の研究は、ヨーロッパ・アメリカを中心に大変伝統的な分野であります。
3. 初級編
3.1 黒田龍之助(2022)『羊皮紙に眠る文字たち再入門』 (白水社)
1998年に現代書館から刊行された『羊皮紙に眠る文字たち』の新版である。
ロシア語学やスラヴ語学を学ぶ上で基礎的な情報を学ぶことができる一冊である。スラヴ語とはどのような言語であるのか、スラヴ諸語で使われる文字の話など、これから勉強を始めたいと思う人向けの本である。
特に、スラヴ語学を学ぶ上で欠かせないキリル文字の歴史や、スラヴ語の研究史を一般の方に向けてわかりやすく記述されていることもポイントが高い。特に、アラビア文字で書かれたベラルーシ語(キターブという)の話は興味深い。
ただし、言語学的な問題には深入りしていないので、その点は注意するべきだろう。
3.2 三谷惠子(2024) 『比較で読みとく スラヴ語のしくみ [新版]』 (白水社)
日本のスラヴ語学を代表する大家である三谷惠子先生(2022年逝去)による著書『比較で読みとく スラヴ語のしくみ』の新版である。この書籍は、音韻論や形態論などの領域に沿って、それぞれのスラヴ系言語でどのような形式を持っているのか、それぞれを比較・対照するとどのようなことがわかってくるのか、というテーマで著されたものである。
この書籍で対象にしているのは、現代のスラヴ系言語であり、その言語的特徴の内重要な研究領域を一般向け・初心者に向けてわかりやすく、そして丁寧に記述されている。専門書ではないので、厳密な記述はなされていない箇所もあるが、それは勉強が進んでから確認すべきである。
4. 中・上級編
4.1 桑野隆(2021)『もっと知りたいロシア語』(白水社)
長年ロシア語教育・ロシア文化研究に取り組まれてきた桑野隆先生による一冊である。この本では、初級ロシア語で扱われることの少ない点に焦点を当てて、語学的な解説を加えるということに重きをおいている。従来、日本で出版されているロシア語学関連書籍で扱われてきてこなかった文章表現や文体論、さらには語順の問題までもカバーする書籍となっている。
この書籍の内容は、どれもロシア語学の重要な研究テーマになることは間違いなく、卒業論文や修士論文のテーマをここで探すことも可能かと思われる。
初級ロシア語を履修・ないしは習得済みの読者を想定しているため、あらかじめ初級のロシア語の教科書を一周していることが望ましい。
4.2 三谷惠子(2011)『スラヴ語入門』 (三省堂)
こちらも三谷惠子先生による著書である。こちらの書籍では、四部構成となっている。初めにスラヴ系言語の音韻・形態・統語的特徴が手短にまとめられている。第二部ではスラヴ文献学の基本的知識などが記述されている。第三部では現代のスラヴの各言語の歴史や音声的特徴が詳細にまとめられている。第四部では、社会言語学的問題を論じている。
本書籍を通読すれば、スラヴ語学の基本的な知識が身につくだろう。ロシア語学・スラヴ語学を専攻している大学生にとっては、大学院試験の対策にもなる。しかし、通読するには一般言語学や一般音声学の知識が求められる。事前にそれらの本を読んでから本書を読むと、効果的である。
4.3 服部文昭(2020)『古代スラヴ語の世界史』(白水社)
こちらは、古教会スラヴ語の辿った歴史や、19世紀以降のスラヴ語研究史について記述された一冊である。古教会スラヴ語や、スラヴの言語を書き表す文字であるグラゴル文字・キリル文字の生まれた歴史的背景などは、スラヴ語スラヴ文学を研究する際には基礎的な知識となる。また、19世紀以降のスラヴ学の動向も学ぶことができる。従来、この分野の日本語文献は少なかったので、この本の存在意義は大きい。
題名が示している通り、「世界史」であるので、歴史文法ではなく語史に重点が置かれている。古教会スラヴ語や古ロシア語の文法にはフォーカスが当てられていないので、そのような知識を求めている方は、別の書籍にあたって欲しい。
4.4 木村彰一(2003)『古代教会スラブ語入門[新装版]』(白水社)
この書籍は幾度となく改訂されており、一番初めは1985年に出版された。
日本にはこの書籍以外にも、古教会スラヴ語を学ぶための書籍がいくつかあるが、この書籍は避けて通れない。日本を代表するスラヴ語学者である木村彰一先生による『古代教会スラブ語入門[新装版]』である。
この書籍は、もちろん古教会スラヴ語の文法が表されている書籍であるが、序論には古教会スラヴ語やキリル文字誕生の歴史的背景が手短に記述されている。時間の関係上先の『古代スラヴ語の世界史』を通読することが困難な場合は、こちらの序論を読むことをお勧めする。
私事になる。私の古教会スラヴ語の恩師であるY・O先生は、この書籍の素晴らしいところとして、「共時的」に文法を記述しているところにあると仰っていた。古教会スラヴ語は、時代によってヴァリエーションがあり、それを現代的な意味での語学書・文法書として編むことは困難を要する。それらの困難を解決し本書を編んだ木村先生は、замечательный「傑出した」と言うほかない(若造が言うのもアレですが…)。
木村先生と並んで日本のスラヴ語学を代表する千野栄一先生は、本書は50年、いやそれ以上長く使えると評している。また、「スラヴ学の一流先進国にも滅多にないような優れた入門書」と評価している
(出典:https://cir.nii.ac.jp/crid/1520290885092964224)
この書籍は優れた入門書には違いないが、やはり指導者がいてさらにその効果が発揮されるだろう。現状、日本に古教会スラヴ語を教えることができる先生は、かなり少ない。独学であっても勉強はできるが、ロシア語やチェコ語など、少なくとも2つのスラヴ系の言語がわからないと厳しいと思われる。
まとめ
本稿では、和書を中心としてロシア語学やスラヴ語学を勉強できる書籍について紹介してみた。断っておくが、これは筆者の独断と偏見によるものなので、あまり過信はせず、色々な先生や仲間から意見をいただいて欲しい。余裕があれば、海外で出版されたものにチャレンジするのもいいだろう。