父の命日
ここ数年、恒例となっている父の命日に思うことを綴る。
今年の命日は、実にカラッとしていた。
湿っぽい気持ちが微塵もなかった気がする。
もう父が亡くなって7年が経つから、私の心の中も整理がついたのかもしれない。
ここ1ヶ月くらい、自分に起こる現象がガラッと変わった。
良い方向に変わっていったのだ。
この理由もなんとなくわかる。
私はいろんなことを手放して降参したからだ。
別の言い方をすれば、執着が外れた。
父が亡くなってから、私が残された家族を何とかしないとという気持ちがずっと私の中にあった。
今思えば、傲慢な考えだ。
しかし、その傲慢な気持ちを持ち続けていなければ、私は気が変になってしまったかもしれない。
家族をなんとかしないといけないという傲慢な気持ちを持ち続けることで、自分が必要とされていると感じていたかったから。
しかし、そう思い続けていると何をやってもうまくいかない。
やることやること、すべて裏目に出てどん底に突き落とされた。
何かが間違っているとわかっていながらも、私は自分を必要とされていると感じたかったので、その道を突き進んでいた。
だけど、もう限界の一歩手前まで来て、すべて降参した。
私は他人のことを気にするんじゃなくて、私自身を気にする。
私のことに集中しようと決めた。
そうしたら、不思議なもので、自分に起こる現象がすべて変わって、良い方向に流れ出したのだ。
ずっと、父は私にサインを送っていてくれたのに、気がつかなかった。
「どうして私だけ、こんな目にあわなきゃいけないの?」
と、被害者意識でずっとずっといた。
しかし、その不都合な現実は、自分の中のズレを知らせるサインだった。
もっともっと私が幸せになるためのサイン。
だからこそ、父に感謝したし、新しい人生を歩む時がきたのだと感じた。
自分のための人生。
自分が自分を幸せにする。
そして、父からの卒業。
こんな思いがあったので、今年の命日はカラッとしていた。
新たな人生の始まり。