見出し画像

◯◯病なんですよ、って言われた時の話

今日は、年明けにあった出来事について書いていきたいなぁと思っています。考えるきっかけは年明けの出来事だったけれど、思い返すと時々こんなことあったなぁ、と思うから書きたいなぁと思って書きます。

「私、鬱病なんです」


ある日、友だちから告げられた言葉。正直その時の私の心は変な安心感に包まれていた。なぜなら、その人と過ごしてきた時間を振り返るとその人がひどく落ち込んでいる様子が思い浮かぶからだ。相手は、とても完璧主義。前日には、「明日は◯◯時に◯◯駅の改札で集合ですね!楽しみです。」と必ず連絡をくれ、当日は待ち合わせ時間にも絶対に遅れない。そして解散したらすぐに「今日はありがとう」とお礼の連絡をくれる、まめったい性格でもある。けれど、時々全く連絡が取れなくなり、心配になったりする。3日くらいして来た返信は「疲れて全然携帯見てませんでした」という感じ。その返信を貰うと、私はいつも「ああ、心が疲れちゃってたのかな」と思う。だから、「鬱病」と言われた時に納得した自分がいた。とても失礼な、納得だ。今でも申し訳なく感じる。

◯◯病との向き合い方

私に病気のことを打ち明けてくれたその人は、鬱病とどう向き合っているかを話してくれた。相手が丁寧に紡ぎ出す言葉を聞きながら、私は「受け入れる」と「治そうとする」ことの違いについて考え始めた。例えば、鬱病の場合、根本的な原因は複雑に絡み合っていて、主には人間関係なのだけれど、でも人間関係だけではなくて、通学する電車で疲れてしまったりもするらしい。そういうある意味「弱い自分」を治そうとして来たけれど、それは限界だと気づいたらしい。そこから、少しずつ「鬱っぽい日の自分」も受け入れ生活をしているという。

実は、私は待ち合わせ時間にその場所に行くことがとても苦手だ。留学中、集合時間を決めてもその時間に来る人はおらず、むしろ集合時間に支度をし始める人もいたりした。だから、自分もルーズになってしまって、日本に帰ってきてから人を待たせてしまうことが本当に多い。時間感覚が鈍ってしまっている。だけど、そんな私を友達は「オージータイムや〜(オーストラリアの時間感覚でいないで)」と笑い飛ばしてくれる。申し訳ないと思いつつも、こうやって周りに支えてもらいながら生活している。だから、集合時間に間に合えない自分をも受け入れてくれる人たちに囲まれた、私もそういうちょっとダメな自分を受け入れ始めている。

きっと、この世界には私が知らない、聞いたこともないような病気があって、今も新しい病名が作られていることだろう。けれど、完全に直せる病もあれば、受け入れていくことでしか暮らせないような病もあるのではないだろうか。受け入れるまでには、随分と時間がかかり、そして周りの理解と自分の努力も必要である。けれど、いつかは自分が受け入れられるように少しずつ進んでいければいいのではないのだろうか。 

何かの病があるあなたへ。

何か人と違うと、なにかと、あの人は病気なのかな、障害があるのかな、日本人じゃないのかな、とか思われてしまうこともある。けれど、私はそんなのどうでもいいと思っているし、むしろ少し人と違う人がいる社会の方が面白みがあると思う。私と同じ人が50人いると想像しただけで、うんざりだし、そんな社会楽しくない。だから、わざわざ何かの病があることを言わなくてもいい世の中になって欲しいし、病があったとしてもそれをその人自身と周りが受け入れ、強くたくましく生きる人が増えてほしいと願っている。病を理由に、出来ないこともあるし、人と比べることもある。けれど、ぜったいたくさん挑戦できる社会の方がたのしいぜ。へへっ。

最後に、私が最近読んだ本「◯に近い△を生きる/鎌田實」の一節を紹介してみたい。この本は私の師匠から、面白いぞと勧められて読んだのだ。

「ちょっと変わっているから将来おもしろいわね」とか言って考えることができたら、その子はすくすくと、生き生きと才能を育てることができる。(中略)時々失敗しながら地域に守られながら、天才が育つかもしれない」 

本当に心の底から共感して、こんな地域があったら私はそこで子育てをしたいなぁと思った。そう、人が生きるためには、家族や地域のおっきな心が必要なんだよなぁ。そして、何より人と違うことを、時には笑いに変えれるような、特技にもできちゃうような地域を私はこれから作っていきたいなぁと思う。

さて、この社会の名がある病気持ち、名がない病気持ちのみんな(私は遅刻しちゃいがち病)、
社会を面白おかしくたのしもうぞよ。
それは私たちの個性で、私たちのアピールポイントにもなるのだ。

そうやって思える日がまくるまで、一緒にとぼとぼ歩もう。私の大切な大切な友達よ、また美味しいアフタヌーンティーをしよう♡

びっくはぐをできる日を楽しみにして、
あなたのぜーんぶを受け入れられるように私もたくさん学んでいきたいなぁ。

いいなと思ったら応援しよう!

Kyoka
新しい景色を訪ねたいと思っています。そして、そこで感じた、音や風、空気、人の温かさをnoteに。