「 どれが本当の、わたし? 」

「腹を立てているように見えないということと、腹を立てないということは別なことです。(塩狩峠/三浦綾子)」

大人になるということは、どんなに腹が立ったとしても、腹が立っているようには見せないということなのかもしれない。
「事実や内心がどうであれ、態度として、表現として。優雅であり、余裕を失わない。(アムリタ/吉本ばなな)」
心の中と、他者の目に映る態度、二つを上手く切り分けて演じるようになっていく。

“いつもニコニコ明るくて元気”
そんなふうに受け取られることが凄く多くなった。
そうありたいと願い、そうなれるように意識してきた。
「理想の自分を演じるように、ちょっとだけ背伸びをしてごらん。いずれそれが自分の普通になっていくから。」
大学の入学式に言われて私の大好きな言葉。
“いつもニコニコ明るくて元気”な私。もう無理に演じている意識も薄れ、自分の普通になりつつある。
それは喜ばしいことだし、そんな自分をちゃんと気に入っている。

でも、凄く凄く深い闇を持つ真っ暗な自分もいる。
幼い頃はその部分を上手に隠す術を知らなかったし、完全に飲まれてしまっていた。
コントロールなんてできなかった。まず闇に負けずに、今日を生き抜くことに必死だった。
もう信じられないくらい暗い子だったと思う。


年を重ねるごとにその一面と上手く付き合えるようになった。
飲まれてしまうこともあるけれど、飲まれていてもさらにその上から仮面をかぶれるようにもなった。
いつものニコニコ明るくて元気な私の仮面。闇を隠してくれる。

でも、そのちぐはぐさが苦しいと思うようになった。
みんなから見えている私と、私しか知らない凄く暗い私、どんどんかけ離れていくようで。

なんだか嘘をついてしまっているようでもどかしい。
本当の私を知ってほしい。
本当の自分は違うんだよ。
ちゃんと隠せていて安心する気持ちの一方で、暗い私が「私もいるんだよ」と嘆く。

でも全部を知ってもらう必要なんてないということ。
そもそも23年間の積み重なりすべてを分かってほしいというのがなんとも図々しい望みだ。
自分しか知らない一面を有していたっていいんだ。
それも立派な私なんだ。

周りの目に決して映らなくても、大事な自分の一片であるということ。本当も嘘もない。 

多面的。どんどん面は増えていくのだろう。
多い方が魅力的かもしれない。ダイアモンドみたいに輝くかもしれない。
どの面だって大事にしなくちゃいけない。

自分一人しかしらないのであれば、その分一人でたっぷり時間をかけて見守ってお世話してあげなくちゃいけない。
目をそらさずに。誰にも共有しなくたっていい。自分がちゃんと見つめてあげる。

そうすると他者からの評価が少しずつ気にならなくなっていく。
そして他人のことも断定するということがいかに未熟なことであるかがわかっていく。些末な一片で判断することの愚かさ。


自分も他人も、輝きの材料となる沢山の面を救い上げて、大事に見守ってあげる。
他人も本人が気づいていない素敵な面があると思う。
そして、どうしても今の自分には見えない裏の方に影をひそめる面に思いを馳せられる人になりたい。

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