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【30年後の世界へ ― 学問とその“悪”について 第三回地球上の生命と人類は30年後にどうなっているか】学びの振り返り

【文系的学問の意味について】
文系的な学問の意味を考えることがある。理系出身の方が良い会社に就職できるとか、有意だとかそういう主張をよく耳にする。私はメリットデメリット損得を超えて「好きだから」「気になるから」が指標になっているのだが、意味や価値の面から改めて考えるとき、文系的な学びに価値があるかを考えるとき、爆走する発展を歯止めをかける一つの枷になるのかもしれないと感じた。
ただ、知識触れなければ流れに飲まれてしまう。理系・文系に関われず、学ばないことは流れの一部を担っているということ。学び、考え、発信していくこと、行動に落とし込んでいくことの大切さ。身を置く流れを意識的に選択すること。ここから流れを作ること。
色々な概念を視点を持つこと。それは身動きを取れないということにも通じかねないけれど、その中で、それを背負った上で、どの選択をしていくかが大切なのだと思う。アウシュビッツのガスの仕組みを作った人のことを思い出した。本人の一つの狭い視点から考えると、良かれと思って、自分の持つ才能や知識を存分に発揮しただけなのに、大量虐殺に大きく加担したことになる。
私は大きな力を宿した技術や才能、知識を備えているとは思わないけれど、その生かし方、そこから広がる波紋ついて一度思いを馳せる必要があるのかもしれないと感じた。
有している物をどう使うか、生かすか、考えることが必要であり、文系の学びはそういうものに深さを与える力があるのかもしれないと感じた。
自分の中で矛盾や葛藤をあえて生んでいくことで、自分の傾きや極端な暴走を止めてバランスを整えることができるような気がした。
どんな問題や課題も色んな分野を内包していて、そのすべてを取りこぼすことなく納得させることは相当に難しいのだと思う。それぞれが一番に大切にしているものが異なっていると考えると難しいと思う。
 

【自分の幸せを守り抜くことが多様性の幅を広げる】
・成長することが、変化していくことが、利益を多く挙げることが良しとされ、幸福だという考え方は多くのなかの一つに過ぎないということ。それを一つに絞って正当化しないことで、そこから多様性が生まれ、その多様性に意味があるのだと思う。「生物は多様性によって地球の危機を乗り越えてきた」という考え方と重なるような気がした。自分の欠けや欠点や不足さが、それを抱えて踏ん張って生き続けることが、意図せず多様性のその幅を広げることに繋がり、意図せず未来の誰かを救い守る居場所を作るのかもしれないと感じた。アウトサイダーであるとか、なじめないとか、少数派だとか、存在の無力さとか、そういうものを感じた時が始まり。落ち込むのではなくわくわくできる人でありたい。それを殺したりなかったことにするのではなく、それを守るような選択ができたら。そして自分以外の多様性を守ることは巡り巡って知らない誰かを守り、はたまた自分自身を守ることに繋がることになる。
「生物は多様性や無駄を意図的に作り出すことで環境変動に対するしぶとさを獲得してきた。絶えず少しずつリスクをもって変化することが大切」
 

【これからのビジネスのあり方】
・個と個の密な繋がりのビジネスが発展していく
 

【資本主義の広がり】
・資本主義の台頭がもの・こと・情報すべてが値段が付き、経済的価値が付くようになっている。今まで自由に使えて、皆に開けていたものも価値化されている。そういう仕組みから外れたところで守っていく必要である。
これについて思考を深めたい。
 

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