無駄遣いと責任論

2020年3月22日のフジテレビ「日曜報道」を見ていて思ったこと。

イベントや行事の自粛について。

武漢肺炎拡大を防ぐために、三原則を徹底してほしいと甘利さんが言う。
三原則とは、屋外、密集させない、除菌やマスクの徹底など。
さらに、集まった人を追跡できるようにしないといけないと。
どこの誰が集まるか分からないのが怖い。
追跡し、感染拡大防止ができるようにしないといけないと。

橋本さんが言う。
「政府が責任を持ってイベント開催可否の線引きを作るべき。イギリスなどは、政府が決めたラインに沿って中止したものは政府が補償すると。日本もそのくらいやらないと。」

ふむ。一理ある。
国民に開催可否の判断を委ね、中止することによる経済損失を国民負担にしたまま。

もちろん、イベント主催者なら損失も覚悟するのが基本。
そのために保険をかけるのが定石。
しかし、武漢肺炎は保険対象になるのかが分からない。
ならないというケースもあるらしい。

政府がある程度補償するのも一理ある気がする。

でも、日本政府は補償には消極的だ。
これは、現在日本が抱えている問題がある。

失敗は許されないという風潮だ。

今回取られた対策も、時代によって評価されていくのだろう。
その時、アレは失敗だった、コレはミスだ、などと評価されることを恐れている。

今この段階でベターでベストである必要がある。
結果論が先に出るから、思い切った手が打てない。

あの補償はいらなかった。
あんなことは無駄だった。
無駄遣いばかりだった。

そんな未来の声を恐れてしまい、政策反映できないのでいるのではないだろうか。

どうしたって無駄遣いは起きてしまう。
我々の日常生活の上でも、無駄遣いは発生しているではないか。
買ったことを忘れてしまい、冷蔵庫の奥に行ってしまったもの。
1回しか身につけていない衣類。
買ってすぐに壊れてしまったもの。

買う瞬間は必要を感じて購入を決定したが、いざ買ってみたら結果無駄になってしまったもの。

そんな経験をみんなしている。

今現在、武漢肺炎対策は暗中模索を繰り返している。
判断を厄介にしているのは、無症状感染者がいること。
さらに、検査結果の信憑性の低さ、特効薬が未開発であることなど。

未経験の対応を迫られているなか、失敗しない方が無理な話。
人命に関わる話だから、当然失敗は許されないわけだが、経済損失に対する補償はまた別だと思う。

後の時代から無駄遣いと言われても、今は必要なら補償もありだろう。
今回のウイルス拡散によって、職を失い、財を失った結果、人命が失われる事が無いよう。
二次被害が起きないように、打てる手は打つべき。

そのために、変なしがらみを無視して、妥当な線引きをして補償決定をお願いしたい。

未来恐れることなかれ。
1秒先は、誰にも予測できないのだから。

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