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素晴らしきかな、カルトワイン

こんにちは。退職の手続きやらなにやらで、更新が滞っておりました。
また、どしどし書きたいことが溜まっておりまして、先日観に行った「ゴーストアンドレディ」の感想も書きたいのですが、まだ消化が足りないので、来週の更新にしたいと思います。

今日は、大好きな宝塚作品の話をします。

「一番好きな映画ってなんですか?」
と聞かれたら、答えを用意している人はどれくらいいるだろう。

職場の後輩に聞かれたとき、私はひとつも悩むことなく「インセプション」と答えた。調べると、もう14年も前の作品になることに驚いたが、とても好きな作品で何度も観ている。
好きな作品、そして人に勧めることのできる間違いない作品として、全幅の信頼を寄せている(後輩はその後、ストーリーの複雑さと2時間半という長さに途中で寝たらしい)が、実は一番大切な作品というのはまた別にとってある。
それは、人に教えたくない、自分の心に忍ばせておきたい作品だ。
間違いなく、自分にとって一番といえるもの。

前置きが長くなったが、私にとって「カルトワイン」は宝塚作品の中で、そんな自分の心に「しまっておきたい」大切な作品だ。

本格的に宝塚にはまった、というか、舞台の面白さを知ったのはこの作品である。

カルトワインとは、希少価値の高い入手困難なワインのことを指す。この物語は、21世紀初頭のニューヨークを舞台に、ワイン・コレクターとして有名なカミロ・ブランコの人生を描いたものです。
シエロという貧しい少年が、どうやって、ここまでの財産と地位を築き上げたのかという話。(グレートギャツビーに少し似ているかもしれません)

まず、語るべきは栗田先生による舞台装置や、演出の巧みさ。素晴らしいと平伏す他ない。
宝塚大劇場の舞台に慣れてしまうと、外部劇場のシンプルさ(花道がない、セリがない、盆がない、当たり前のごとく銀橋がないこと)に驚くが、そんなシンプルな四角い舞台上を、上と下、右と左に切り分けることで動きを出している。
それから、小物へのこだわり。人がちょうど隠れられないくらいの樽が、樽として、あるいはテーブルクロスをひいてテーブルとして、ニュースキャスターの机として様々な活躍をする。

私があっと驚いたのは、照明の使い方で、主人公一行がアメリカに到着した瞬間に客席にぐるっとライトを浴びせる。暗転ではなく、光転するのだ。
彼らが、希望の地としてやっと到着したアメリカ。上映時間の都合上、短い場面ではあるが、彼らが光り輝く未来を夢見てたどり着いたその場所へ、客席ごと連れていくとともに、場面も転換もしてしまう演出に感動した。
シエロの人生を観ているはずだった私が、シエロの人生を一緒に生きている、と感じさせる没入感があった。

一幕は、シエロがどのようにしてにカミロになったかの過程を描いていて、怒涛のように物語は進み、あっというまに幕が下りる。私は集中力が長続きしないので、二幕ものの芝居は疲れてしまうことが多い(あと一時間もあるのかと思ってしまう)のだが、初めて、幕間が惜しかった。
劇的な別れをした親友同士。シエロはどうなるの?フリオはどうなるの?と気になって仕方がない二十分だった。

そして、清々しいほどの幕引きのあと、カーテンコールの拍手さえも名残惜しく、池袋駅に向かうまでに、既にまた観たいと考えていた。結局、そのあともう一度、ブリリアホールへ足を運び、さらに梅田芸術劇場にも行った。こんなことは初めてだった。
幸いにも、幕が開いた二日目に観劇したため、譲ってくれる方がいたのだ。初日の幕が開いて暫くすると、話題が瞬く間に広がっていたので、運がよかったという他ない。

このストーリーは最初に「結論」が提示されている。
主人公のシエロは、カミロと名前を変え、資産家として人々を騙し、偽のワインを売りつけていることが序盤でわかる。そして、シエロが詐欺罪で逮捕され出廷するところから物語は始まっている。
オチがわかっているにもかかわらず、続きが気になってしまうのは、シエロがあまりにも良いやつだからだ。ギャングの一員ではあるが、友人思いで面倒見がいい。そして、何かと器用に色々こなしてしまう。ワインのテイスティングができる才能を持ち、自分の可能性に飢えている。
ダークヒーローではあるが、それでもシエロという人間に心動かされ、苦しむ姿に、自分も苦しくなってしまうのは、桜木みなと(さん)が演じるシエロが、あるいはシエロを演じる桜木みなと(さん)が、まっすぐな人間であるからだ。詐欺師なのに、誠実で、憎めない。そんなシエロの慟哭が、二幕に入ってますます心を揺さぶるのだ。

そして、最後にひとつ。
ホンジュラスという貧しい土地で育ったシエロが、自分の才能に気付き、承認欲求を満たすために詐欺師となっていくのだが、終盤に自身で自身の価値に気付く場面がある。
「誰かに認めさせるものでも、誰かに与えられるものでもなかったのに」
という歌詞だ。

ここで、私はいつも心がぐわんと揺さぶられてしまう。
この歌詞そのものにも、そして、タカラジェンヌに歌わせるということにも。
宝塚とは(その複雑性をここではあえて語りませんが)順位がすべての世界だ。
40人前後いる同期の中で、明確に成績で順位が決められ、名簿やポスターといったものは、あいうえお順ではなく成績順に名前が載る。大階段も、下級生から順番に降り、最後に大きな羽根を背負ったトップスターが降臨する。かくも厳しい上下関係のある世界なのである。
そんな、他者に評価され、順番をつけられる世界で凌ぎを削るタカラジェンヌという存在が、このメッセージを歌うことに私は深く感動し、そして願ってしまうのだ。
すべてのタカラジェンヌが、そう思ってくれていることを。

ちなみに、このカルトワインは千秋楽を目前にしてコロナウイルスのため中止となり、配信もブルーレイ化もされなかった。(一か月ほど落ち込みました)そして観劇した人が、ない人に感想を伝える口頭伝承のような作品になってしまった。
それもまた、この作品の運命として、私の心の特別な場所にしまわれている。

(この記事を読んで興味を持った方は、ぜひブルーレイを。と言えないことが寂しいです……)

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