諦めと自己肯定は似ている
表題のとおり、諦めと自己肯定というのは極めて似ていると思うのだ。
自分を卑下して肯定できない人間は他人へ肯定を求めるという謎の矛盾があるんだね。
理想のとギャップを受け入れられずこんなはずじゃない!もっとやらなきゃと、だからだめなんだと責め続ける。
ゴールが見えないレースを走り続けるのってめっちゃしんどい。
やめちゃうね、そんなの。
スーさんの著書にもあったけど、理想から離れていても【これも悪くないな】って諦められたらめっちゃ穏やかになれるし、よく分からんモヤモヤに悩むことも少なくなる。
出来ない自分を許してあげることができれば自己肯定感の低さに踊らされて、訳の分からん行動に走ることも少なくなるんだと身をもって知った。
酒を飲みすぎて記憶がなくってもいいし、終電を逃してもいいし、途方に暮れたっていい。
ダメな子って可愛いもんだ
えへへって笑っちゃえばいいんだ、そしたら大概みんなしょーがねーなあって許してくれるしみんなハッピーじゃん?
ご都合主義万歳
諦めが肝心?というのは聞こえが悪いので、別の日本語に変えたいね。
こだわりや理想を追うって素晴らしいしカッコイイけど、それで傷ついてちゃ意味ないし、それで文句ばかり垂れているとめっちゃダサい。
超センスないし、自分で自分を嫌いにならなくて良くない?
そんな時期もあったけど、人に好かれるかなんてわからないし、実際どう思われてるかなんてなにをどうやったってわからないし確実に好きだとか嫌いだとか分かれる存在が自分なんだから自分にくらい都合よくなっていいじゃないか。
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