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「いざとなればあの手がある!」を意識すれば家事がものすごく楽になる
15秒で分かる今日のポイント
●食事を作るのがどうしてもいやになる日が一定周期で襲ってくる我が家
●そんな時に思い出すのは友達が話してくれた「フルーツだけの食事」の話
●自分の思う「こうあるべき」ができないことが子供にとって不幸とは限らない
■嫌いな家事1位は夫婦そろって「食事作り」です
私は結構サボりで、年齢的にも体力の限界にすぐに達するのですが、特に嫌になる家事はズバリ...
食事を作ること
です!
これは夫とも共通していて、夫も食事を作るのが一番心理的負担になっているようで、2人の「今日はもう嫌だ!」が重なる日があると最悪です…笑
そんなときいつも思い出す話があります。
それは、友達のどらちゃんが教えてくれた
「フルーツしかないご飯」のこと。
■フルーツだけのご飯でも、いいじゃないか!
どらちゃんのお母さんはいわゆる「ワーキングマザー」で、それもその時代にはまだレアだった「家を大黒柱として支える骨太のワーキングマザー」だったそうで。
そんなお母さんが時々「今日はフルーツ食べ放題だよ!」とフルーツばかりのご飯を用意してくれたとか。
「今思えば、きっともう食事を作れないくらい疲れていたんだと思う…」と彼女は語っていたのですが、そのフルーツばかりのご飯が子供としてはとても嬉しかったらしくて。
わーい!フルーツばっかりだ―!
と、とても興奮したそう。
この話を初めて聞いたとき、なんだか涙ぐんでしまったのですが、本当にシンプルに、とても素敵だなぁと思って強く印象に残ったんです。
■「できない」ことを罪に感じる必要はない
お母さんはきっと疲れ切っていて、食事を作る体力も残っていなかったのだろうけど、
それを「もう今日は疲れて無理...」と言うでもなく、
「食事を作れない罪悪感」を子供に見せるでもなく。
きっととてもポジティブに転換させて子供に伝えていたのだと思います。
疲れて愚痴を言いたくなってもおかしくないのに。
まず、それが素晴らしく、とても素敵。
そして実際に子供たちにとってはそれは純粋に嬉しいことで!笑
ちゃんとした食事を用意できないことに何となく「罪悪感」を抱くのは私だけではないと思います。
でも、1食くらい食べなくたって死なないし!ニューヨーカーも朝ごはんにバナナかじりながら歩いてるし!(←理由になってないか!笑)
自分が思う「こうあるべき」ができないとしても、それが子供にとって「不幸」とは限らない。
そんな話のいい事例なんじゃないかと思いました。
■本当にフルーツだけの食事をいつかしようと思ってます
そんなこんなでこの話がすごく好きな私は、いつもこの「フルーツだけの食事」が頭の中にあって、
ものすごーく疲れた日はいつも「今日こそする?フルーツだけのご飯!」と夫に言います。
先週もちょうどそんな日があったのですが、夫は「寒いから、あったかいもん食べたい...いいわ、俺作るし」とのことでした。
というわけでまだ、経験がないんですが、不思議と、この「フルーツだけの食事」が頭にあると、頑張れるんです。
別にフルーツだけの食事が嫌なわけじゃなくて、本気でいつかしてみたいとは思っているのですが、
いざとなればこの手がある!
と思うだけで元気づけられるというか、勇気づけられるというか。
だから我が家の冷蔵庫にはいつもたくさんのフルーツが用意してあります。笑
今日も大嫌いな食事作りを頑張っている自分と夫を褒めてあげよう!
がんばってるわー私たち!