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多様性とは?

最近、多様性という言葉を聞く機会が多い気がする。多様性という言葉自体、悪い事でも無いし黙っていても時代の変化はその様に進んでいると思う。
その進化の過程をより早く進めようとするのも理解できる。
人類は元々自由と平等を秤にかけ、その時代ごとに適切なバランスを保とうと、ここまで繋いできたのでは?とも思う。
政治にしたって自由主義と社会主義なんかは、よく比較されがちだが結局、
自由を増やせば格差が大きくなり、その一方でやっぱり生活保障や教育、色々な場面で平等も必要なのだとも思う。
例えば老若男女の違い、国籍の違い、趣味嗜好の違い。
違いを上げればきりがない位。というか全てが皆違うので意外と私達は多様性な社会の下で意識無く暮らしているのではないだろうか。
なので我々日本人は「違い」についてはある程度許容しているのではないだろうか?
その一方で確かに差別はある。差別とは自分が優れていて相手が劣っている事や、相手の弱みに付け込む事だろう。
この事も昔から比べれば、ある程度減っているのかもしれないが、まだまだ問題はありそうだ。
一昔前の人間ならば差別には相当苦しんだ歴史があると共に、人々が安全に暮らす為の防衛手段だったとも言えると思う。
私はアイヌ人の血を引いているらしく顔立ちがちょっと違うとか、体毛が濃いとか、多少の違いはあると思うが、それで苦労した記憶はない。
一昔前であれば差別もされたかもしれないが、大人になってから知った私としては、へぇーとしか思わない、人より情が熱いのかもしれないが、そこは他人が決める事で私は意識していない。
むしろ苗字が変わっているので朝鮮系かと思われるのが嫌なくらい。
まあ苗字にしても自分が知る以前の祖先は、あちらの血も混じっているかもしれないが、今更変えるつもりも無い。
というように、昔にあった不都合は時を経て、薄くなっているのではないだろうか。
昔から他人を押しのけてでも儲けたい人、自分より他人を大事に出来る人、色々な人がいたのは今も変わらず、割合だけは変化しているのだろう。
ただお互い、邪魔にならない範囲に留める事が大事で、多様性を認めても誰も窮屈しない考えが大事なのだと思う。
色んな人がいるんだ、その考えではダメなのだろうか?
私はあまり人を憎んだり恨んだりした事がないと思っている。嫌いな事柄は沢山あるが、
この人はこの様にしないと生きてこれなかったんだ】なと思えば可哀想にすら思えてくる。
誰かを攻撃しても自分にとっていい事は一つも無く、そんな事に時間を費やす程、私の時間は余っていない。

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