記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

智代アフター初クリアしての感想と考察~さあ夏を始めよう。~【重要なネタバレあり】

さて今回は「CLANNAD」の外伝というかスピンオフというかアナザーストーリーである「智代アフター」をプレイしての感想を述べておこうと思う。


僕はツイッターでもそうだけどゲームについて何か文章を書く時は極力ネタバレなどはしたくない主義なのだが、今回は珍しくネタバレ上等で書いてみようと思う。
というのはこれについてはそう長くない作品という事もあり、ネタバレしないと書ける事があまりないのと、当時賛否両論あったらしいこの物語のストーリーを書いてこそ真の考察部分を書けるのではないかという部分があるからだ。


そのためネタバレはご法度の方や、今からプレイする予定のある方については十分に注意されたし。
※以下物語に関する重要なネタバレがあります。

まあその前にいつもの長い前置きになるけど笑



僕はKey作品についてはこれまでの人生でバンド活動が忙しかった事もあり、ゲームについてはコロナで時間が生まれ始めた3年前に初めて手を出してどハマリする事となった。
それ以前も動画で流れてきた曲などを聞いて良いとは思っていて、サウンドトラックを買い、聞きこんでその名曲の数々を知ってはいたのだが、飽きるほど聞いた曲達がシーンの数々で流れて来る状況には思わず目頭が熱くなる事沢山だ。


主題歌のメグメルにしても最初にメグメルというタイトルを聞いた時になんだこの優しくて耳障りのとてもいい言葉は…!と思って試しにサントラを買ったところ大当たりだったのだ。
最近ではラインがあるからめっきり使わなくなったが僕の携帯電話のメールアドレスはもう20年くらいメグメルの単語が入っていて変えていない。
メグメルのスペルが当時分からなかったので自分で勝手に「megmell」というスペルにしているが笑


そんな「CLANNAD」を一昨年の年始にようやく初クリアしたわけであるが、これがあまりに感動した作品であったため、その後アニメDVDを買ったり、同時にその後の外伝である「智代アフター」についても入手していたのだが長らく手を出せずにいた。
なぜなら物語をすべて終えて知ってしまうと、もうそれ以上がないからだ。
この感動にずっと浸っていたい、知ってしまう事で失いたくないという気持ちがあるから。
おかげでこれを書いている現在(2024/12/19)まだアニメも全てを見終えていない笑


何度も書いてきたが今年後半は僕は全くどこにも行けない体で、最近はようやく動けるようになってきたため「別のゲーム」をやり始めていたのだが(それでもやらないんかい)、その「別のゲーム」が思ったより名作の予感がしたのでそれをあえて後回しにして「智代アフター」からやっと手を付けることにしたのだ。
僕は美味しいものは後に取っておくタチである笑
その「別のゲーム」については最後にちょっと触れるが、その「別のゲーム」は長くなりそうで、「智代アフター」については10時間くらいで終わるという話をネットで目にしていたので。
ちなみに「CLANNAD」なんかは声なしで文章を追っても50時間くらいはかかるとの事。
まあ言ってみれば「CLANNAD」のゲーム関係についてはようやく全てを終わらせる踏ん切りがついたって事だ。


※ここから本格的なネタバレ




















「智代アフター」は2005年の発表という事でおよそ20年前の作品である。
という事でプレイした知人の話やネットでなんとなく見た話で、内容は少し知っていた。
登場人物の誰かが死ぬという事。(誰かまでは知らなかった)
具体的に死んだとは限らないが、まあまず死んだのではないかという事。


僕が大好きな「ひぐらしのなく頃に」の竜騎士先生がいつか言っておられたがエンターテインメントというのはハッピーエンドであるべきという価値観が好きだ。※ちなみに令和版のひぐらしアニメは絶対に許さない笑
特に年を取って来ると見て良かった、やって良かったという後味がいい映画やゲーム、本が好きになった。
何がハッピーエンドかというのも人によって違うと思うけど、そもそも誰かが死ぬという事であればそれはもはやハッピーではないと思う。
そのため「智代アフター」にあまり期待はしてなかった。
まあしょせんもう一つの有り得たかもしれない世界、あくまで外伝的なものであるし。本編は「CLANNAD」なんだし。


何でも話に聞いたところによると、原案、シナリオの麻枝先生は批判覚悟でこの物語を書いたらしいがあまりに批判が来すぎたため数か月の休職を余儀なくされたという。
もうボッコボコにぶっ叩かれたとか。


僕自身もそうだがこの智代というキャラクターについては「CLANNAD」でも正ヒロインに勝つくらいファンが多いため、智代でこの物語でなくても良かっただろうという

批判もあったそうで。
ツイッターでもフォロワー様と「智代は俺の嫁」「いや俺の嫁だから」というやり取りをした事も何度かあるくらい僕も智代が1.2で好きなのである。

(でも杏も好きだ笑)


実際「CLANNAD」と絵も違えば智代の人格も、最初はエロゲーだったので声(中の人)も「CLANNAD」本編とは少し違う。

ただこれはどちらも正解。
樋上いたる先生はこれじゃなきゃダメという人もいれば下手という人もいるが、僕はどちらかと言うとこれじゃなきゃだめってくらい好き。
先生と同じ誕生日だし。
ただいたる先生の絵はどうしてもロリっぽいというか幼く見えてしまう。


この「智代アフター」「CLANNAD」の世界のその後を描いているので、当然少し大人になっているわけで絵師が変わったのは良かったと思う。

声の方は最初がエロゲーなので元々の「CLANNAD」の桑島さんは無理だが、変わった一色ヒカルさんも非常に桑島さんに近い声質で違和感が全くない。
加えて一色さんも実力があり、智代にもずいぶんマッチしていた。


やり終えての僕の感想は三つ。
ちなみにバッドエンドルートなども全て通った。


1.この作品をプレイしてみて良かった。


前半が後半との落差を生むためであろう、ひたすらコントのようなやり取りが毎日続く。ずっと見ていたいくらい、また何度も見返したいくらい面白くて笑える。
逆に言うなら麻枝節というかいつものKeyだなと思える。
幼児のキャラ、ともは愛嬌がとてもあり、「CLANNAD」本編で出て来る幼児よりも親しみやすかった。「CLANNAD」的にその幼児キャラはキーキャラではあるが、終盤も終盤に出て来るキャラだったので最初から幼児が出て来るこの「智代アフター」では親しみやすいのは当然でもあるが。
ただワンシーン、それは幼児としては不自然ではないか?とは感じた。
あの母親に別れを告げられるシーンだ。


あそこはもっとともの感情を見せてほしかった。普通に幼児が母親に置いて行かれたらもっと泣き叫ぶだろう。
後に智代のセリフで一言語られるだけだったし。

後半になって僕の大好きなKey作品「プラネタリアン」のゆめみの声の人の熱演も素晴らしかった。


ゆめみはロボットなのでどちらかというと無機質な喋り方をしていたが、今回「智代アフター」で演じたキャラは最初こそムカつくが物語にとても大事なキーパーソンキャラクターである、喜怒哀楽の激しい非常に人間味のある人物だった。
ちなみに一人二役されていて最初は気が付かなかった人もわりといたらしい。それだけこの中の人の演技力もすごい。



2.でも出会えなくても良かった。


この物語がこの現実世界に生み出されなければいけなかったかという「一般的な必要性」は感じない。別のこの物語はなくても良かった。
最終的に主人公は死んだのか?という考察は、その批判を受けて作りなおされたシーン追加により人それぞれだと思える。
僕はハッピーエンドが好きだからこれは強引にでも死んでなかった説をいつもなら言っている。が、これはどう見ても死んでいる間違いなく。
「智代アフター」のイメージソングの歌詞にもそれは色濃く出ている。
ちなみにこのような文献もある。

移植版は最後の結末がボカされており、朋也の生死が曖昧な表現になっている。この部分が最大の批判部分なのも確かだが、特に初回版からのファンにとっては極めて重要なシーンなので改変への否定意見も多く、激しく賛否両論。

  • 移植版製作の際、追加シナリオを担当することになった都乃河氏は、オリジナル版の「朋也の死」という結末に関して多くのユーザーから相当な批判を浴びせられたことを考慮し、朋也が無事に生存して智代と幸せに暮らすという、いわゆる「真のハッピーエンド」を作ることを画策していた。

  • しかしそれを知らされた麻枝氏は激怒し、「朋也の病死という結末を変えることは絶対に許さない」と都乃河氏に通告。それに反抗した都乃河氏と怒鳴り合いの衝突になったとされている。なお、後にある程度は許せるようになったらしい。


やっぱり死んでるやんけ笑



3.しかし今これをプレイした事に意味があった。

本人もツイートされたためファンの方には有名な話であると思うが、以下麻枝先生のウィキペディアより

特発性拡張型心筋症を患っており、その後第一種身体障害者心臓機能障害一級(心臓の機能の障害により自己の身辺の日常生活活動が極度に制限されるもの)となったことを公表するとともに、心臓移植が不可避の状態にあることを明らかにした。同時に、元来のうつ病の影響で、仕事以外への関心が薄いため、仕事に復帰することが望ましいと診断されたことも明らかにした。

「智代アフター」だけでなくKeyの作品は度々死が絡むが、なんなら物語によっては死んだ後の世界ですら題材となるが、この「智代アフター」は麻枝先生が主導で作り上げられたからこそ

人はいつか死ぬ
でも世界は捨てたもんじゃない
だから生きよう

という強いメッセージ性が込められているように思ったのだ。
なのでこの「智代アフター」の正式タイトルは「智代アフター ~It's a Wonderful Life~」つまり素晴らしき人生なのである。
智代が最後に人生や世界は素晴らしいという事をネットでメッセージとしてぶつけて来るがこれは作者の麻枝先生自身の言葉でもきっとあるのだ。



なので上記感想2でこの物語がこの現実世界に生み出されなければいけなかったかという「一般的な必要性」は感じない。
世界なんてクソだと思う人もいればそれは作者のオナニーだろうと思う人もいるだろう。
ただこんな時代で、麻枝先生ご本人のそういう人生だからこそ僕は「麻枝先生はそれを言わなければ、生み出さなければならなかった必要性」を強く感じたのだ。

え、それは盲目信者?


そうですけど、何か?笑


ただ麻枝先生のやり方かどうかわかんないけど、Keyの物語っていっつも「さあここ泣くところ!」みたいな感じでグイグイ曲と一緒に涙腺押そうとしてくる場面が多々あるのよ。
あれ、泣けない笑
そうさせたいんだろうなっていう空気を感じて余計泣けない笑
なのに「さあ!」「さあほら!」といわんばかりにいつまでもキャラがセリフを繰り返してきたりするから逆に冷める笑


Keyが泣けるのは僕的にはもっと何でもない日常の一言だったりワンシーンだったりするのだ。まあ「泣き所」ってやつも人それぞれなのだけど。



話がちょっとそれたが「智代アフター」はプレイする前まで知らなかったけど一夏の物語である。
何度も何度も書いてきたけど僕には今年は夏も秋もなかった。
毎日がぼやけていて生きている実感も毎日の現実感もなかった。


だからこの冬になって季節は夏とは真逆だけど、夏を、しかも大事な夏をやり直せたようで嬉しくなってしまったのだ。
しかも僕の場合麻枝先生みたいに命に関わるような体とかではないのだし。
3で述べた今これをプレイした事に意味があった。
というのはそういう事であった。


以前から何度も言っている持論だが、タイミングというやつはそいつにとって必要な時にやって来るものだと思っている。
得てして導かれるように必然として出会う。

物語もゲームも映画も本も音楽も。
カルチャー的にはみんなそうではないのかなと思っている。


出会わなくても良かったかもしれないが出会えた方が良かったのだ。
それが例え僕の理想とするようなハッピーエンドではなくても。
もしかしたら生きているハッピーエンドなのかもしれないしね。
追加シナリオの作者はそう望んだのだし。


最後に。


これを書いている現在、今年はもうあと10日ほどで終わってしまうのだが上記に書いたその「別のゲーム」によって僕の夏は始まったばかりである、現在進行中だ。


こうして書くともうKeyファンの方はあああれねとすぐ思いつくのであろう笑


さあ夏を本格的に始めよう。
君が夏を走らせる。





今回もお読みくださりありがとうございました。


リンクプロフィール
https://lit.link/KyokutoAiseki

ツイッター
https://twitter.com/AKissfrom4610

極東アイセキ計画店。(ショップ)
https://suzuri.jp/kyokutou_aiseki

ニコニコ(youtubeでは権利関係的に上げられないもの。こちらも滅多には新規生まれない)
https://www.nicovideo.jp/user/23099444/mylist/70343677


いいなと思ったら応援しよう!

柚木 依和(ユウキ ヨリト) / 極東アイセキ計画。
こんなつたない文章を読んでくださるだけで何よりのサポートです(ФωФ)