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1/26はドラクエⅡ生誕日!

今日は僕にとって特別なゲームの発売日なので記しておかねばならない。
というか書いてて今思いついたけど、明後日1/28も僕の人生においてかなり重要なRPGの生誕日だったのを思い出した。
まあそれは後日語るとしよう。忘れてなければ笑


ドラゴンクエストを必死こいてやったのはⅤまでである。
Ⅵは一度やって投げ出し、ⅦはスルーでⅧはゼシカのおっぱいがどんな風に動くのか見たいがためだけにやった笑
あ、ちなみにリメイク関係も大概Ⅴまではやっている。
Ⅴも僕の人生においてはかなり大事なRPGだ。


このようにプレイしたナンバリングは多くないかもだがそれぞれそれなりの思い出、思い入れがある。でその中で
ぼくのはじめてのどらくえ
はⅡだった。
むしろはじめてのあーるぴーじー
だった。



山奥にあるクラスメイトのオサム君ちで見たドラクエⅡは僕の度肝を抜いた。正確にはその音楽が。
彼の家は親が両親とも働きづめで、上の兄弟もかなり年が離れており確か姉が2人か3人。
男の子はオサムくんだけだったのでそれこそ日が暮れるぎりぎりまで、時には日が暮れても二人でよくファミコンをしたものだ。だって家には誰もいないから。
彼の家にあったツインファミコンと少し大きめのテレビから流れて来る、グラディウスやドルアーガ、ドラクエⅡの音楽はたちまち僕を魅了した。


歌でもなく、今までのどのゲームとも違うメロディーが僕にはカルチャーショックだったのだ。
考えてみれば両親は音楽にはそこまで思い入れはない。
そしてこれは今まで何度も言ってきた話だがドラゴンボールのチチほどではないが結構な教育ママだったのでファミコンなんてものはなかなか買ってもらえなかった。
バトル漫画もパンチラなんかの少しのお色気シーンも許さなかった。
だからドラゴンだのモンスターだのという世界観もお袋にはありえなかった。



音楽も、ゲームも。そのどちらもが僕の育った家にはなかった。
そしてオサム君自体クラスメイトで最初の方で仲良くなったわけでもなかったからファミコンはもう僕には珍しいものではなかった。



でもファミコンってまあこんなものだよねというのが分かっていた時(多分マリオとか鬼太郎とかは見てたかな。あとドラえもんとかチャレンジャーとか)そのテレビから流れてきたドラクエⅡの音楽は妙に心に刺さったのだった。
Love Song探して、戦闘の音楽、2人の、3人のフィールド音楽、洞窟、塔…


それからしばらくしてファミコンには攻略本というものがある事を知った。
僕はファミコンは何度もねだって買ってもらえない事を知っていたから(お年玉は全て親に預けなければいけなかった)それならば攻略本だけでもとねだった。
本は勉強になるからと昔からよくお袋は寝る前に読んでくれていたし僕も本が好きだった。本屋に行く事は多かった。
しかし当然その攻略本もだめだった。


ある日、算数か何かの参考書を買って勉強するよう言われた。
本のおかげで国語は得意だったが理数がダメになった。
1000円をもらったから僕は漫画も1冊だけ買いたいと言った。
おつりは小遣いにしていい。
お袋は許してくれた。
しかし僕はハナからドラクエⅡの攻略本を黙って買うつもりだった。
いいマンガはなかったと嘘をついて参考書だけ買ってきたふりをして。
だっておつりはお袋に返さなくていいのだから。


そして買ったのはこの攻略本だった。生まれて初めて買った攻略本だ。

しかし何が原因だったか忘れたが一日でこれを買った事はバレた笑
僕はお袋に結構なビンタを顔に何発かくらい泣き出した。
そしてお袋は忌々しそうにこの攻略本がどんなものかをバラバラと乱暴にめくり、どんな気持ちの変わりようかわからないが


許した。
僕は破られて捨てると思っていたのでかなり意外だった。


それからも何年も僕はファミコンを持つ事はなかったがこの攻略本を何度も何度も読み、洞窟などのマップを眺めては冒険していた。
ファミコンは欲しかったが世界観は僕の頭の中で無限に出来て広がっていた。あの音楽と共に。
登校中も授業中もお風呂も寝る前も親が運転する車の中もいつもドラクエⅡが出来た。頭の中で。あの音楽と共に。


時にはオサムくんや別のドラクエⅡを持っている友達の所に持っていっては攻略本を使って攻略した。


近年お袋は自分の教育のやり方を大きく後悔しているとよく一緒にお酒を飲んでは語る。
あのビンタも自分が嫌っていたドラクエがだめだったのか、僕が嘘をついたという事がダメだったのかよくわからないのに叩いてしまったらしい。
僕はバトルマンガのアニメも見せてもらえなければ、音楽にも疎いしファミコンも持っていなかった。少年ジャンプも買ってもらった事はない。
親なりに僕をしめつけ過ぎだと心配したのだろうか。
ちなみに僕は体罰は悪い事には必要だと思っているので叩かれた事に恨みは全くない。むしろ嘘をつけば叩かれて当然だ。
だがドラクエⅡだけはどうしてもやりたかったのだ。
初めての親への反抗だったのかもしれない。


それからもファミコンは許されなかったが親のチェックのもとに攻略本だけは購入を許されるようになった。漢字などもあるからまだいいのかと考えるようになったのだろうか。ヨリトの家に行けばたくさん攻略本があるぞと友達の間でも話に出るようになった。
次に買ってもらった攻略本は赤いドラクエⅢの公式ガイドだ、今思い出した。


高校を出て専門学校に入る時、僕はシナリオライターになりたかった。
このように見てもらえれば分かるが僕は文字を書くのも読むのも大好きだ。
未だに読書も好きだ。活字も好き。
だけど気が付いたらシナリオではなく音楽関係に進んでいた。
なぜかわからないが衝動的に作りたくなったのだ、ドラクエⅡのフィールドのような音楽を。
バンドは高校の文化祭で一度、しかも真似にもなってない真似事をやっただけ。音楽は得意じゃない、経験もない、音楽の授業も退屈で嫌い。
でも気が付けば音楽の専門を僕は選んでいた。


今の時代になってかろうじて音楽でご飯が食べられている。
とてもありがたい事だ。自分の好きな事して飯が食える。
もちろん退職金や年金などというものはない。保険もない。
ただ会社や組織などにも縛られずにやっていけてる。



あの時ドラクエⅡに出会わなければ。
今の仕事もない。バンドもない。音楽がない。
もしかしてじっちゃの農家とか継いでこんなブログを書く事はなかったりツイッターでの皆さんとの絡みは生まれていないのかもしれない笑


ドラクエⅡは僕の人生を作ったのだ。
もしくは変えてしまったのだ。いい意味で。



2008年だったか、東京秋葉原のあの通り魔事件。
犯人の少年時代
ゲームは一週間に一度、見ていいアニメはドラえもんと日本むかしばなしだけ、友達が家に来てはいけない、マンガ、雑誌は禁止だったという。
確か酒鬼薔薇の親もしめつけ酷かったんだっけかな。


お袋は教育をよく悔いているようだが僕はギリギリで許してもらってまだ良かったのかもしれない。
むしろ今の仕事を思えば感謝しているくらいだ。
しめつけがあった分僕のドラクエⅡやファミコンに対する思いはどんどんと強くなっていったのだから。


前回の記事にも書いたが音楽、ゲームは間違いなく今の僕を作っているのだ。



今回もお読みいただきありがとうございました♪

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柚木 依和(ユウキ ヨリト) / 極東アイセキ計画。
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