映画、陽だまり、卒業式 「救い」
※この記事は「パジャミィ」「深夜怖い」「新学期」「卒業式」について書いています。それ以外の楽曲については別の記事で。
映画、陽だまり、卒業式 感想考察記事 後編 「Someday we'll reach for the star」
(そのうち書きます)
アルバムのネタバレあり。
アルバムの曲を聴いていない人は聴いてください。
アルバムの挿絵を見ていない人は見てください。
アルバムを買っていない人は買ってください。
パジャミィ
ああ、素晴らしき世界。
アルバムが届いたその日から、私の目に映る世界は薔薇色へと生まれ変わりました。
今や全ての物事が美しく見えます。
私は救われました。
檻の中で燻り囚われていた私の心は、24曲の鍵で解き放たれ、いまや自由に空を泳いでいます。
パジャミィに救いを見出そうと、もがき続けていました。
アプリコットに絶望し、事実から目を背けようと試み続けていました。
その日々は決して無駄ではなく、全てはこの瞬間のために意味があったことでした。
パジャミィは紛うことなき『救い』の曲です。
しかし、『呪い』の曲でもありました。
アプリコットという曲の後に出たことで、パジャミィと過ごした日々は消えてしまったのではないかという恐怖、絶望、切なさ、無力感、その他諸々をセットでお届けされてしまっていたからです。
もちろんそれがパジャミィという曲の魅力の一つであることは間違いありません。
しかし、今やパジャミィは完全な『救い』の曲になりました。アプリ子がパジャミィと過ごした日々は、見えなくなっても確実に受け継がれ、愛となって産まれていました。
アプリ子とパジャミィの女の子別人説は捨てます。
数少ないこの説の賛同者も多分同じ気持ちだと思います。
実際、私がアプリ子別人説を唱えていた理由は、パジャミィとアプリ子に不幸になってほしくなかったからです。
完全に個人的な理由を軸にして理論を後付けにしていたので、当然ながら穴をたくさん指摘されました。
しかし、それでも私は信じたくなかった。
アプリ子があの幸せな空間、幸せな部屋を忘れて、辛い毎日を送っているなんて思いたくなかった。
それが。
それが最後の一枚のイラストで全て救われました。
良かった。
本当に良かった。
ありがとう、ありがとう…
もうパジャミィを思い出せなくても、パジャミィは今のアプリ子を見て、あの頃のように微笑んでくれるはずです。
愛があるだけ。
というわけで。
3rdフルアルバム「映画、陽だまり、卒業式」最高でしたね。
いきなり激重ポエミーな文章で始めてしまい、すみませんでした。
とにかく、とにかく本当に嬉しかったんです。
今だから書きますが、最悪アプリ子が自殺してしまい、アプリ子の親が最後に手鏡を持っているみたいな妄想をしてた時期すらあったので。
私は大バカでした。
本当に良かった。
まさかこのシーンが救いに見える日が来るとは。
娘が生まれたことで、また鏡を手に取ることができた。
鏡からリボンを外し、もう一度自分の姿を見つめられるようになった。
そして、再びリボンを身に着けることができたわけです。
最後の挿絵、よく見るとアプリ子はリボンを着けています。
右肩にひっそりと影が見えますね。
これを友人に報告したところ、こんなセリフが返ってきました。
泣きそう。
一体何年かけてネタを仕込んでいるんだ。
アプリコットが公開されたのって2021年12月12日ですよ?
二年半も温めていたのか…
追記
「ユリイカ」でのインタビューで、アプリコット制作時点では3rdアルバ厶どころかパジャミィの構想すらなかった事が判明しました。
なぜそれでこんなに綺麗にまとめられるの…???
まだパジャミィたちの話をします。
だってパジャミィたちのアルバムですからね。
いくらパジャミィたちの話をしてもいいのだ。
しかし、次のパジャミィたちの話はあまりしたくないです。
怖いので。
深夜怖い
怖い。
初めてアプリコットを聴いた時、初めてアダラナを聴いた時。
同じ種類の恐怖を経験した覚えがあります。
個人的には赤色よりも深夜のほうが怖いです。
なぜアルバムの順番通りではなく深夜怖いについて先に書くかというと、この曲はパジャミィの対となっている曲だからです。
このアルバム、順番に聴いていってもかなり最高なんですが、対になる曲ごとに聴いていってもかなり最高です。2度美味しい。
特にこの聞き方だとラストスパートの平熱→熱異常→一千光年→三十九糎→新学期→卒業式の流れが美しすぎるので、30回くらい普通の順番で聴いたあとに試してみてください。
で、この記事はそっちの流れに沿わせているわけですね。
私は時系列を以下のように考えているため、それに合わせてもいます。
あ、アプリコットは全体の流れをちょっとずつ踏んでいく感じですね。
更にもう一つの理由として、深夜怖いは怖いので先に言及しておこうというのもあります。
それでは早速始めていきましょう。
まず、知らない言葉や造語が山ほど出てきたので1個ずつ調べたり考えてみます。
蜥蜴➡トカゲと読むらしいです。音ではお化けにも聞こえますね。
花幼い➡ぷらいまり?
虚痒い➡うつろかゆい…幻肢痛的なあれでしょうか。
骨五月蠅い➡骨うるさいという方言があるそうです。魚の骨が多いときとかに使うものだとか。
混ざり汚い➡知ってる言葉だ。
話痛い➡中二病を見た時に使う痛い?クリエイトがある?
夢眩い➡夢を語っている人が眩しく見えてそれが怖い?叶わぬ夢の残滓であることを認識した後?ももいろの鍵?
躑躅甘い➡ツツジの漢字らしいです。漢字こわ。花言葉は「節度」「慎み」…子供が吸うのでもっと可愛い象徴だと思ってたのに。
これじゃツツジを吸うって行為はそのまま「節度がない」になるじゃないですか。知らなかった。
更に、薄と簡の漢字の意味はどちらも「ためらう」「足踏みする」だそうです。 アプリ子の成長への恐怖が如実に表れていて すごい。
彼方儚い➡一千光年?
繋重い➡人との繋がり、絆?何もわからない。友人から「寝間着をぽい」説を頂きました。これだったら面白い。
痣明るい➡これ、一番わからない。本当に何。
口咲かない➡「口さがない」だと思われます。「他人のことについて、無節操に口悪く言いふらす」「ことばに品位や節度がない」先ほどの躑躅の花言葉ともつながりますね。
または「口が裂けても」の「口裂かない」の可能性もあります。
こうなってくると造語に思われるものも既存の何かの音を一つ変えたり漢字を変えたりしたものである可能性が出てきました。途方もねえ。
赤仄暗い➡「ほのぐらい」は分かりますよ、早朝のぼんやりとした暗さ。まさにパジャミィとのお別れの時間の明るさです。
じゃあ赤はなんだ。背中を刺す朝焼けの赤?赤色が怖い?
息苦しい煩わしい血生臭い深夜怖い➡知っている言葉が出ると安心。
これは分かりやすくアプリコットのテーマ「成長への拒絶」ですね。
個人的には乳歯が抜ける感覚好きなのでちょっと悲しい。
これらも同じ系列ですね。
といっても「化け物」とまで言うとは。
思っていたより成長への拒絶は大きそうです。
…
「暗い暗い夜が怖くて泣いていた」初期アプリ子である可能性もありましたが、鏡の下りでこの曲がどの時期のアプリ子なのか判明しましたね。
この感覚は知ってます。
先生に全くわからない質問を投げられた時の感覚…!
嫌だ、思い出したくない。
というか、クラスメイトのことを蛞蝓と表現するのはヤバすぎませんか?
あ、蛞蝓と読むらしいです。恥ずかしながら知りませんでした。
クロスフェードで聞いたときは「だけど血まみれの教室で」だと思って恐怖で震えていたんですが、蛞蝓だと知って別種類の恐怖に代わりました。
ここ、怖い。
まずクラゲが怖い。刺されたら痛いから。
濁ったスープも怖い。得体の知れなさたるや。
血を触られるのもすごい怖い。
採血って怖いから。
一から百まで数えるというのは、個人的には「百数えたら上がっていいよ」なのかなと思いました。お風呂のやつ。小さい頃よく言われましたよね。
百数えても浮かべなかったら…?おおこわ。
それを差し置いて、本当の本当に怖いワードチョイス。
今までの言葉の中で圧倒的に怖い「飢えた母を見る感覚」。
「飢えた」と「母」を並べるだけでこんなにも空恐ろしい言葉になるなんて。いよわ節が炸裂しまくっています。
一瞬IMAWANOKIWAが脳裏をよぎりましたが、ちょっと怖すぎるので考えることをやめました。
さて、ここまで触れていない歌詞がいくつもあります。
触れたくなかったからです。個人的に精神に来た歌詞たちです。
ちょっといくつかに分けてまとめます。
辛い。
アプリ子がパジャミィとの記憶を忘れ始めている…
誰が自分を見守ってくれているのか忘れ始めている…
夢の部屋は、今や何故か閉じ込められる部屋になってしまった…
何が辛いって、この時のアプリ子はパジャミィの存在をある程度認識しながらも、それを恐怖の存在とみていることなんですよね。
新学期の中盤で「目を閉じてもきっと夜が終わるだけ」と言っているので、現在進行形で悪夢を見ているわけではなく、ある程度の年月を経たことで夢の部屋の記憶のことを「終わらぬ悪夢」だと認識するようになってしまったのです。
ここで満を持してドアの登場です。
ドアの外側、体の芯まで凍る孤独、空かないドアを叩く夢…
ちょうどツインテールをやめ、鏡を割った時期のアプリ子ですね。
辛い…辛い…
ああ…
つっらい。
永遠のお別れなんて…
永遠と書いて「とわ」と読む部分が二か所あります。
永遠の暗闇、永遠のお別れです。
別れではなくお別れなのが、まだうっすら残っている子供らしさ、パジャミィと過ごした頃の名残を示しているようで…
そして、これです。
こう言ってるんですよ。
空耳とかじゃなく、こうとしか言ってない。
落涙読みとは違い、普通に「縮む」と言っています。
アプリ子が恐れているのは「成長すること」「背が伸びる夢」のはずでは?
なぜ「背が縮む夢」を恐れているのか。
仮説ですが、この時点でアプリ子の根底にある価値観が反転しているのではないでしょうか?パジャミィを思い出せず、悪夢と認識している以上、パジャミィと過ごした日々が怖いものだと塗り替えられ始めていることを示しているのでは…
これは上書き関連の気がします。
詳しくは下の記事に書いてあるのですが、記憶の上書き…って話ですね。
そして最後には。
全て食われてしまった…と。
パジャミィとの夢の思い出➡悪夢だという塗り替え➡消滅
というプロセスでしょうか。
あの日々を思い出すには地面に埋めた宝箱を掘り出して、今までの自分と向き合う必要があるはずです。
鏡も水面も液晶も怖いアプリ子にそんなことが可能なんでしょうか…
追記
深夜怖いのもう一つの可能性。
上の部分でアプリ子を見ている生き物は、彼女が忘れ去ってしまったパジャミィではなく、未来の自分(ドアを叩いているアプリ子)である可能性があります。
つまり幼い状態、パジャミィと会う前のアプリ子主観の歌詞ですね。
この解釈の場合、上に挙げたなにかがいる〜の部分はパジャミィと出会う前のアプリ子の夜への恐怖を示しており、それを見ているのは過去に囚われている未来のアプリ子そのものになります。
そしてそれ以降はパジャミィとお別れした後、ドアを叩いているアプリ子主観に変わっています。
~を知ってるか…という歌詞は、最初は幼いアプリ子を脅すような形で投げられていたものですが、途中からは何か大切なものを忘れてしまった自分への自問の形になっているのかもしれません。
いずれの解釈にせよHappy end…とは程遠いです。
こんな気分では他の曲に行けませんよね。
でも大丈夫です。いよわさんは圧倒的救いを用意してくれているので。
新学期
この曲が本当に好きです。
まさに「救い」の曲じゃないですか。
これがアプリ子の曲なのかは意見が別れるところかと思います。
モモの曲だとしても通りますし、マホの曲だとしても一応通りますから。
しかし、やっぱり一番はアプリ子の曲だと思います。
このアルバムは対になっているので、卒業式がパジャミィなら新学期はアプリ子の曲になるはずです。
今じゃん。
この時期にアルバムを出すことを一体いつから考えていたのか…
さすがすぎる。
私は「この曲自分のことだ!」というのがあまり好きではないのでそういった話はしません(大体自分のことではないので)。
ですが、この明らかに聞き手を意識した作り。
手を差し伸べられているような感覚になりますね。
このワードセンス…!
「立ち止まるの私だけ」かと思っていたんですが、「片足だけ」でしたね。
片足だけ立ち止まるって。めちゃくちゃ良い。
語彙力終焉なので良いとしか言えないんですが、とにかく良い。
クラスメイトとは少し違う友達とはもう会えない。
放課後、空き教室に二人で残っていたクリエイトガールたちや、AさんDさんと違い、アプリ子はたった一人で街を眺めていたんですね。
ここでのキーワードは『紅』です。マホ関係の曲であれば『橙』であるべきですし、モモ関係の曲なら当然『桃色』であるべきです。紅といえばアプリコット。アプリコットといえば紅。素晴らしい。
ああ、切ない。
まだパジャミィのことを覚えている頃のアプリ子でしたが、遠い夢の部屋にはもう入れなくなってしまったんですね。
ああ、切ない。
さて、この曲がアプリ子のものだと思う理由の一つに次の歌詞があります。
「クラスメイト」という呼び方。ちょっと冷たいですよね。
別の記事で書きますが、引っ越していったクラスメイトは十中八九マホちゃんです。なので、この曲がモモの曲だとした場合、挿絵であんなに仲良く笑いあっていたのに「クラスメイト」という呼び方はちょっと冷たく感じます。モモは卒業式後に涙を流すくらい感情的ですし。
これが個人的に一番切ないです。
アプリ子が誰かとこの言葉を交わしたのか、この言葉を交わしているクラスメイトを見たのかは定かではありませんが、「また会おうぜ」と呼び合ったパジャミィとはもう会えないという事実が彼女の心に大きく残り続けていることが分かります。
つれえ。
そしてこの歌詞です。
形だけと言い、冷たい目で周囲を見るようになっても、かわいい日々をしまい、手垢がついて、ゴミが詰まってしまった宝箱、捨てないで埋めておいたんですね。
良かった。
※ここからは私の解釈が介入します。何でも許せる奴になるっぽい方はぜひ。
これ、親となったアプリ子目線では?
まず、「泣いて悔やんで選び続けて」というのが引っ掛かります。
パジャミィと離れてすぐのアプリ子がそこまで様々な苦痛の選択に直面したのか。
真ん中の挿絵のアプリ子はまだツインテール。
鏡が割れる前、深夜怖い前です。
この時期はまだそこまで泣いて選んで悔やみ続けてはいないはずです。
とはいえこれだけでは根拠として弱いにもほどがあるので次に行きます。
「叶わぬ夢の残滓が私だね」
残滓。いよわさんの提供曲の一つです。
この曲の中の歌詞に「変わって変わって変わってしまう」「気取った理想が血を吐いた」というものがあります。
魔法の残滓ともあるのでディアマイ系の曲かと思っていましたが、アプリコットのテーマが成長の拒絶であることを鑑みると繋がりが見えてきますね。
しかしそこは本題ではありません。
残滓とは残りかすという意味です。つまり叶わぬ夢の残りかす。
アプリ子の夢、理想が成長しないことならば、既に成長しきった自分を叶わぬ夢の残滓と表現していると考えられます。
その場合、鏡を割る前のアプリ子はまだ成長段階のため当てはまらないのではないでしょうか?
さて、これを読んでいる途中にこんな疑問が湧いてきたはずです。大人アプリ子の歌詞だとしたら、深夜怖いを経験した後のはずなのに何故「角を曲がった後に誰が手を振っているのか」を知っているのか。なぜ思い出しているのか。
それの答えが
これです。
椅子。フィルム。そうですね。
最後の挿絵です。
アプリ子って写真やアルバム、フィルムが嫌いだと思いませんか?
成長を拒絶している人間にとって昔の写真というのは、今の自分との差異を最も明確に見せつけてくるものです。
鏡に、水面に、液晶に化け物しか映らなくなったアプリ子は、写真も嫌悪して生きてきたはずです。
それがフィルムを手繰るようになるには、何らかのきっかけがあったはずです。
例えば、自分の娘がレンズ越しに目を輝かせていた…とか。
どんな気持ちだったのかは想像するしかありませんが、彼女の娘はのちに大女優と呼ばれるほど、カメラと深く関わる人生を送ります。
写真が嫌いなままの母親だったら、大女優は生まれたでしょうか?
写真を嫌っている母親だったら、高校生の娘にビデオカメラを与えてくれたでしょうか?
アプリ子は母親になり、変わったんですね。
いや、昔に戻ったと書くべきでしょうか。
鏡を再び手に取り、リボンを再び身に着けて。
そして、自らのフィルムを手繰り終わったとき、
そして、娘の
ああ、なんて美しい。
「君」を思い出したのか、娘に「君」の面影を見たのかは分かりません。
しかし、どちらにしても『救い』であることには間違いありません。
『救い』に、いよわさんに深い感謝を捧げます。
ありがとう。
卒業式
ついこの前、娘の新学期が始まったと思ったらもう卒業式。
黄色いリボンを着けた母親は長い袖の服に、エプロンを着ている。
笑顔の娘がカメラを向ける。
母は娘に何を思うのか。
大人になっていく君に、忘れ物を届けるように。
さあ。
晴れたお別れの日に
こんな曲を流すように
とっ散らかしたおもちゃと長い袖が
やっぱくすぐったくて
涙ぬぐって笑おうぜ
裸足で蹴り飛ばして
宙に向けて放った
大事な私の心の時間かせぎ
お願いあなたを忘れぬままでパジャミィ