正直な気持ち
たとえば
「美しさ」「スタイルのよさ」
どう見られたいか。
この業界にいるとそれが当たり前のような価値観でやっていかないといけないわけで。
そうなるとその価値観の人が集まってくる。
それが悪いということではなくて。
「見られること」で
誰かと比べてとか
誉められたい、認めてもらいたいとか
平均とか、このくらいとかだと
常に誰かを気にした行動になりやすい。
人から見られた評価が好きな人もいるので
それが悪いと言っているわけではありません。
以前の私もそこにいたからよくわかる。
ただ、いまの私は
「そのままの自分」であること
に居心地の良さを感じるようになった。
まず、「いま」を受け止める。
そしてそれをしっかり「感じる」。
たぶんそれが年月、年齢を重ねたってことなのかな。
維持することで「自分」を感じられる
のか
変化することで「自分」を感じられる
の違いかもしれない。
そして私は
「変化する」ことを感じるのが好き
なんだって気づいた。
昔、30代の頃 腹筋をすることが大好きで
当然、腹も割れてました。
でも「腹筋を割る」ことが目的ではなくて
本当に純粋に「腹筋トレーニング」が好きだったのね。
でも、
「もう割らなくていい」
と言われることも多かった。
きっと腹筋割ることが目的だったら
そう言われることがすごく嫌だったと思うけど
前記したようにそれ目的ではなかったので
「そうだよね」ぐらいにしか思ってなかった。
筋肉好きの人には誉められること多かったけど
(そのおかげでプロのカメラマンに撮って頂けた)
あいにく…
この仕事してるのに私はムキムキかたい筋肉がそんなに好きではない(笑)あぁ…言っちゃった(^_^;)
そしてある時、突然腹筋にこだわらなくなった。
なんでかわからないけど。
もういいやって思った(笑)
やりきったのかな?(^^)
40歳を過ぎてから
「運動、トレーニング」以外の新しい友だちも増えて
視野を広げたことで感じたことは
「もっと内面を磨きたい」
生きざま、生きかた、
どんなふうに年齢をとっていきたいのか。
どんなふうになりたいのか、より
どうありたいのか。
「死ぬときに後悔しない生きかた」
↑交通事故に関係なく、これは若い時から常に課題だった。
「明日死んで後悔するならいま何をする?」
そう思うことも多くて。
でも40歳過ぎてからの自分は至るところで想像以上に「恐れ」を感じてて。
いろんなことを見て、聞いて、やってきて
やっと「自分」のこと理解できるようになったら
いままで頑張ってきたことが「恐れ」からだったと気づいた。
自分の弱さを知っていたから「強くなりたい」と思ってやってきたけど
その自信のなさが
「がんばる」ことで認めてもらいたい
っていう他人軸だった(^_^;)ていうオチ笑
突然、喘息になって仕事もしんどくなったカラダ
薬の副作用でどんどんおかしくなっていったカラダ
カラダを使う仕事なのにって自分を責めることもした。
どんだけMなんだ(^_^;)可哀想な自分ㅠㅠ
まぁそれでも気づけたから変われました。
さんざん痛い思いもたくさんしたし。
その痛みのおかげで
「もういい、もうたくさん」
って思えたから。
カラダ作りもそうだけど
ココロも「緩む」ことで今までの自分がどれだけ「頑な」だったか理解できた。
運動してると「がんばる」ことが良いことって思いがちだけど
「がんばり続ける」から見えないものもあることもわかったし。
そして
「責任感」から「人に頼る」ことが出来なくなってた自分がいる事もわかった。
歳を重ねるってすごいね。
今までの自分が少しずつ理解できる。
あの時があったから今がある。
そう思ったら
しんどくて、もがいて、ジタバタして
変わろうとした自分が愛おしい。
「変わる」って決めてからのしんどさは本当に半端じゃなかったから。
余計に自分が可愛いと思えるようになった(^^)
人から認められるために必死になって苦しかった自分から卒業出来てよかったと心から思えるようになりました。
(がんばることが悪いとか、努力しなくてもいい、と言ってるわけではありませんのであしからず)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?