専門家向け 親の思想信条に悩む子世代(“宗教二世”等)への支援(3) 時間軸と信念の状態から見た“宗教二世”等
“宗教二世”等の広がり、多様性を定義したところで、今度は今日“宗教二世”等と呼ばれるような立場の方々がどのように存在してきたか概観しましょう。というのも既に述べたように、この呼称が注目を浴びるようになったのは2020年の全国ネットでのメディア発信にさかのぼりますが、この呼称以前にも同一対象は存在していたからです。
強制捜査による児童保護
代表的なのは1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件後、彼らが集住していたサティアンに強制捜査が入り、児童相談所が子供らを保護した一件です。当時、彼らは保護に大変強い抵抗を示しました。その保護者(信者)たちの批判ぶりはさらに強いものでした。
また、これほどの規模ではありませんが、2000年代にはホームオブハートという団体の子供も保護されました。劣悪な環境で子供が育てられていることが懸念されたのです。
保護された当初の子供たちは外部の介入に強く抵抗しました。見知らぬ人々に保護される怖さもあったでしょうし、馴染んでいた生活から新しい環境に移されることへの抵抗感もあったでしょう。子供の年齢や理解力によっては内部の信念を自分に取り込んでおり、外敵が襲ってきたと認識したからでもありました。
この彼らも、客観的には現在でいう“宗教二世(等)”に当たります。
”宗教二世”等とそれ以前は何が違ったのか
”宗教二世”等として声を挙げ始めた子世代とそれ以前の子世代との違いは何でしょうか。
まず、年齢層が異なります。そして、内部環境や親世代から受けた信念への捉え方が違いました。
発達理論を踏まえている専門家の皆さんは幼児、児童とそれ以降の発達によって親や環境に対する考え方、捉え方が変化していくことをご存じでしょう。基本的には幼ければ幼いほど与えられた環境を取り込んで生きています。それが10代に入る頃には少しずつ客観視出来るようになり、自分なりの取捨選択をしていくようになります。保護された子らは年齢的にも未発達でしたし、上記二団体は一般社会から隔絶された環境(コミューン)で共同生活を送っていました。また、義務教育年齢の子供たちは学校に行かせてもらえていませんでした。環境による囲い込みは彼らの未発達に輪をかけて、彼らの信念に影響を与えていたはずです。
今も海外では、このようなコミューン型の集団はありますし、国内でもごく少数の集団の場合、社会に知られることなくこのような生活を継続していることはあり得ます。これは “ミニカルト”などと呼ばれ、小さい単位では親族のみなどで人間関係が病理化し、場合によっては事件化さえする(例:北九州監禁殺人事件)場合もあります。
そのように幼かったり、信念に巻き込まれてしまっている場合、“二世”は助けを求めるどころか外部に対して敵愾心を抱きます。
信念状態による差
ただ、オウム真理教の保護児童らはそのまま外部への敵愾心を継続させたでしょうか。時間の経過や成長、置かれた環境によって多様ではありましょうが、今、二世問題で声を挙げる当時の児童だったオウム真理教出身の成人もいます。そのように、多くは変化を遂げて行きました。
今、声を挙げている統一教会やエホバの証人などの“宗教二世”たちも、多くはかつて信じている段階がありました。そこにも多様性があり、親と同一化して一定の年齢まで信じていた当事者もいれば、幼いときから反発してきた当事者もいます。しかし、反発していた幼子でさえ、幼子ゆえに自分の意の通りになることはありません。そこから成長して、ある時点で違和感を抱き始めるのがほとんどの“宗教二世”当事者です。
逆に、今も信じている“宗教二世”たちは組織を批判する“宗教二世”と対峙します。彼らはメディアを通した批判に傷つき、人権侵害を訴えることもあります。つまり、“宗教二世”同士がその考えによって真っ向から対立することもあるのです。
この複雑さはさらに、多少なりとも批判的態度をもつ“宗教二世”当事者のなかに相当な幅をもたせます。何をきっかけに違和感を抱くようになったか、それがどのように推移しているのかによって一人の当事者も変遷を遂げます。批判するのは組織のどの部分か、教理のどの部分かなど多様性は広い範囲に渡り、批判的当事者といえど立場が一致しないこともしばしばです。
これは一世や親世代の脱会者も同様で、皆が同じように同じ観点から批判するようになるわけではありません。特に一人で脱会したり、活動についていけず退いた一世、親世代には相当な幅があります。端的に言うと、組織の信念によるコントロールから影響を受けたまま中途半端な立ち位置に留まり、カルト的な思考に凝り固まったままであったり、組織の信念に戻ってしまうようなこともあります。一世、親世代であれ二世以降の世代であれ、自身の経験を整理する機会を得にくいと、曖昧なままの状態が続きがちになるのです。
過去から声を挙げてきた二世たち
報道されたオウム真理教やホームオブハートの子供たちだけが過去の二世でもありません。インターネットのみに限定しても、彼らはその黎明期である20世紀から声を挙げていました。“宗教二世”という呼び方をしないだけで、同じ立場の人々は過去から存在していたのです。それは“二世”と組織の歴史によります。
例えば、新宗教の中には比較的歴史が古く、現時点で四世、五世を生み出している組織もあります。日本のエホバの証人の子世代のボリューム層は1970年代あたりで二世は現在、40~50代が多いようですし、現在の若年層には三世もいます。このように歴史が古いということは、子世代が声を挙げ始めたのも彼らが既に大人になっていた1990年代ぐらいに遡るわけです。もちろん、インターネットが一般市民に広がる初期段階だったので、それを使いこなせる層は限られていましたが、当時は掲示板や自作のホームページ、その後2000年代に入ってからはブログ、現在はSNSと媒体を変えながら、匿名性の高い場所で子世代は声を挙げてきました。
2022年7月の首相暗殺事件の背景にあった統一教会の子世代は、エホバの証人よりも一世代ぐらい後にずれている印象があります。しかし、ここには説明が必要で、犯人は親が物心ついてから入信していました。よって、子世代の犯人もある程度年齢を重ねており、40代になっていました。しかし、事件を機に声を挙げ始め、注目を浴びた二世の多くは親が統一教会の儀式で結婚して生まれた子世代でした。教義的にこの二群は区別されています。かつて1990年代に合同結婚式という儀式で注目を浴びていたこの団体は、その後、まったく報道されなくなっていました。それが久々にメディアで取り上げられ、当時報道された集団結婚式で生まれた子世代が(犯人はこの群に含まれないにも関わらず)注目を浴びたのです。
二世は単純ではない
この例一つをとっても、「これが二世」という単純な捉え方は出来ないことがおわかりいただけると思います。ここに、先に述べたように多様な新宗教、既成宗教、伝統宗教の子世代も“二世”として声を挙げているのだとしたら、やはりある程度、支援対象の当事者の背景は丁寧に訊いた方がよいと思います。ただ、宗教や宗教以外のすべての各組織に詳しくなることを支援者の条件とするわけにはいきません。ミニカルトや小さな名も知られない団体の事例も当然、潜在しているからです。組織情報もある程度、訊きながら、やはり支援者として重要なのは当事者が何に困っているかを丁寧に聴き取ることかと思います。この『団体に詳しくないこと』への当事者の抵抗については、また後程触れていきます。