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専門家向け 親の思想信条に悩む子世代(“宗教二世”等)への支援(5)親世代の信仰・信心はどう築かれたか

さて、ここまで述べてきたように“宗教二世”(等)といってもかなりの多様性があるのですが、具体的にアセスメントする際に見逃せないポイントがあります。それは親世代の信仰・信心はどう築かれたかという点です。

かつて日本の新宗教の入信理由は「貧・病・争」にあると言われていました。土着信仰や先祖代々の宗教がありながら新宗教に鞍替えするには理由があり、貧しさや病、争いといった苦労があるからこそ、新しい教えに救いを求めたと説明したわけです。この考え方を採用すると、先に苦難があるので場合によっては機能不全環境があるなかに宗教の要素が入ってきます。そこで宗教が幸いとなるか災いとなるかで、子世代への影響も変わってきます。二世が苦悩を帯びるのだとすれば、残念ながら宗教が“さらに”災いを招いたことになります。

他方で、元々は機能不全とかけ離れた家庭、親世代で宗教の要素が入り込むこともあります。特に巧みな勧誘手法を用いる組織では事前の苦悩も勧誘された違和感も少ないまま、気付くと信仰・信心のレールに乗せられています。この場合、「宗教さえなければ、こんなことになっていなかった」と(理論的には)言えるので、まさに宗教の要素自体が災いしたと言えるケースです。

実際はこの二つに一つではなく、相対的にどちらの要素が強いか、因果関係を示すかによって、より明細なアセスメントをすることになります。首相殺害事件の犯人は、母親が入信する前にも家庭に困難はありましたが、入信しなければ多額の金銭を持ち出すこともありませんでした。このように、宗教が関わっていたか否かを想定することにより、ある程度のアセスメントは可能かと思います。宗教活動がさほどの負荷をかけているとは思えないのに生じている事態が深刻な場合は、家庭の機能不全要素が高いと言えるかもしれません。

こういう発想は親世代、第一世代への勧誘の巧みさが知られるようになってから出てきたものです。いわゆるマインドコントロールなどと呼ばれる手法です。宗教から自己啓発セミナー、マルチ商法、スピリチュアル商法、反医療など多岐に渡る組織でこの方法が取り入れられて久しいのですが、この影響を受けると子世代以前にまず周囲の人々が困惑する現象を引き起こします。

統一教会の場合、勧誘が始まった1960年代から「親泣かせ原理運動」という親世代の反対運動を引き起こしました。勧誘された子供が原理運動(政治運動に近い)や宗教活動にのめり込み、せっかく入った大学を退学までして熱心な信者になったのです。勧誘された子世代は基本的に「貧・病・争」に当てはまる人ではありませんでした。親に愛されて育ち、存分な教育を受け、有名大学へ入学させてもらえるような人たちが勧誘対象にされたからです。これは後のオウム真理教にも通じます。オウム真理教は時間が経過するなかでエリートを勧誘対象にするようになりました。1995年の地下鉄サリン事件が起こるまで組織で重用されたのは技術力や専門知識をもったエリートたちでした。彼らもまた幸せな子供時代を送り、能力を認められる人生を歩んでいましたが、宗教的回心によってそれらを捨て、ある人たちは処刑に値するような加害行為へと誘われていきました。オウムに誘われた子供を返せと親たちが立ち上がり、頼った先の坂本弁護士は団体によって殺害されました。エホバの証人という団体は1970年から1980年代にかけ、子育て中の主婦層を中心に勧誘活動を行っていました。そこでも裕福で恵まれた家庭の主婦層が信者になっていきました。入信に悩んだのは子供よりも先に、その夫たちでした。このように子世代以前に周囲とのコンフリクトが起こりやすいのが、この類の団体の特徴です。その意味では子世代は後から発生した問題に過ぎません。しかし、子世代は子供という脆弱性をもつゆえに、その影響にも特殊性が孕まれました。

この三団体においても「貧・病・争」に当たる層がいなかったわけではありません。首相殺害犯は経済的にも能力的にも恵まれていましたが、家庭の不和や家族の病気を抱えていました。オウム真理教も勧誘を拡大するなかで「貧・病・争」の層を含み込みました。彼らは社会的に、あるいはアイデンティティにおいて居場所がない人に居場所を与える面もありましたし、彼らが労働力にもなったからです。エホバの証人においても、二世の話を聞くと元々家庭環境や生活状況が苦しい人も一定数いたようです。ただ、それは子世代からの聞き取りなので入信前の家庭がどのような状況だったか、子供の記憶や認識では定かではない部分もあります。家庭の中で母親だけが取り込まれるケースの多いエホバの証人では少なくとも入信によって家庭不和が大きくなった可能性は高く、二世は両親の不和に晒されつつ、母親の宗教活動の巻き添えになっていきました。これが親世代が揃って信者だったり二世だったりすると、子世代にはより宗教活動をする選択肢や世界観しか残されなくなります。統一教会では親世代が宗教的に結婚することで生まれる子世代は教義的に特別な意味を与えられます。彼らはいわば純粋培養の信者として育ち、世界観を築き、自分の人生の方向性が最初から定められています。宗教濃度という言い方が適用できるのであれば、もっとも濃い部類かもしれません。首相殺害事件後、声を挙げ始めたのは、この純粋培養型の二世たちでした。

このように従来の「貧・病・争」に加え、元々はさほど機能不全の度合いが高くなかった親子や家庭も誘導性の高い団体の影響を受けることで、“宗教二世”としての苦しみが生ずるようになったのです。

これ以外にも、新宗教として歴史が長く信者母数の多い団体もあります。大きな団体なので信者層にも幅があります。古典的な「貧・病・争」を勧誘対象とする一方、組織運営や社会的影響力を鑑みてエリート育成を試みるなどバラエティに富んだ信者層が含まれるのです。そんな団体の子世代もSNSで苦悩を訴えています。親世代の意向を汲んで系列の学校に進学したり、熱心な活動を続けていたが、ある時点で思うところがあって退くことを決意したとするなどです。もう少し新しく規模の小さな新宗教はエリート勧誘志向で親世代も高学歴です。教義として勉強に励み、有名大学へ進学するよう強く促される一方で望まぬ系列学校への進学も強要され、子世代の気持ちがやがて離れていく場合もあります。金銭的な要求が多く、次世代にまで影響するケースもあるようです。また別の団体は幼い頃から活動に駆り出されたり、反医療の思想をもつため適切な医療に与れないなどの拘束を受けます。

このように親世代の信仰・信心がどう築かれたかと、家庭内の機能不全は関わりあっています。子世代からの聴き取りにはどうしても限界があり、ブラックボックスや想像に任せるしかない面もあります。二世当事者の語りを真摯に受け止めつつ、実態がどうであったのか、専門家側がある程度の推測能力を発揮する必要も出てくるのです。

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