出張森づくり隊@東逗子・東の森 ~第3回目~
2024年11月2日 土曜日 『東逗子 森が喜ぶ森づくりin東の森』
レポーター:人の身体も心も、そして森をも治す鍼灸師 みどりん
その日は、雨の中の森のお手伝い。
行く前は、正直、雨で億劫だなと思わなくはないんどけど。
森に入って作業し始めると、俄然元気になってくるし、目の前の造作に夢中になってると、不思議と雨が気にならないのです。
私は、今回この森は初めてだったのですが、いろんな森に入っていると、そこの森のもともとの成り立ちとか、風土的なものがまずあり、そしてどんなふうに手入れされてきたか、あるいは放置されてきたかということ。
そして、今、それに対して今どんな想いをもって、その森に関わっている人がいるのかによって、ほんとに、さまざまな森の個性がそこには現れていて、毎回とても興味深いのです。
東の森は東さんが、子供達が自然の中で遊べる場を作りたいとのことで、森を手に入れ、何年も前からコツコツ手を入れてきているそうです。
東さんが、森を見つめるその視線の中には、いつも子供達がいるんだなというのが、東さんとお話ししていても、「ここをこんなふうに道を通して欲しい」と、造作しながらのリクエストされる中にも、すごく感じられて、その日は子供達は、いなかったけど、たくさんの子供達が、遊びまわる景色が目に浮かぶような、そんな森での1日でした。
気がつけば、雨の中の造作でみんなカッパを着ていたものの、泥だらけになっていて、それこそ、子供の時以来の泥んこ遊びしたみたいだねと、笑いあっていましたが。
東の森は、子供だけでなく、大人も子どものときのように、泥んこになって遊べる森なんだなと、思ったのでした。
逗子の東の森は、なんといっても足元がぬかるんでいるのが大きな特徴。
この日が雨だったからだけではなく、普段からそうなのだそう。
そして、人が歩きやすいように作られている道も、斜めになっているので余計に滑る。
まずは、それを平らにする。斜面側を直角に切って、斜めだったところに土を盛り平らにする。それだけでぐっと歩きやすくなるが、さらにそこに伐採した木々の細かい枝葉をばら撒き、地面をなんとなく覆って、土が剥き出しにならないような造作をした。
この造作は、すごく基本的な森の造作で、初めての人でも簡単にできる。
そして、このことをやりながら、初めてこういう森の再生に参加した時のことを思い出した。
出張森づくり隊での作業は、登山道のように整備されたところではない、放置された森に分け入っての造作になる。なので、最初は木々が生い茂っているだけで、道も何もない場合がほとんど。
そんな状況の中で、まず最初の一歩が、足がかりづくり。斜めになっている斜面に対して、自分の足元、これから整備をしていきたい斜面に対して、垂直にスコップ(移植ゴテ)を入れる。斜面に対して垂直を作り、そこに片足を乗せて、楽に立てる状態を作る。また次の一歩も同じように、スコップを入れて、斜面に垂直を作り、そこに足をのせる。道なきみちを進む時に、何もしないと滑ってしまって、一緒に山肌の土も削ってしまうことになるので、そのことじたいが森を傷めることになるので、そうならないことへの配慮でもあり、その作業を進めていいく自分も、斜めに立っていることはしんどいので、ちゃんと真っ直ぐ立てるように、足場を整えるということにもなる。
自分も立ちやすく(歩きやすく)、なおかつ、それじたいが森にとっても健やかさを育むことになる。斜面に対して、垂直を作ることにより、雨が降った時に表面を水が流れるのを防ぎ、土の中にちゃんと水が染み込むことを促すことにつながるのだと。
そして、森の造作をする時の心得として、疲れたらちゃんと休むこと。無理してまでやらないと。頑張ってやるものではないし、森での造作は危険を伴うこともあるから、無理して怪我に繋がることもある。なので、頑張りすぎないこと、自分の感覚で心地よさを大切にしてくださいと、教わったことを思い出したのです。
この、作業する時の、足元の小さな一歩に、そして、決して無理はせず、自分の心地よさを大切にしてねとの教えの中に、森と人が長いこと一緒に共生をして、森も人も健やかに楽しく暮らしていた時代の秘訣が詰まっているのを直感したのでした。
直感とはいっても、当時は自分がアーユルヴェーダという世界三大伝統医療に出会い、ずっと自分の暮らしに取り入れてきて、患者さんにもアーユルヴェーダ的な叡智を日々お伝えする中で、とても大切にしてきた、「心地いよい」という感覚。それを大切にすることで、自分も育、また身近な人や他者の健康や幸福の拡大に貢献することができると、その両者は同時に育んでいけるものなのだという教えと、めちゃくちゃ合致するなと。そこにすごくピンときたのでした。
一般的には、自分と他者と、どうしたって、拮抗してしまい、自分を押し殺して、他者に尽くして自分の健康が危うくなっている人もたくさんいるし、自分を整える、自分の心地よさということにフォーカスしすぎると、なんだか自分がわがままなんじゃないか、独りよがりなんじゃないかという気分に苛まれる時もあったりして、なかなかその両者を同時に育んでいくことは、普段の暮らしの中で難しいような気がしてしまう人が多いと思うのです。
でも、その時にちょっと慣れないかもしれないけど、自分の感覚を信頼し、「自分の心地よさ」ということを丁寧に感じるようにしていくと、自分が整ってくると、同時に周りの人にも適切なケアが、無理なくできるようになっていくものなのです。
そんなことが、森の再生の現場でも、まさに大切にされていて、自分の足場確保、自分の心地よく造作をすすめることができる体制づくりが、そのまま森の健やかさにも繋がると聞いて、とっても心躍る気持ちになったのでした。
そして、実際、森のためにとか、環境を守らなきゃ! ということよりも、不謹慎かもしれないけど、自分がその森での造作が楽しくて、道なき道を切りきながら、森に光を通し、空気の通り道を作り、水の通りをよくしていく、土中環境を整えていくということに関わることが、何よりのリフレッシュになり、自分も整う時間になるというのがあったので、その後もたびたび森に通うようになり、今に至るわけなのです。
自分の心地よさを重視というか、それを大切にしてはいましたが、そのことによって自然と森に足が向かうようになる。都会にいて、どんなに美味しいものを食べても、素敵なカフェでのんびり過ごしても、癒しきれない疲れを、森に出向いて、その森を元気にする造作を夢中でやることによって、癒されるということに気がついたからなんですね。
なので、本当に自分の感覚で心地よいということにフォーカスしていく、その感覚を大切にしていくことで、人は自然と森に向かうんではないのかと、今では思っています。
それもただ森で遊ぶということではなく、森が喜ぶ森づくりということを通じて、森という大自然の営みと、自分の中にある大いなる自然の営みにも気が付き、自分の中で眠っていた自然治癒力や忘れていた真に癒す力を取り戻していけるのだと思うのです。そうなっていった時に、人は自然と元気になりその元気は他者や社会にも伝播していき、森や社会にも還元されていくのではないかなと、思うのでした。
逗子の森の様子からは、だいぶかけ離れてしまいましたが、出張森作り隊で大切にしている 「森が喜ぶ森づくり」と同時に、「人の心が豊かになる」ということ、その原点を思い出させてもらった 今回の逗子の東さんの森での作業でした。
以上 レポーターは人と森の鍼灸師♡みどりんでした。
ここからは、森の造作について、きょうちゃんが補足。
【東さんからのリクエスト】
1 短期の課題
養蜂フイールドにある枯れた杉の大木、これが係り木になってフイール
ドの光を遮っている。
2 長期の課題
森の真ん中に水の流れがあって、その下流部が広場。その広場は人々が
楽しむところになっている。
広場のぐちゃぐちゃをなくすためにも中央の水流を広場の先で左右に分
散させることが課題。
雨水の流れを実際に見ながら作業できるのは、ある意味とてもいいチャ
ンスではと、そんな風に意識を変えながらみんな集まってくれたようで
す。 ←←← その通りです!
1の係り木は長野からやってきてしげちゃんとゆうき君がチェンソーとロープを使って引っ張り、倒すことができました。
(最後の30分くらい、みんなで格闘しました)
2の水はけの悪い広場について。
広場に繋がる斜面の風通しを良くして、しがらみを作る作業は、2回目の9月23日にかなり進んでいたが。
雨水の流れを見ることにより、道が斜めになっていることが判明。
そして、森全体の土壌が粘土質だということもわかった。
午前中は、森の藪になっているところを刈り、しがらみの素材をつくり、午後にしがらみ作りと考えていたが、斜めになっている道で、滑りやすく、雨水も上面を流れてしまうので、午後は道を切る作業になった。
作業中はさほど気にならなかった雨だが、さて帰る段になって、泥だらけのカッパや靴をどうしたものか、着替えたびしょびしょの服は、、、。
途方に暮れてしまった。(*´▽`*)
でも、雨だからこそ見えてきたことも多かった。
森に水と空気を通し、森を喜ばす森づくりをする。
それが「出張森づくり隊」です。
トップの写真は、森作業が終わって、森のたね「出張森づくり隊」のミーティングのため立ち寄ったオシャレカフェでの一コマ。
(雨の中だったので森では集合写真が撮れなかった)