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ICLをして見えた世界#0【目が悪いかつてのわたし篇】

ICLをしました。

実際にICLをしようと決意してからについては、この次以降のnoteに書きます。

それらを書くにあたり、わたしのこれまでについて補足として書いたほうがよさそうなことに関して、#0として記します。

あまりにも個人的なことばかりだったので、番外編にしようとおもい、#0としています。


◎はじめての視力検査
気づいたときには視力が悪かったので、よかったことがあるのか不明です。

視力が悪いとわかったのは、小学校入学前の検診のときでした。
そして、それはわたしにとって初めての視力検査でもありました。
1番上の大きいやつが見えなくて、??って感じで黙っていたら、一緒にいた母がものすごい勢いで怒りはじめました。
まじめにやりなさいって。
でも、ほんとに見えなくて、どうがんばっても見えなくて、その状況に耐えられず母のぶちぎれに負けない勢いで泣きました。
これが見えないことは、母の想定とは違う状況なんだなと察しました。
母も、幼い娘が目が悪いことをいきなり突きつけられて、ショックだったのでしょう。
このことは長らく忘れていましたが、あるとき急に頭に浮かんでおもいだしました。
まあトラウマです。

視力については、このときから0.05くらい。
それ以降もずっとそのくらいだとおもいます。(オルソケラトロジー時代を除く)

◎小学生時代
1年生のとき、オルソケラトロジーという視力矯正をはじめました。
オルソケラトロジーは、寝ているときにコンタクトすることで視力が回復し、日中は裸眼で過ごせる、というものです。
小学生ってすぐ走り回るし、やっぱり母がめがねの生活を気にしたのでしょう。
わたしは地方出身で、当時はオルソケラトロジーを扱っている医療機関が近隣にありませんでした。
そのため、赤坂のクリニックに通っていました。
わたしはなんか東京いけて楽しい!って感じで、わくわくでした。
治療したら確か0.5くらいになりました。
でもそれ以上にはならなかった。

そのような経緯で、小学生のときは一応裸眼で過ごせました。
でも、当時はいろんなものが見えづらくて、目つきが悪いと何度も指摘を受けました。
学校の先生とかにも、なにその目?みたいなこと言われたことを覚えています。
いま考えると、0.5で裸眼で生活するのは、それなりに厳しい気がするのですが。

◎中高生時代
中学に入るときに、オルソケラトロジーをやめて、2weekコンタクトとめがねの生活に切り替えました。
ほんとにばかだし死ぬほど後悔していますが、コンタクトしたままめっちゃ寝てました。
これがどれくらい影響したのかわかりませんな、高校生のときに、コンタクトしてもレンズが浮いてきて外れちゃうという事象が発生。
受診したら、アレルギー性結膜炎でした。
これ以降、コンタクトを長時間装着するのが難しくなります。苦しみのはじまりです。

◎大学生〜社会人
かなりめがね率が高い。
必要に応じてコンタクトしてました。
ただ、やっぱりめっちゃ充血したり、コンタクトするとめっちゃ鼻水でたりして、状態はよくなかった。
眼科を受診すると、コンタクトしないでときつく言われることもありました。

あとは、わたしはめがねとコンタクトで顔の印象が全然違うようで、いろんなコミュニティでいろんな人にそれを指摘されました。
正直苦痛でしょうがなかった。
わたしはどっちの顔も見慣れてるから、いちいち言われるのも嫌だったな。


視力矯正をするのはICLがはじめてではなく、かつてオルソケラトロジーをしていました。
少し前に、お子様がオルソケラトロジーをしているという方に偶然お会いしました。
軽い近視なら、視力もでやすいようです。
わたしにはあんまり合わなかったのかも。

次からは本編です!

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