帰国してもう2年以上が経つ。
飛行機は、毎年日本とメキシコを行き来させてくれる、自分にとっては馴染み深いものだった。
けれど、covid以降、日本に帰れない年が続き、最終的に帰国した頃には、それまで10数万円だったチケット代は、倍に跳ね上がり、今では縁遠いものとなってしまった。
今、自分は日本の北端にいて、海外は愚か、東京にも、実家のある九州にも、綺麗な海のある沖縄や、奄美大島、屋久島に行くことさえ躊躇してしまう。
なんだか、色々と億劫になった。これが年取るってことかな?
人混みは元々苦手だし、今や、空港に行くことさえ面倒臭くなってしまったのだから、人は変われば変わるものだ。
私にとって、飛行機は、これまで、自分を違う世界に運んでくれる魔法のドアだった。
降り立った瞬間、独特の香りに、全く異なる周波数の言語が一気に耳に入ってきて、空気感さえも全く変わってしまう魔法。
が、今は、そこまで大差ない世界にしか行けないので、そんな残念感も加わって、それが逆に、私を飛行機から遠ざけているのかもしれない。
***
飛行機といえば、私には、もう一つ、忘れられない出来事がある。2007年、初めてメキシコに渡った時のこと。
成田の搭乗口ロビーで遅延した飛行機を待っていた時、経緯は忘れたけれど、私より少し年上の女性が話しかけてきた。
日本人だと思ったら、日系のブラジル女性で、何しろとても屈託がなくて明るくて、パッと花が咲いたような笑顔が印象的な人だった。
日本旅行を終えて、これからブラジルに帰るところなの、と彼女。初めて会う人なのに、とても好感を覚えたっけ。
そのうちアナウンスが流れて、私達は、ようやく搭乗、晴れて雲上の人となった。
離陸してしばらくして、食事が運ばれてきて、まだまだ先は長いなぁと小さく溜息をついた頃、先の彼女が私を見つけて、前方から手を振りながらやってきた。
「まだまだ先、長いですねぇ。」
「あらぁ、あなたはメキシコシティから乗り換えて2時間でしょう?私はシティから随分先よ。でも楽しかったからいいわ。」
聞けば、ブラジルで日系移民として生まれ育ち、祖父母から日本の話を聞いていたので、いつか、お墓参りに行きたいと願っていたそうだ。
「もう誰も親戚はいないんだけどね。でも、ずっと行きたかったから。」と彼女。
当時、働いていた職場で、私は偶然にも、移民について、話を聞く機会があった。正直ショックだった。
行政に、そんな部署があることも知らなかったし、そもそも移民がどうやって移民になったか、そんなことを学ぶ機会もそれまでなかったから。
もし実情を知らない人がいたら、是非に本を読んで欲しい。歴史って、本当はこういうことを学ぶためにあるのではないかと、私は思う。
彼女が、どんな気持ちでお金を貯め、どんな気持ちで日本の土を踏み、どんな気持ちで祖先のいた国を眺め、お墓に手を合わせて来たのか、私にはわからない。
けれど、手書きで書かれた名前と住所と共に、私の手を握り、「いつか、きっと遊びに来てね」と言ったその手の温もりだけが、今も私の身体感覚として残っている。
秋の夜更けに思い出した、もう17年も前の出来事。
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