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美術鑑賞 音楽鑑賞

 美術展を見ることは、私にとってはかなり能動的な時間。パリに住んでいた時は、毎週水曜日の夜にルーヴルに行っていた時期もあったし、グランパレやサンジェルマンデプレのアトリエのような場所で開かれるエクスポジションにも足を運んでいた。
 なぜ能動的かと言うと、絵を見ることは美術館という道場で感性を鍛える一種のトレーニングだと思っていて、下調べなどはほとんどせずに、いきなり絵画と対面する瞬間に非日常的な能動性が発揮されるから。その絵が有名か、そうでないかも知らずに、自分の感覚を頼りに見る。そして五感をフル活動させ、全力で本質を掴みにいく。絵の前に立ってエキサイティングなのは、その絵が何を伝えているのか、画家が表現したかったことは何なのか、感じ取るために全神経を集中させることだ。他の人は違うと思うけれど、私の場合は「色彩が」とか、「構図が」、「ドローイングが…」などと考える時は、たいてい集中に欠いてほんの僅かな知識に頼ろうとしているとき。
 
 そう言えば、コンサートで初めてのアーティストを聴いたり、自分が新しい曲に取り組む時にも同じ感覚になる。最初にその曲の本質を掴めるか、掴めないか…音楽の場合は、その後に直観の根拠を楽譜から探り出し理論付けていくわけだけれど、アートとなると専門外なので、いつまで経っても一向に体系的な知識が身につかない。

 アンテナか冴えているときは、キャッチしてきた作品へのイメージを図録やインターネット上の情報と照らし合わせ、”かなり良い線を掴んでいた” ことがわかると嬉しいし、時には大ハズレもある。
「できそこないのフランス絵画が混じってる」と思ったら、クリムト大先生の絵だったり…20年以上、そんな鑑賞方法だから万年初心者なのだと最近気がついた。だからいつもフレッシュに楽しめるという部分もある。

 クラシックのコンサートで、「有名な曲を集めたプログラムによるコンサート」なら退屈しないと思っている人がいるけれど、あれは果たして真実なのかなぁ、と、時々考える。私は子供の前で全然有名ではない室内楽の曲を弾くことが何度かあったけれど、少なくとも子供は「知らない=退屈」ではないような気がする。子供にとって知らない作曲家や初めての曲の方が多くても、体調さえ良ければ集中して聴いてくれていた。演奏会後に「これが好きだった、気に入った、良かった」と、好みを伝えてくれる時にも意外に渋い曲が多くて、英雄ポロネーズや愛の夢が一番ではなかった。シューマンの「おとぎの絵本」のような難しい曲を、とても気に入ってくれた小学生もいた。
 
 話がそれてしまったけれど、美術展では静かな会場で一人、感覚を研ぎ澄ませ、噛み付くように静止画を見る時間が大好きで、またすぐに観に行きたくなる。先日観てきたシーレ展には、実はもう一回行きたいと思いつつも、やはり次に都美で予定されているマティス展を待つことにした。
 マティスを待ちながら、今日はマリーゴールドの苗を買ってきて植えた。シーレ展にコロマン・モーザーという画家の「マリーゴールド」という絵が来ていて、「そうだ、これ植えよう」と思いつき、チューリップが植えてあったプランターに植え替えた。多分これは忘れると思うけれど、モーザーはウィーン分離派の1人らしい。全体的に暗かったシーレ展では、ポジティブなビタミンカラーが安らぎと幸福を振り撒いていて、帰り際のお土産ブティックでは、シーレのポストカードと一緒にこの絵のポストカードを購入している人をちらほら見かけた。私もビタミンカラーに感化されたわけだけれど!

早くプランターいっぱいにならないかな


 


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