エゴン・シーレ展へ
会期終了間際になれば混むことはわかっていたけれど、終了10日前になりようやく行ってこられた。
都美ね、何度も行ってるから知ってる知ってる!と、地図を確認せずに上野公園をスタスタ歩き、着いた先は芸大だった。あれー?
どこで間違えたのか…Googleを見ながら慌てて戻った。上野の桜はまだきれいだったけれど、人が多かった。
今回の展覧会はシーレの作品だけでなく、師匠のクリムトや他の分離派の画家達の作品もあり、なかなかの見ごたえだった。残念ながら私にはエゴン・シーレも、ウィーン分離派についてもほとんど全く知識がなく、その上に下調べもせずに行ったので本当にただ見ただけ、語れることは何もないので感想と写真のみの記録。
シーレのコーナーは途中から「死」の臭いが漂っていて、毛穴が開いたり鳥肌が立つほどだった。特に今回集められた作品がそうなのかも知れないけれど、人物像や自画像のうちの何点かは、私には死神に見えた。三本の十字架が立てられたゴルゴダの丘の絵もあった。生きていながら、これほど死を意識するのは、いつも「死の予感」につきまとわれていたのかなと妄想した。
そして展示を見始めるとすぐに、「この人、ウィーンは大嫌いだっただろうな」と直感的に思ったら、やはりそうだったみたい。
一部の作品が猥褻すぎて牢屋に入れられたとか、それらが燃やされたとか、愛人を捨てたとか、早逝したとか、そういうエピソードには驚かないし心も動かないけれど、死臭とナルシシズムは目眩がするほど強烈だった。それなのにラインの力強さは生命力そのもの、そして深みのある色にはどこか神聖さを感じ、変なポーズの女性に下品さがないはどうしてだろう。母と子の絵は、見なくていいものを見た絶望が突き刺さってくるようだった。子供なのに、、、
…と言いつつ、何点かの人物像、故郷の街、とりわけ「菊」にはすっかり魅せられていたので、帰りにトートバッグとTシャツを買った。このグッズだけ見るとすごくオシャレな展覧会だったみたいな嘘の記憶に塗り替えられてしまいそう。