バッハ、バッハ、バッハ
さて2024年のヴェルビエ音楽祭はピアノを中心に聴いた。私が行っていた期間は、ダヴィッド君というコンセルヴァトワール時代の同門の友人が来ていて3回も公演を行ったり、ブルースくんはプレトニョフが編曲したショパンの協奏曲第一番を弾いたり、カントロフがシャニの指揮でブラームスの2番を弾いたり…と、注目されている若手ピアニストの公演が目白押しだった。
去年まではやっていなかったと思うのだけれど、カフェ-クロワッサンと名付けられた朝食イベントが今年は開催された。これは教会の近くにあるcafe rougeというカフェ兼レストランで、朝食を食べながらその日に招待されているアーティストのトークを聞くというもの。終わるのが10:30なので、11:00から始まる教会のコンサートと梯子できる。わたしは友人ダヴィッドがトークする日に参加してみた。彼はバッハを得意としていて、今年のヴェルビエではゴルトベルク変奏曲のリサイタル、ロザコヴィッチとのオール・バッハで組まれたデュオとソロを交えたリサイタル、最後はユジャの代演でマケラと共演だったが、こちらもバッハの協奏曲ニ短調。
バッハはたとえ平均律一曲、組曲一曲弾くのだって難しいのに、バッハばかりこれだけ本番で立て続けに弾けるインテリジェンスには無条件降伏だ。下手な感想を述べるよりも、朝食イベントで印象に残った話など覚え書きを…。インタビュアーの女性とダヴィッドが着席すると、バッハの音楽へのアプローチや、バッハ以外で得意としているシューベルトについてのトークで始まった。まず前日のリサイタルで弾いたゴルトベルクについて参加者から「最後のアリアでは安らぎを覚えとても感動した」とコメントがあったので、アリアの話をしてくれた。バッハのゴルトベルクはアリアで始まり、同じアリアで終わるのだが、その間にある長大な道のり(変奏曲)を通過することで、終曲のアリアを弾く自分は変化を遂げている。あるいは、同じ自分であっても、見える景色が違うと言う。
またシューベルトについては、「非常に革新的な作曲家。ベートーヴェンは常にある地点、ある目的に向かって音楽が進んで行くけれど、シューベルトは途中に美しい花が咲いていればそこで立ち止まる。シューベルトを弾くことは死を学ぶという面があると思う。学ぶことで死への恐怖を克服しようとする」というような話をしていて、ひたすら「なるほどね、そうだね」と共感した。それから、ダヴィッドが生まれ育った故郷であるスペイン国境に近いフランス南部の街タルブで、数年前から彼自身が開催している音楽祭について。この音楽祭はハンディキャップを持つ人たちが音楽を楽しむことを目的としていて、わたしも写真で見たが、コンサート会場には車椅子に乗った方達が大勢集まる。全体の確か2割か3割は、ハンディキャップを持った方とその介助者のために無料の席が用意されていると言っていた。また、健常者ではない彼等が、長いコンサートの途中で会場を出ることができるような配慮もされているそうだ。エッシェンバッハやムーティ、ルノー・カピュソン、ロザコヴィッチなど素晴らしい音楽家が集まるので、わたしもいつか訪れてみたい。タルブのすぐ近くには、奇跡の泉で知られ病気を持った巡礼者が集まるルルドがある。だから自然と、この地域の人たちの間では障害や病気がある人たちを尊重する風習がひょっとしたらあるのかもしれない、と思った。ハンディキャップのある人のことは、自分が当事者になってみないと、その苦労や大変さに考えを巡らせることがない..と。
そんなこんなで、非常にトークが上手い旧友ダヴィッドの朝食イベントはあっと言う間に終わった。他にも、教えることで気がついたことなども幾つか話してくれだけれど、それはまた別の機会に。素晴らしい活躍を続けている友人に思いがけず再会できたのが、ただただ嬉しかった。
朝食を食べ終え、その足で教会へ行き、藤田真央くんとエベーヌのコンサートを聴いた。真央君は今年は全部で4公演に登場したが、4打数4安打2本塁打(あってる?)!!お休み明けでとても元気、練習もたっぷりできたそうで素晴らしい演奏をたくさん聴かせてくれた。特に、完全に違うプログラムを弾いた2回のリサイタルは、言葉にならないほどの素晴らしさだった。デュオを弾く予定だったカヴァコスの急なキャンセルは、怪我で仕方がないとは言え腑に落ちないものがあった。とは言え、今年は予定がなかった教会でのリサイタルを、しかもダンテやベートーヴェンの32バリ、スクリャービンのファンタジーなど初めてのプログラムを拝聴できたのは幸運だった。以下、SNSに書いて音楽仲間たちに読んでもらったその日の感想。
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…ヴェルビエのアパート到着後、荷物を開ける間もなくカヴァコスと真央君のデュオのリサイタルを聴きに行くと、教会の入口で人が詰まっている。
何事かと思ったら、カヴァコスが直前に怪我をしたとかで、真央君のソロのリサイタルに変更になったと…カヴァコス目当てで聴きに来ている人も大勢いる中でリサイタルは始まった。
チャイコフスキー、シューマンの小品に続いて三曲目のモーツァルト333を弾き終えると、客席の空気がガラッと変わった。それを味方に、どんどん音楽への集中と没頭を深めていき、ベートーヴェンの32の変奏曲で天才の本領が現れた。
後半は八代秋雄の前奏曲から数曲、スクリャービンのファンタジー、ペトラルカのソネット、そして最後の「ダンテを読んで」まで、強い牽引力を持って弾き進んだ。ピアニストとして一層磨きがかかっている。中でもスクリャービンとダンテは傑出した迫真の演奏だった。
悪条件だったからこそ、潜在的に備わっている真央君の力が強引に引っ張り出されたような、特別な境地であったと思う。
ただカヴァコスは、これで真央君との共演をドタキャンするのは2回目だ(1回目は指揮)。
つい数日前、ここヴェルビエでラトルやマケラ達と弾いていたのを知っているだけに、諸事情を鑑みても流石に心象悪い。
しかしそんな不信感さえ、真央くんの凄まじく純度の高い演奏を聴くことで拭い去られた。
凄い時の演奏を聴くたびに、ピアノと音楽のために捧げられた稀有な人生を歩んできていることが尊く思われる。そこから生まれている純化された音楽の断片を、今日のように不意に聴かせてもらえることに神聖ささえ感じる。3日後に予定されている真央君の本来のリサイタルはクライスレリアーナやプロコを弾く全然趣向の違うプログラム。これからエベーヌとの共演、デュトワとの協奏曲もあるのに、今年も初っ端からドラマティックだ。