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それぞれの冬支度
もう15年近くご縁をいただいているお宅があります
もともとは家電量販店のパソコン教室で
講師をしていたころ
奥様が生徒さんとしてお越しいただいてました
当時は70歳ちょっと前くらいでした
パソコン教室がクローズした後も
毎年年賀状シーズンには電話がかかってきて
お宅にお邪魔して「筆まめ」を使って
私が年賀状を作っていました
毎年、ご夫婦の仲睦まじい写真を中央に配し
近況報告の文章はご主人が予め手書きで用意されていて
完成したパソコンの画面をみて
ご夫婦で顔を寄せ合い
写真をもう少し小さく!とかもっと上の方にとか
とにかくとても仲がよくて微笑ましいなぁと思っていました
ところが数年前に
ご主人の体調が思わしくなく
今回で年賀状は最後にするとのことで
「賀状終い」の挨拶文を載せた葉書を作成し
それで私の年賀状サポートも終了しました
ご主人が亡くなったのはちょうどその一年後でした
知らせを受けてお花をもって駆けつけた時
奥様は今まで以上に気丈に振る舞っていました
最期にはご主人は奥様の手をしっかり握り
「今までありがとう」と言葉を残したそうです
その後一人になった奥様はどうされてるのかなって
時々思い出しながらまた数年たち・・・
つい先日、久しぶりに着信がありました
先生、困った時しか連絡しなくて申し訳ないんだけど・・・
いえいえお声聞けて嬉しいです♪どうされましたか?
いえね、私ね、なんだか何もかもわからなくなっちゃったの
主人がいなくなってね、何もできなくなっちゃったの
声の調子はいつもと同じように
とてもしっかりした上品な感じでした
どんなことにお困りですか?
パソコンのことですか?
違うの、何もかもなのよ
ちょっと様子がおかしい気がしたので
翌日、ほんの少し隙間時間が取れそうな時間帯でお約束をして
何度も繰り返し、「明日の5時に」と伝えて電話を切りました
翌日、仕事を終えて大急ぎで
手土産を買う間も惜しくて職場から直行でお邪魔しました
おしゃれなマンションのおしゃれな玄関には
前にはなかった
大きなゴミ袋がいくつか置かれていました
玄関で迎えてくださった奥様の姿は
以前よりかなり腰が曲がっていたものの
上品なグレイヘアに小綺麗な服装
満面の笑顔でした
ちょうど今帰ってきたところなのよ
本当にタイミングがよかったの
お琴の先生のところでね
お琴はちょっとだけ
あとはたくさんおしゃべりをするの
明るく元気な様子でそう話しながら
お茶を入れてくださった姿は
以前と全く変わりがないようです
そこから高校時代のご主人との馴れ初め
家族全員ご主人のことが大好きだったこと
ご主人が早期リタイアして海外旅行に連れて行ってくれたこと
などなどなど
一気にお話をしてくださり
私はただただ、へぇ!そうなんですか?わぁ素敵!
と相槌を打ち続けました
そのうち
今日はちょうどよかったのよ
ちょうど今帰ってきたところでね
本当にタイミングがよかったのよ
お琴の先生のところでね
・・・また30分前の話題をそっくりそのまま
再び嬉しそうに繰り返されたのでした
ああ
私の祖母の時と同じだ
痴呆が本格的に始まるちょっと前に
こんなふうに一言一句違わずに
同じことを何度も何度も繰り返し話していたっけ
高校生だった私は
だんだん面倒になって
少しずつ距離を置くようになったんだっけ
久しぶりに再会した祖母は
施設のベッドにちょこんと座り
最初は私のことがわからなくなっていたけど
名前を告げた瞬間ポロポロと泣き出したんだった
あの時とおんなじだ
ハイテンションで嬉々として
同じ話を繰り返す奥様に
相変わらず同じ場所で驚いたり深く頷きながら
私は「冬支度」という言葉を思い出していました
それは昔、父の元に送られてきた書類に
メモのように書かれていた
ケアマネージャーさんの言葉でした
「施設の入居日が決まりました
これでお母様の冬支度もできましたね」
奥様が何度も繰り返す話の中に
遠方に暮らしている息子さんの話があって
息子さんは大企業の幹部なので
なかなか会いに来られないけれど
出張の時は必ず立ち寄ってくれるとのこと
そして今は「お袋頑張れ」って言われているけれど
「こっちに来い」って言われたら
私はここを離れて息子たちの住まいの近くの
施設に入ることになるのよって
今は寂しいけどそれでも
「お袋しっかりしろ、頑張れ」って息子がいうから
ここでなんとかやってるのよ
でも「こっちに来い」って言われたら
行くことになると思うのよ
何度も繰り返し繰り返しそう話す奥様は
もしかしたら「こっちに来い」の言葉を
待っているのかも・・・って感じました
結局、前日の電話では「困っているの」って話していたけれど
何か具体的に困っていることがあるわけではなく
話し相手が欲しかったご様子
1時間半
繰り返し繰り返し同じ話の同じ場所で
驚いたり感心したりしてから
「また来させてください、今日はこの辺で」
と伝え、奥様のお部屋を後にしました
これついでに出しておきますねって
玄関のゴミ袋を3つ持ち上げたら
「あらぁ申し訳ないわぁ」
って最初は遠慮していたけれど
「ありがとう、ありがとう」って何度もお礼を言われて
私は、後ろ髪ひかれる思いでその場を立ち去ったのでした
冬支度
この冬を越したらどんな春が来るのだろうか
それとも春を待ち侘びながら
この世に命がある限りずっと冬眠状態ということなのかしら
ご夫婦で顔を寄せ合って年賀状作りをしていたお姿
「主人には内緒ね」って言いながら
ご自分のお下がりの服をくださったこともあった
我が子が小さい頃は、家族でお邪魔して
ベランダから一緒に花火見物させてもらったこともあった
そしてもうすぐ
この方も冬支度を始めるのだろうか
友達も多いし
家族のお墓もあるし
この街を離れたくないという想い
一人で暮らすのは
心細く寂しく
息子さんの「こっちに来い」を密かに待つ想い
私にできることはただ
とめどなく溢れる矛盾する想いを
ひとつひとつ丁寧に受けとっていくこと
誰もが経験する「老い」を目の当たりにして
ちょっと切なくやるせない気持ちで帰宅し
奥様のご健康とご安全
そして心穏やかに過ごせることを
星空を見上げて祈ったのでした
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