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またあの日がくる

令和6年1月1日
この日のために灯油ストーブの上でコトコトと豚の角煮を作っていました。
お正月だから奮発して大きめのお肉を買って、時間をかけてコトコトと。
そろそろお肉がやわらなくなったなぁっていうところで
ストーブから降ろして調理台の上へ

静かな元日でした
お天気もそれほど悪くなくて
近所の神社にお参りして帰ってきたところでした

緊急アラートもならない突然の揺れ
今までにない大きな長い揺れでした
家具がずれたり食器棚の扉が開いたりしたけど、まあその程度

びっくりしたなぁって思ってたところに、次の揺れ

わざわざ閉めにいった食器棚の戸棚は再び勢いよく開き
中の食器は飛び出しました
隣の部屋で大きな音が聞こえて、本棚が倒れたことがわかりました
ただただひたすら揺れがおさまるまで、家族と手を繋ぎ凌ぎました

奥の部屋の大きなタンスがふた竿倒れて、部屋の入り口を塞いでいました
食器棚から飛び出した食器たちは床の上で粉々になっていました
その奥で、扉が開いた冷蔵庫がピーピー音を立てていました

何が起こったのかわからないまま、もとに戻さなくちゃ、片付けなくちゃ・・・って感じた私は、厚底のスリッパでガラス片の上を渡り、どうにか冷蔵庫まで辿り着き、とりあえず扉を締め、それからしゃがみ込んで、食器棚から落ちた食器たちを拾い集めました

その間も余震は続きました
危ないからこっちにきてて!って娘が叫ぶ声が聞こえたけれど、なぜか心の中は妙に静かでした
壊れてしまった私のお城を直さなくちゃって、ただただ陶器やガラスのかけらを集め続けました
指先が切れて、血が止まらなかったけど、不思議と全く痛みは感じず、ただただ放心状態で、紙袋に食器のかけらを集め続けました
コトコト煮込んだ豚の角煮は、お鍋ごとひっくり返っており、ガラス片にまみれて食べられる状態ではありませんでした
他にも用意してあったお節料理は、冷蔵庫から飛び出し飛び散っていました

あの日多くの方が大切な人をなくし、住む家をなくし、生まれ育った町そのものをなくしてしまった一方で、私がなくしたものは、ほんの少しの小さなものだったのかもしれません
でも、なんとも言えない無力感と無常感
身を屈める暇もなく無防備なまま、飛び交う情報にもみくちゃにされて、大きなダメージを受けたことは明らかでした

それと同時に、能登は大変な被害を受けているけれど、金沢は大丈夫という情報発信に違和感を感じました
こんなに怖い思いをしたのに、大丈夫とは・・・
自分だけが軟弱なんだろうか・・・
後から気づいたのは、マンションの耐震構造上高層階は大きく揺れる作りになっているということ
SNSの投稿に「つっぱり棒しなよ!うちはしてたから大丈夫だったよ」っていうコメントがあって、家の中がめちゃくちゃになっている今、そんなマウントいらないのに・・・って、嫌な感情が込み上げてきました
誰にもわかってもらえない
なんとなく孤立した気分でした

マンション自体は「一部損壊」の判定でした
あれほどの大きな揺れだったにも関わらず、私たちを守ってくれたこの建物に感謝しつつ、再び大きな揺れがあった時、どのくらい持ち堪えてくれるのだろうという不安がないわけではありません

そんな不安と、怖い想いを紛らわすように、情報が欲しい人と情報を発信している人とを繋いだり、ボランティア団体の活動に参加したり、自治体に寄付したり、今年の前半はただただやみくもに、「できること」を探していたように感じます

もうすぐまた1月1日が来る
どうやってその日を迎えたらいいんだろうって考えます
正直言って、とても怖い
色々な記憶がよみがえってくることがとても怖いです

もっと辛い想いをしている人がたくさんいるから、動ける私たちは元気でいなくちゃって言い聞かせてはいるんだけど・・・それでも怖いです

だけど、同じ1月1日を迎えるわけではなく
私たちは、色々な経験を重ねてきました
一周まわって同じ地点に戻るのではなく、経験値を積んで螺旋状に階段を登っているはず

だからきっと大丈夫
今ここで誰かの幸せを祈ることができる自分に、ただただ感謝したいと思います


カバー写真は、現在隆起で陸地になっている輪島市門前町黒島の海

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