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プレ皇室研究: 朝倉の謎 続き 麻氐良布神社

この記事が面白かったです。

引用します。
「■結論
「朝倉」の地名由来が、天照大神の表現の「麻氐良」からならば、「朝倉橘広庭宮」は「筑紫日向橘広庭宮」である。
そして、「朝倉の山田」は①斉明天皇の遷都の場所、②魏志倭人伝の耶馬臺国、③天照大神の生誕地、④天照大神の墓の場所となる。そして、長田大塚古墳が卑弥呼の墓として重要である。」

「まとめると朝倉地名の新説は
①「朝倉」の地名由来は、「麻氐良」から。
②「麻氐良」は、「麻氐良布神社」から。
③「麻氐良布神社」は、「麻氐良須神社」。
④「麻氐良須」は「アマテラス」のこと。

「麻氐良布神社については、地元民は、「麻氐良布神社」を「マテラ神社」と呼び、「布」の字は発音しない。そして、「布」と「須」の草書体は酷似しているので、「布」を「須」に変換すれば、「麻氐良須」で、読みは「アマテラス」となる。
結果として、「麻氐良布神社」は、「天照神社」と想定される。

でも、卑弥呼=天照大神ではないので。時代が何百年も違うじゃん。
いいかげん、そこは抑えろっていいたいですが。

「一説には、 伊弉冊尊いざなみのみこと・伊弉諾尊いざなぎのみこと・斉明天皇さいめいてんのう・天智天皇てんぢてんのう・明日香皇女あすかのひめみこを祭神ごさいじんとする説もあります。 また、享保きょうほう18年(1733)出口延経でぐちのぶつねによる『神名帳考証じんみょうちょうこうしょう』では御祭神ごさいじんは天照国照彦火明命あまてらすくにてるひこほあかりのみこととし、麻氐良まてらは天照あまてらすの略称であるとしています。

地元の人の口コミでは、なんかぼろぼろなので、ちゃんと世話してあげてほしいなあ。朝倉市、なんとか予算とか出してやってくれよーって思う。


ついでに、近くに古墳もあります。まあ、「卑弥呼の墓?」で有名らしいです。
うーん・・・天照大神なら、たぶん甕棺じゃないかなあ。紀元前は、そんなにお墓は大きくないんだよね・・・。

「福岡県の筑前朝倉の山田に、円墳としては九州一の規模の円墳があります。まだ未調査の古墳です。それが山田の井上集落(字長田、字井上)にある長田大塚古墳です。
この古墳は三段丘(?)になっており、頂上は円形で平で、祠が鎮座です。

え! そうなの?
「越前朝倉氏は但馬国を拠点とした豪族で、後に発展して越前国を拠点とする戦国大名となっている。その朝倉氏は高良の八神官の一人・稲員氏(いにかず 草壁氏)の流れで、その主人が斯波氏(しばし)となります。
朝倉氏も斯波氏も古くは「朝倉」「志波」の出身で、この二氏の名は、朝倉の地名に因むと考えるのです。氏族の流れは高良物部族と北筑後の橘族の流れを兼ねた氏族と想定しています。斯波氏が絡む杷木志波の地は周囲の朝倉の地より上位の地といれていました。

その越前朝倉氏が拠点とした越前国は、古代、日本書記によれば、継体天皇の地といわれています。継体天皇は越前国に住んでいたことになっている。
しかし、継体天皇は越前でなく、筑前朝倉の福井に住まわれ、その古墳は山田の長田大塚古墳であるという、AmeBlo の管理者「うっちゃん先生」が発表されています」

「『記紀』に言う「継体天皇」の御陵として宮内庁は、大阪府茨木市の前方後円墳・大田茶臼山古墳を指定している。これに対して考古学研究者の多くは約2キロ東北の高槻市安威(あい)の今城塚を本当の「継体陵」であろうとしている。両方とも『記紀』にいう「三嶋の藍(あい)」に相当する場所にあるからである
「継体」の御陵について『古事記』は「三嶋の藍(あい)の御陵に葬(はぶ)る」と書き、『日本書紀』は「藍の(野)陵に葬る」とだけ記す。国名の表示はない。どこの「藍」なのか『書紀』にいたっては郡名の記載もない。
『和名類聚抄(和名抄)』をあたってみた。するとそこにはっきりと「三島郷」が記されていたのだ。場所は福岡県南西部に位置する朝倉市である。
そこで「明治十五年全国小字調べ」の福岡県分にあたってみた。すると、なんと、そこにはちゃんと大字「宮野」「大福」に小字「ミシマ」「三島ノ下」や「會(会=あい)」も記録されていた。「會」は「あひ」とルビ付きで二か所ある。「合の坂」もあった(『福岡県史資料』第七集)。ここが『古事記』にいう「三島の藍」である可能性 も高い。国名の「筑紫」がカットされていた可能性が考えられた。
この付近に「御陵」にふさわしい古墳があるのだろうか。
実はある。大字宮野から約三キロ東にある列島最大級の円墳・長田大塚古墳である。直径80メートル。高さ30メートル前後ある。筑後川を見下ろす小高い場所にあり、堂々とした姿は一帯を威圧している。九州はもとより全国的にみても、そうない大円墳である。現状では埼玉県・埼玉古墳群の丸墓山(直径105メートル)に次ぐ規模である。発掘調査はされておらず、この地域にもう一基「巨大円墳」があるらしいことだ。「長田大塚古墳」に勝るとも劣らない巨大な円墳だ。付近の人は「宮地嶽」と呼んでいる。墳丘?の頂上部が削られて宮地嶽神社の境内に造りかえられているようだ。


えー? これかな?

神社と古墳が近い。理想的だ。下のは前方後円墳なのでだめだな。関係なし。でもちょっと新しい気がする。支石墓ぽくて、甕棺があるべきではなかろうか?

朝倉市、発掘調査費を捻出して発掘すればいいのに・・・。もったいないなあ。
観光資源にまあまあなると思うけどなあ。


発掘しようとしている人、いるって!!
これは、期待ーー!!




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KyoKannazuki21
AI,脳科学、生物学、心理学など幅広く研究しております。 貴重なサポートは、文献の購入などにあてさせていただきます。 これからも、科学的事実を皆様に役立つようにシェアしていきたいと思います。 ありがとうございます!!