古代研究: 帽子について調べてみた
よく古代イスラエル人が、日本にきたーっていうので、帽子をかぶったユダヤ人埴輪というのがあります。
埴輪は日本だと、だいたい5-6世紀の古墳時代です。
https://mag.japaaan.com/archives/182625
ユダヤ人の帽子は、18世紀からなので、たまたまデザインが似ているってだけなのですが、「証拠だー」とわめきます。バカのリトマス試験紙にぴったりです。
では、世界の歴史上、「帽子」(特に、頭の丸いところと、縁があるタイプ)は、一番古いのはどこからでしょうか?
ちなみに、英語だと丸い頭部分しかないのは(前のところだけちょっと縁があります)Capで、ぐるっと周囲に日よけ縁があるのは、Hatです。
まあ、この場合、古代エジプトや古代メシポタミアですが、なんていうか、エジプトとか暑くて日よけしたいんだけど、だいたい頭巾ですね。あとはカツラです。
メソポタミアは、なんか、ニットのキャップみたいなのがあります。縁部分はちょっとだけです。
こんなかんじ。おばあちゃんの帽子みたいですなwww
他、探してもなんか王冠みたいな、縁がないキャップに近い被り物ばっかりですなあ・・・。
たぶん、古代において縫製技術が高くないので、あまり帽子の縁みたいなのを作れないので、キャップばっかりだったのかなあと思います。まあ、頭頂部はキャップだけでも、暑くなりません。日焼けはしてしまいますが。
私たちが思う帽子らしい帽子は、古代ギリシアでした。
「帽子の起源は古く、紀元前までさがのぼります。
紀元前4千年、エジプトの時代で、既に王様が王冠をかぶり、庶民は頭巾を被っていたことことが、遺跡調査でわかっています。 他にも、古代エジプトの人々は剃った頭にかつらをかぶるのを好み、このかつらは人間の毛髪や、亜麻、ヤシの繊維などでつくられ、蜜蝋で頭に固定していました。
古代ギリシャ時代には、小さなクラウンにブリムのついた「ペタソス」という名の帽子が誕生しています。一般的にはこの「ペタソス」が現代の帽子のルーツだと考えられています。ギリシャ時代にはこの他にもキャップ風のものやベレー風のものも登場しています。」
どっかのギリシアの壺絵とかに、帽子みたいなのがあったなあと思ったら、これでした。ペタソスといいます。
「ペタソス(古希: πέτασος, pétasos)は、古代ギリシアのつばの広い日よけ帽。テッサリアに起源を持ち、しばしばクラミュス(英語版)と呼ばれるマントと併用される。一般的には羊毛のフェルト生地や皮、藁などから作られ、広くだらりとしたつばがついている。農夫や旅人が身に着けていることが多く、田舎の人間の特徴であるとされていた。
ギリシア神話の伝令神ヘルメース(ローマ神話におけるメルクリウス)の着用する翼ある帽子(羽根兜)もペタソスと呼ばれ、彼らの象徴であった[1]。」
古代ギリシアの、私たちがよく教科書で見るような時代は、紀元前6世紀あたりです。アテネーやスパルタの都市国家が栄えた時代です。もうちょっと古いと、ミケーネ文明などになりますが・・・。
ついでに、頭の丸いところだけに被る帽子、キャップに近いのは、こちらです。これも古代ギリシアです。
「ピレウス帽[1][2]、ピレウス(ラテン語: pileus/pilleus)あるいはピレウム(ラテン語: pilleum)[3]は、もともとピロス(古代ギリシア語: πῖλος,pîlos,pilos)という古代ギリシア、エトルリア、イリュリア(パンノニア)で着用されていたつばのないフェルトの帽子であり[4][5][6][7]、後に古代ローマにも取り入れられたものである[8]。
ペタソスと共にピロスは、古代と古典時代(紀元前8世紀-4世紀)のギリシアで最も一般的なタイプの帽子だった[9]。紀元前5世紀には古代ギリシアに青銅版が現れ始め、ピロス式兜が歩兵用として人気を博した[10][11]。その兜には時折、馬毛の装飾がつけられていた[10]。ギリシアのピロスはローマとエトルリアのピレウスに似ており、通常はフェルトでできていた[12]。ギリシア語のピリディオン(πιλίδιον,pilidion)とラテン語のピレオルス(pilleolus)はスカルキャップ[注 1]に似た小型の帽子だった[13]。」
日本では、だいたい弥生時代は頭がみずらという髪型なので、あまりうまく帽子は被れません。どっちかというと、暑い日には笠をかぶっていたかなあと思います。
奈良時代には、貴族たちは冠というか、頭巾というか、平安時代の烏帽子の前身みたいなのですね。聖徳太子の絵に出てくるやつですな。
広いツバのある帽子は、西洋だと絶対王政の時代はよくかぶってました。女性もよくおしゃれでかぶります。
その前の、ルネッサンス時代だと、なんかおしゃれなベレー帽のでかいやつみたいが流行しています。羽や宝石ブローチなどをつけていました。
いかにも帽子っぽいので、朝鮮半島の歴史に出てくるのは、こういうのです。
ドラマででてくるのは、カツというそうです。李氏朝鮮時代ですね。
ついでに、麦わら帽子はこちら。
まあ、そんなわけで、18世紀のユダヤ人帽子と、古墳時代の埴輪の帽子を見て、「そっくりだー」というのは、おいおい、形が機能的に必然的にそうなっているから似ているだけで、時代が1000年以上違うじゃん!
もし、似てるーとかいってわーわーいうなら、一番古くて縁のある帽子の古代ギリシアのと似てるー!っていわなきゃだめでしょ!!
ってことです。
まあ、18世紀まではいかないけど、15世紀くらいの朝鮮半島の黒い帽子に似てるーとかでしょう。
でも、埴輪のほうが古いじゃんwwww
紀元前あたりで、ユダヤ人がかぶって来たのは、どっちかというと頭巾みたいなのですね。たとえば、こういう絵です。
ペルシアから奈良時代に日本にペルシア人が来ていたのですが、シルクロードは、西側がローマだから、うーん、無理くりギリシア人が、日本にまで5世紀に来ていたのか?(笑) →いや、すでにギリシアはローマ帝国の一部とかじゃないの? だから、ローマ人かー。
というわけで、実にこのユダヤ帽子問題は、アホかどうかのリトマス試験紙になるのです。
ああ、こういうのもありました。
渡来人の可能性はありますが、中央アジアとか、朝鮮半島の北部であるとかのほうが可能性がありますね。
なんで、わざわざ中東から、来るねん? 飛行機も新幹線もないのに(苦笑)
あと、秦氏は中国大陸にいるOグループハプログループなので、普通の中国人です。
「また「INRI」について、ヘブライ語は筆記においては母音が省略され子音のみ表記されるため、「INaRI」と母音を補い、稲荷信仰との関連も指摘されている。しかし、この説の根拠となる遺物に関しては、江戸時代にキリスト教信者によって捏造された可能性が否定できない他、語呂合わせ的な主張でもあり、説を補強する確かな遺物でも発見されない限り、この説を取ることは困難である。」
というわけで、外国人でもいいんですが、もっと近いところで探せよってことですな。
奈良時代で群馬県でしたら、今のロシア領の東あたりから、船で新潟県あたりに上陸して、群馬に移動したほうが早いですね。越前にはよく、昔の満洲当たりから、船でやってきていました。ハプログループ Nとかの人が来ていたんじゃないかなあ。
ユダヤ人埴輪が展示されているのは、こちら。
(誰もプロはユダヤ人とは呼ばないはずなので、アマチュアだけだろうなあ。ちなみに、千葉県なので、群馬とも違うのでありました。)
外出が多いから、暑いので、帽子をかぶって、ミズラを下のほうで結っているだけじゃないかなあ。髭は、武闘派が多いと(争いが多い地域は)男性は髭を生やすことが多く、文官のように余り戦うことがないと髭は生やさない。一種の威嚇なんで。
おしゃれですねw
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