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古代朝鮮半島の国家の話
竹田先生の解説が面白い。
いや、だって朝鮮半島、そもそも住んでいたの中国人だから(漢民族か、他の少数民族)。
殷の人に「朝鮮半島にいって住め」っていうてるやん。やばい。
中国史上、最高に鬼畜野郎どもの殷!!怖い。怖すぎる。
「箕子朝鮮(きしちょうせん)は、中国の殷最後の王である帝辛(紂王)の親族である箕子が朝鮮に開いたとされる国家。先行する檀君朝鮮、後代の衛氏朝鮮とともにいわゆる古朝鮮の1つに数えられる[1][2]。歴史学的には漢代(前206年-後220年)に楽浪郡を始めとした朝鮮半島の領域(漢四郡)に移住した漢人たちによって造作された神話・伝承であり、史実ではないとするのが一般的である[1]。」
ひえええーーー、人骨に甲骨文字って・・・ひどい。
さっすがは、鬼畜の中国人 殷時代。えげつなーーーーいい。
![](https://assets.st-note.com/img/1700755312511-bOY5ohAUEI.png?width=1200)
うわー、鬼畜殷はこれね。
「『史記』によれば、始祖の箕子(胥余)は中国の殷王朝28代文丁の子で、太師となるに及び、甥の帝辛(紂王)の暴政を諌めた賢人であった。殷の滅亡後、周の武王は箕子を崇めて家臣とせず、朝鮮に封じた。朝鮮侯箕子は殷の遺民を率いて東方へ赴き、礼儀や農事・養蚕・機織の技術を広め、また犯禁八条を実施して民を教化したので、理想的な社会が保たれたという。」
ぷ、たまたま1人だけ、まともな人だったのかもしれんがーwww
次がこれです。
「衛氏朝鮮(えいしちょうせん、前195年?-前108年)は、古代の朝鮮半島に存在した王朝である。燕(現代の中国河北省北部から遼寧省に跨る地域)の人衛満(『史記』及び『漢書』には名のみ「満」と記す。姓を「衛」と記すのは2世紀頃に書かれた王符の『潜夫論』以降)が朝鮮半島北部に建国したと伝わる」
「こうして衛氏朝鮮は滅亡して、故地には楽浪郡、真番郡、臨屯郡、玄菟郡の漢四郡が置かれ漢の領土となった。『史記』朝鮮伝は、「遂に朝鮮を定め、四郡と為す」と記した[15][13]。」
というわけで漢の時代に、朝鮮の国はなくなったのでありました。
ああ、残酷というか、根性ない・・・。
まあ、こんなことです。そりゃあ、疲れますわ。鬼畜殷の子孫と戦わないといけないだなんてさあ。
![](https://assets.st-note.com/img/1700756130724-by3g4zp7kc.png)
ちなみに、楽浪郡です。
「楽浪郡(らくろうぐん)は、漢朝によって設置され、紀元前108年から西暦313年まで存在した朝鮮半島の郡である[1]。真番郡、臨屯郡、玄菟郡と共に漢四郡と称される。東方における中華文明の出先機関であり、朝鮮や日本の中華文明受容に大きな役割を果たした。楽浪郡の住民は王氏が多く、韓氏がこれに次ぎ、この2氏でかなりの率を占めていた。」
「前108年(元封3年)、前漢の武帝は朝鮮半島に軍を派遣し、当時朝鮮半島西部を支配していた衛氏朝鮮を征服した。その後、真番郡、臨屯郡、玄菟郡、そして楽浪郡が設置され現地の統治にあたった(漢四郡)[2]。ただし、漢の支配体制は主要拠点と交通経路を支配する点と線の支配であり、支配領域の均質な統治は不可能であった。このため四郡の支配領域は必ずしも隣接しておらず、特に遠隔地の真番・臨屯郡の支配は困難であったものと見られる[3]。」
いやー、大陸や半島だとたまんねえですなあ。
日本に生まれてまじによかったわ。
こんな、数十年-百年ごとに征服されたりしてたら、たまらんとです。
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