プレ皇室研究: ウガヤフキアエズの神社 宇原神社
一応、福岡県内なので、ご紹介します。
どうなのかなあ??? 北九州です。うーん・・・後付けっぽいかなあ。
宇原神社
「左殿 彦火々出見尊
ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと
正殿 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
とよたまひめのみこと
右殿 豊玉姫尊
由緒
宇原神社は縁起によりますと、遠く神代に御鎮座されたものでありまして、御祭神の彦火々出見尊と豊玉姫尊は海神の宮から御遷りになり日向の神田(苅田)にお着きになられたのであります。
その時の船が化して島(神ノ島)となり、神ノ島から海岸につづいた「みて」と呼ばれる砂の道を御二神はお歩きになり御上陸されました。その路は今は港となっています。
御上陸後、豊玉姫尊は石に御腰を掛けさせられました。《其の地を「石の神」と言われ、またその御腰掛の石は土中に埋まることなく厳然と(現在は宇原神社境内に)残っております。》その時豊玉姫尊は御懐妊されておりましたので、御二神は清浄の地を占われ鵜原崎の地に産屋を造られました。ところが、その途中豊玉姫尊は急にお産気づき鸕鷀草で屋根を葺き終わらないうちに御子神が御降誕されました。それでその御子神を彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と名づけられ、その地(現在の浮殿神社辺り)を浮殿と言うべしと宣われました。
その後に此処に御三神を斎き奉って神田の地の産土神として崇敬し、宇原の宮と称え奉ったのであります。」
「宇原神社のある苅田の地形は古代と今とではかなり違いがあり、海岸線が古代はかなり奥深くまであった。「新津」、「片島」などの海辺に関する地名が今も奥地に残っている。古代はすぐ山が海近くまでせまり、平地はわずかであった。東は長大な海岸線。遠浅である。沖には細く長い島があった。満ち潮の時は島であるが、干潮になるとそこまで一本の道ができる。地元の人はそれを「ミテ」と呼んでいる。由緒書によれば、ここから二人の神が上がられた。父神は「彦火々出見尊」。母神は「豊玉姫尊」。そして生まれた御子神は「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊」。そしてこの島を「神ノ島」と名付けたとあり、地元の誰もが知る伝説である。」
あ、だめだ。
「苅田町には国指定重要文化財の「石塚山古墳」がある。現在の苅田町役場横の「石塚山古墳」は三世紀後半~四世紀初頭(約1700年前)のものとされ、九州で最大最古の前方後円墳である。「宇原神社」は元々この古墳の西側、後円部の付近にあったとされている。その当時社殿はなく、神域であった。その地は「浮(おき)殿(どの)」と呼ばれた。」
残念でしたー。
後の話ですな。
しかし、ウガヤフキアエズって本当に子供のときと玉依姫と結婚した話しかないなあ・・・。早死にだと思っていたけど、さらにもっと早死にだったのかなあ・・・。でも神武天皇は3,4人兄弟がいるんだよねー。
じゃあ、30歳くらいで亡くなったのかなあ? でもそれくらいなら、ヤマトタケルだっていろいろ逸話があるのに・・・。おとなしい人なんだろうか?
謎です。
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