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プレ皇室研究: やだもう、また面白い神社をみつけたよおー。

先日、南九州の神社って、九州北部ほどは古くないっていう話をしたのですが、1つ、「お、これは古そう」っていうのをみつけました。

これです。


早吸日女神社(はやすいひめじんじゃ、はやすひめじんじゃ、速吸日女神社とも表記)は、大分県大分市にある神社。式内社で、旧社格は県社。別称、関の権現様。

八十枉津日神(やそまがつひのかみ)、大直日神(おおなほびのかみ)、住吉三神(底筒男神(そこつつおのかみ)、中筒男神(なかつつのおのかみ)、表筒男神(うはつつのおのかみ))、大地海原諸神(おほとこうなはらもろもろのかみ)を祀る。」

「神社の縁起によれば、紀元前667年に、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと、後の神武天皇)が東征の途中で速吸の瀬戸(豊予海峡)を通りかかった折りに、海女の姉妹の黒砂(いさご)・真砂(まさご)の二神が、潮の流れを静めるために海底から大蛸が護っていた神剣を取り上げて神日本磐余彦尊に奉献したところ、神日本磐余彦尊自らがこの剣を御神体として、祓戸(はらへど)の神(速吸日女)を奉り、建国を請願したのが始まりであるとされる。

その後、大宝元年(701年)に現在の場所に遷座。」

おおー、神武天皇、来たーーー!!!



そして、もう1つ面白いぞーー!!

あまりきいたことのない神様ですが、これ、なんと瀬織津姫の別名っていうのだ!!
おおー。もし、天照大神が男性だったら、奥さんだったかもしれないー!!
おおー。なんか、ミステリアスだぞー!!


ここねー。

「『古事記』や『日本書紀』においては、神武天皇が東征の途上で速吸門を通ったときに、国つ神の椎根津彦が現れて航路を案内したとの記載があり、この速吸門が豊予海峡のことであると考えられている。ただし、『日本書紀』では経路に地理的整合性があるものの、『古事記』では九州を出て吉備国の高島宮に滞在した後に速吸門を通ったとされており、整合性を欠く。佐賀関には椎根津彦をまつる椎根津彦神社が残っている。」


うーん、これは面白い。
やっぱり場所の比定が、どこか間違っているのかもです。
うーん、地元民でないので、これは難しいなあ・・・。


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